庵魔璃打!この配牌!(詩の話)
虹村 凌

気分でこんな題名にしたが、わかりにくいのでカッコつけてみた。



東京ポエトリーマーケットに行って来た。
はるばる両国まで、別段遠くもない。
残金900円程度と言う状況でしたので、
母親に来月分のお小遣いを前借りして行って参りましたよ。

えぇと、黒いラバーソウルに青いジーンズ、
ピンクのシャツに緑のネクタイ、カーキ色の斜め掛け鞄、
怒髪天をついてた髪の毛の小僧は、俺です。

江戸東京博物館の一階、会議室で行われたこのポエケット。
思ったより、小さいハコだった。(まぁ、会議室だしな。
開場時間の30分前に到着、外で煙草を吸いまくる。
そこでchoriと遭遇したのは内緒だぜ。
先ずは、期待の本「1980s」を購入。
ついでにE/WのCDを購入。
ふらふらしつつ、会場を回る。
購入したモノを挙げる気はあんまり無いので、思う事をつらつらと。

どうも会場の空気が気持ち悪い。
空気が悪いのか、狭い場所に大勢の人間が居る所為か。
もしくはその人間達の所為なのか。
そもそも、こんな場所っつったら悪いけど、場所が場所だ。
んでイベントがイベントだ。自然と集まる人間も集まる人間になる。
なんか、「とらのあな」にでも来たような気になった。
オタッキーな空気だと思う。酔いそうになって、何度も煙草を吸いに行ったよ。

詩を書くってのはオナニーだ。それ以上でもそれ以下でも無いと思っている。
愛をにせよ、殺意にせよ、欲望にせよ、衝動にせよ、
己のみで書き上げる以上はオナニーなんである。
それを悪いと思わないから、俺はこうして詩みたいな文章を書いているんである。
そのオナニーが、世に認められるとオナニーを脱する。
オナニーがオナニーじゃなくなる。
ファック。悔しいよね。じゃあビッグになりゃいいじゃん。話は簡単だ。
そのオナニスト達がよってたかって、狭い会議室にいるのだ。
会場が精液臭くなっても仕方無いだろうよ。

詩について回るイメェヂ、個人的には「退廃」だ。
「退廃」した状態から「希望」が欲しくて書いている。
そしてその言葉は、ただの文字として、そこに置かれる。
音楽と合わせれば歌となり、リズムに合わせればラップになる。
ただ、言葉のみとして置かれた場合、状況は厳しいと思う。
まず、五感に対する揺さぶりが小さい。興味を引きにくい。
そして「詩」と言う陰湿なイメェヂを、なかなか脱しない。
朗読として出した場合、音楽と同等程度の効果を得る事が出来るだろうが、
それ以上には成り得ないと思う。決して歌じゃないのだから。

ステージで詩を朗読する時、自分の作品を見ながら…と言うのは非常に間抜けだ。
それこそ公開オナニーもいいトコだ。馬鹿だと思うし、未来も見えなくなる。
自分で書いた詩を、ステージで読む場合に、それを全て覚えるのは当然だ。
客として見ている場合、読み手の動きが無いと言うのは見ていて退屈だ。
動きが無い。ただ、マイクの前で詩を読むだけ。退屈だろ?
ステージの上で、飛ぶ、叫ぶ、腕を振り回す、客席に寄る、走り回る。
身体を使って表現して、客を自分の世界に引き込む。興味を持たせる。
それをしない以上、ただのオナニーだと思う。

詩と言う存在は、元々、パンピーから敬遠されがちな存在だ。
理由が知りたければ、適当に人を捕まえて聞いてみると言い。

ちなみに、女の子と喋って居て、
「高校の頃、スポーツ何やってたの?」の質問に対して、
「ん?俺、中高6年間ずっと剣道」と応えると、
「ふーん」で会話が終わってしまう。マジで。
「え?じゃあ誰に憧れてたりするの?栄華さんとか?」
なんて言う女の子がいたら、俺はたちまち結婚を申し込むだろう。

朗読と言う段階で、やっと歌やラップと言った、
言葉が絡む他の形に追いつく事が出来ると思っている。
あまりにも無惨だ。惨めだ。情けない。
嘆いた処で状況は良くならない。
悪口だけ言ってるんじゃ、俺の嫌いな政治家と一緒だ。

キムタクが、ドラマ中でバタフライナイフを使って、
一時期バタフライナイフが流行った事はまだ記憶にある。(決して新しくない
じゃーキムタクに「俺、詩を書いてます」って言わせたら、
若い中高生の間で詩が流行ったりするんじゃなかろうか。
え?馬鹿にしてんのかって?
俺は大真面目だぜ。
今日、友人某が言っていたが、「金持ちは貧乏人の敵」になる。
「ふざけんな金持ち、ボンボン死ね」って訳だ。
まぁ、貧乏は嫌だよね。金なんて、無いより有った方がいいに決まってる。
でも無いからしょーがない。うっぷんは金持ちにぶつける。
んな気力あったら、クソ議員の一人でも襲って(以下自粛

彼曰く、「金持ちが嫌いならみんな金持ちになればいい」と言う。
そらそうだ。当たり前だ。思わず納得の爽やかな笑みがこぼれる。
まぁ、金持ちになるには並大抵の努力じゃ済まない。
それを出来ないから、金持ちを妬んで悪口を言うんである。
かっかっか☆
詩人がパンピーから気持ち悪い目で見られているのなら、
パンピーが詩人になればいい。全員詩人だったら、問題は無い。と思う。
どうだろ。

そもそも詩人って身構えるから、パンピーと壁を創ってしまうんだろう。
詩だとか、なんか堅苦しいブンガク的表現がどうのこうの…
と言うから、パンピーが警戒する。面倒臭がる。俺もそうだ。
だったらみんな詩人になりゃいいじゃん。
俺が思うに、モノを書く場合、作文より詩の方が簡単だと思う。
だって、ただ思いついた事を書けばいいんじゃない。
作文書かせると、つまんない事しか書かないヤツがあまりにも多い。
クラスの三分の一のヤツは、
「今、提出日になりました。〜時間後に提出するモノです」
とかなんだとか、
嫌々書いてますみたいな事を穴って言う穴から滴らせて書いている。
馬鹿みたいだし、読んでムカつく。嫌なら書くな。
書くんだったら、少しは気の利いた事を言え。
それに比べて、詩は簡単だ。難しく構える必要は無い。
読書課題も、国語科の先生が選んだ、堅苦しい本だから嫌なのだ。
冬休みの読書課題を読んで、死ぬほど沈鬱な正月を過ごした事だある。
それくらいだったら、読書課題も詩集にすればいい。
堅苦しい本よりも、面白いと思うし、受ける印象も違うと思う。
それこそ、数学科の先生とかが推薦する詩集を読ませればいいと思う。

国民総詩人化計画。
そうすれば、詩人が敬遠される事もあるまい。
ポエケだって、会議室でやる事も無くなるだろう。
もっとデッカイ場所でやれるだろう。
それこそ、会場と同時に、地響きをさせて雪崩れ込む詩人達と、
売りさばく詩人、大人買いして、遅れたモノからふんだくる詩人…
なんて楽しいんだ!

そんな事を、根暗な俺は延々と考えていた。
そんなポエケットだった。

麻雀したい。立川ZOOで。麻雀しようぜ!


散文(批評随筆小説等) 庵魔璃打!この配牌!(詩の話) Copyright 虹村 凌 2005-07-24 20:11:26
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