十月の空を見なさい
嘉野千尋

  
  「本を読みなさい」
  

   その人はそう言って
   夕暮れて図書館が閉まるまで
   わたしの隣で静かに本を読んでいた


   映画を観なさい
   音楽を聴きなさい
   困り顔のわたしをそっと見守り


  「音楽は好き」


   そう答えると
   その人は少し笑って
  「そうか」
   とだけ言った

  
 
   三年経って町を出た
   もう戻ることはないだろうと想いながら
   それでも十年経ってまたあの人のいた町に戻って来た
 

   木漏れ日を追うようにして通り抜けた並木道の
   その先に続く図書館も今では移転され
   敷地跡にはわたしの知らない公園ができている
   喫茶店のあった小さな映画館も今はない
   わたしの知る景色が消え
   わたしの知らない建物が増えた


   あの人の面影を探しながら
   薄暮の町をゆっくり歩く
   街灯の下で独り 
   迷子になってしまったような心地がして
   どうしようもなくあの人を想った


   本を読みなさい


   映画を観なさい


   音楽を聴きなさい


   楽しみなさい
   君の時間を


   そしていつかまた君が独りになって
   もしも私を思い出したなら
   時には立ち止まって空を見なさい


   君の目を奪う
   十月のこの夕暮れ
   

   立ち止まって
   さぁ





自由詩 十月の空を見なさい Copyright 嘉野千尋 2005-09-12 18:53:40
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