つれづれ3
いとう





酔っ払った拍子にゲームレビューの内職を頼まれて、
今日中に800字×2タイトルを書かなきゃならん。
安請け合いはするもんじゃない(笑)。
接待という行為が存在する理由を身をもって知った気がする。


「メタ」であることは難しい。
「メタ」でいることも難しい。
と、書き始めたけれど、自分でもよくわからないので却下(笑)。


アガサ・クリスティは
水でいっぱいのコップを見つめていると
イメージがどんどん溢れてくると言ったそうだ。
すごいなぁと思う。俺にはそんな真似できない。
時折降りてくる落下傘を観察し、書き留め、
自分なりにコネコネするくらいしかできない。

コップをいろいろな角度から見たいと思う。
違うな、
コップをいろいろな角度から見ることができるようになりたいと思う。
薄いガラス膜の境界の中から眺める世界はどのように映るのだろう。
(別にガラス製じゃなくてもいいけど)

と、ここで「世界」という言葉を使ってしまった。
コップを見ようとして、非コップ(とカテゴライズしたもの)を見るのだ。
私の意識は。見ようとしてしまったのだ。難儀なヤツだ(笑)。


さてさて。前フリをしようとしてどんどん泥沼にはまっていってる。
単刀直入に書いたほうが早いかもしれない。

知っている人は知っているけれど、
かなりナーバスなのだ(笑)。
ちょっとしたことで傷つくのだ(笑)。
扱いづらいヤツだ。自分でも持て余している。
妻にもよく言われる(笑)。
妻はガシガシきっぱりものを言うタイプなので、
見ていてイライラするらしい(笑)。
と同時に、それはナーバスなのではなく、
ナーバスな面もある、であることを知っている。
何故ならナーバスではない面もあることを知っているから。
ナーバスであり、かつ、タフなのだ。たぶん。
コップは空洞かもしれない、けれど、
コップを構成するものは密なのかもしれない、
と同時にそれらが空であるか密であるかは比較の問題に過ぎないので
どちらでもないかもしれないと同時にどちらでもあるかもしれない。
という認識が、「メタ」につながるのかもしれない。
などと言ってるから妻がイライラするのだ(笑)。


佐々宝砂さんの挑発(?)に敬意を示して暴言のひとつでも吐いてみたいのだが、
あまり上手くいかない。そういうキャラではないらしい。
まぁ別に詩人は暴言を吐くべきだとも思っていないし、
ナーバスだけどそれは詩人だからではなく人間としてそうであるに過ぎないので、
別にそのへんはどうでもいいです。
って、これは暴言ではないなぁ。やっぱり。
まぁ、ときどきナーバスなことも書くけど、それと同時に、
どんな批判であろうと、それは私の責任の肩代わりをしてくれるものではない。
ということも知っている。
そういう意味においては、批判で救われるものは何もない。
(批判は対象を直接的に救うためにあるものではない)
と同時に、どんなにナーバスになっても、それはまったく意味がない。
ナーバスになるヒマがあるのなら他のことをしてろってんだ。
(多少は暴言ぽいかな?)
と、自分に言ってみる自分ももちろんいる。


このシリーズ(?)はもう少し続くと思う。
自己内包について書きたいと思っている。
というか、ここまで書いたなら書かないといけないと思っている。
自己内包の状態を最も端的に相手に提示してみせる表現は、「オマエモナー」だと思う。





散文(批評随筆小説等) つれづれ3 Copyright いとう 2003-12-24 12:55:09
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