香水不全  日々の垂れ流し20050905
A道化



 生まれてはじめてお付き合いをした男性が結婚したことを知った。当時は男性というよりも男の子だった。愛読書だと言い、『風の歌を聴け』を私にくれた。そうして自分の為に新しい本を買っていた。今も愛聴しているBjorkを好きになったのも、これええと思わん?と彼が差し出したMDウォークマンのイヤーフォンが切っ掛けだった。難波CITYの南館で、夜だった。壁にもたれて2人で聴いていた。
 その彼からはいつも同じ香りがした。そういえば私に、香水には興味ないん?と尋ねたことが数回あった。私は、あんまり、だとか、鼻よくないし、だとか適当な返事をしていた。実際、そんなに興味がなかった。また、そういえば、昔DUNEってやつつけててん、とも言っていた。へえ、そうなんや、私はつけたことないわ。その程度の返事で、会話は終わっただろう。
 その恋が終わってから、ふと、知らない人とのすれ違いざまに彼の香りを感じたことがあった。あ、と思った。そのとき初めて、私は彼が香水をつけていたのだと気がついた。別れを告げて間もない頃だった。苦いような甘いような苦しさにくらくらした。昔DUNEという香水をつけていた彼が私といるときは何という香水をつけていたのか、今もわからない。


 私が香水に興味を持ったのは、ある友人が香水を買うのに付き合ったことからだった。そのとき友人が買った香水はイヴサンローランのベビードール、彼女はそれを自分の為に買ったのだった。
「○○と付き合えたらこれを買おうと思ててん」
バレンタインデイに好きな人に好きと告げて付き合うことになった彼女はそう言って嬉しそうだった。
 私はその頃、正しく健やかな体、心、生活に憧れて止まなかった。それで、一週間頑張れたら好きな香りを自分の為に買おうと思った。初めての香水はブルガリ プールファム。
 それから私は、自分の為に幾つもの香水を買い、頑張れたら、ではなく、頑張るから、と、発破をかけるためなのか言い訳なのか、兎に角、CK ONE、ENVY、TRUEST、RUSH2、POISONなどを得て、気分によって選んだ。
 助けて欲しかった。
 誰の為でもなく自分の為だったから、また、あまり私は外出をしなかったから、香水をつけるのは主に眠るときだった。快い香りと、ベッド上で整えられた布団に包まれたら、自分が幸せに生きてゆける気がした。けれど、たいてい、香りは朝には消えていた。


 つけすぎた香水は顔をしかめさせる。どれだけ美しくとも過剰になれば香りは不快感を催させる。幼い頃、香水なんてケバケバしい大人の象徴だと思っていた。眠るときなら自分にだけ感じられればいい。感じて欲しい人がいるなら、その人が近くにいるときに気がついてくれればそれでいい。けれど、感じたくもない他人の過剰な香りを呼吸せざるを得ない状況は割と多い。


 ある恋をしているとき、その恋のお相手の彼は無臭、或いは石鹸の匂いくらいしか読み取れなかった。けれど、それは彼にとてもよく似合った。


 大好きなある友人と出かけたとき、ふと香水の話になって、つけてんの?と問われたので、つけてるよと答えた。「へえ、気が付かなかったわ」と友人は言った。その人は私にとって「気がついて欲しい」人だった。もう少しつければよかったと思った。
 そのとき、ふと思った。もしも、気が付いて欲しい誰かが自分の香りに気が付いてくれなかったとしたら。或いは、香りの届く範囲内に誰も踏み込むことがなかったとしたら。もう少しだろうか、香っているだろうか、ああもう少しだろうか、と、昨日よりも沢山香水を滴らせたり吹き付けたりするのかもしれない。そうして、それでもまだ誰も気が付いてくれなかったら? 自分自身の嗅覚は感情的になって麻痺してしまってよくわからなくなって、もっと、もっと、もっと、と、無闇に香らせてしまうかもしれない。
 香水をつけ過ぎた大人たちの中には、そういう切ない人たちがいるのかもしれないと思う。

 私は香りは?




        2005.9.5.


散文(批評随筆小説等) 香水不全  日々の垂れ流し20050905 Copyright A道化 2005-09-05 16:01:57
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