扉をあければ
佐々宝砂

センパイ綺麗ですよねなんで結婚しないんですか
などとほざく後輩の頭をこつんとこづき
それじゃ明日ねとあっさり告げて
農協の裏手の墓地を抜け
コンクリ舗装のきつい坂を登り

唐突にある扉をあければ
いつもの店
今さら話し相手にもならないマスターに
ウォッカライムを一杯つくってもらう

ところでこの店のマスターは
ものすごく顔色が悪くて
犬歯が異様に尖っていて
唇だけ紅くて
酒は呑むけど何も食べない
もちろんそうなんだろうと思っているけど
鏡だの十字架だの突きつけるつもりはない
そんなことしたら失礼でしょ

隣の席では
カマキリの顔をした男がキィキィ泣いている
明日には文字通り食われる予定らしい
それでもいいじゃないのあんた幸せだよと
下半身蛇の女がなだめている
愛されて死ぬんだからいいじゃない
気持ちよく食われてやりなよ

連中には連中なりの苦労があるらしい
無論わたしにもわたしなりの苦労ってやつが
あったりするわけだけどさ
今はとにかくウォッカがうまい
わたしは女だけど黙って酒を呑みたい
酒呑んで人生の不満ぶちまけるのはかっこわるい

マスターが古ぼけたレコードをかける
魔性の不満ぶちまけてたカマキリ男が
蛇女と踊りはじめる
東欧風の旋律に戦慄をのせて

そろそろ人間の時間は終わりだよと
マスターが言うので
お愛想済ませて
店を出る

いまだ土葬の風習が残る
山あいの村の
人間はおろか魔物一匹通らない
さみしい道を
民家どころか街灯ひとつない
林道を
とぼとぼ歩いて
たどりついて

扉をあければ
わたしの現実

まだらにぼけた父と
預金の降ろし方さえ知らない母と
十年というもの部屋に籠もったままの弟と

それでもわたしは扉をあける
父でもない母でもない弟でもない
魔物ですらないものにとらわれ命じられて
わたしは扉をあける


自由詩 扉をあければ Copyright 佐々宝砂 2005-06-29 00:33:45
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