指が落ちるように
千月 話子


「夕日が落ちる前に、帰ってきなさい。」と母が言う
 私は、海が見たかった。
 秋の夕暮れる速度と思い出と川沿いを歩き
 橋の向こうまで。


スタートは、浅い川底の尾ひれで跳ね上げる小さな雨の世界から

 岩裏には黒いタニシが住んでいた。
 気持ち悪い なんて言わないで下さい。
きれいな水だけが そのか弱い体を守っていたので、美水の象徴
グロテスクな巻貝と一緒に泳いだ
あれは、もうずっと昔 カエルの浮き輪で・・・


水底は数メートル下へ

 日曜日には、貸しボートが賑やかに 恋人と親子と水しぶき乗せて。
ブランコを揺らして ひと休みする少女の足元に
柔らかそうな白黒の小さな毛玉が 転がって走って 転がって走って
それは、シーズーの子犬 絡むふさふさの
少女は弟のサッカーボール 転がして蹴って 転がして蹴って
コロコロとボールが2つ 戯れて可愛くて 笑って 笑って
涙と鼻水すすり 爽やかに水浸している
それは、桜降る 満開の空の下で・・・


テトラポットに乗って魚を釣ろう

早足のフナ虫が、時々海の匂いを連れて来るけれど
まだここは 川という名で呼ばれているので。
持ち帰った魚を水槽に入れて見る夢は 
 〜月に跳ね上がるナイフの魚〜
朝ベランダで干乾びかけた体 バケツに移して川に戻した
 〜空に跳ね上がるナイフの魚〜
瀕死を装って 生き生きと私の心を傷つけた
もう、釣りなんかしないと 早朝にかすむ景色に・・・


光線が雲間で少し緩くなる堤防の小道から
子猫が ぴたぴたと付いて来るので
海を見たい私は 振り向き振り向き促すのです。
 「テトラポットのお家は素敵。
  飛び込むお魚、水の宝庫。
  気を付けてお帰り、
  黄金色が追いかけてくる前に。」
ぴたと止まった子猫のお座り 多分
意思疎通した もうすぐ夕暮れ
人差し指でなだめた さよなら・・・


堤防を歩き続けた橋のたもとで 流れ入る太陽が秋色に変わる頃
川は横に広がって もうすぐ海になるというのに
左岸の工場地帯に降りかかる 夕焼けが
煙突や鉄塔を金色に変えていくので 未来都市
飲み込まれそうになったから 目を逸らした
連れて行かれそうになったので 手で覆った
 

太陽は溶け、もう そこらじゅうに浸透して行き
かざした私の右手 小指から
順に肌色を奪って 足元へ
落ちる指 金色に流れ 流れ 海へと


意味などどうでもよかった。 けれど
出かける前に母が言った「夕日が落ちる前に帰りなさい。」
という言葉が後ずさりして 帰る私の足を速めた

美しい山々が連なる 右岸の景色に癒されながら・・・





  


自由詩 指が落ちるように Copyright 千月 話子 2005-09-16 00:18:16
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