臭う家
千月 話子

毛むくじゃらの家猫が出かけて行ったきり
帰って来ないものだから
庭の木で啼くスズメの声が
遠慮なく鳴る目覚まし時計で
最近は、誰よりも早く窓を開けて
新しい風を味わう

あめ色の古机の上では
文鎮を落とした原稿用紙の角が
軽く揺れている

五日前に小皿に盛った 煮干しが
今だ帰らぬ牙王の餌にならず喜んだのか
二匹こぼれて文字になっていた
  腐敗前の歓喜 とも言う
ああ、これを一マスずつ並べて 詩でも書こうか



漁村では、風向きにより 時折
新鮮な内臓の匂いが鼻先を通り過ぎる
そういう時は、いつも
朝食に取り扱い注意だと聞いていた
くさや と言う
ムロアジを使い古した塩水に漬けて干した
臭い魚が 食べたくなる
  ただ、漠然と食べたくなるだけだ・・・

「この、あまのじゃくめ!」と 家出した猫は
私の心を読み取って 低い声で鳴くだろうか
お前が居ないと 冗談も口の端からこぼれて
行き場なく虚しいばかりだ

窓辺で揺れる原稿用紙には、
魚の匂いが染み付いて 明日には
茶色の染みが  くさや
と言う文字になって浮き出てくるのだろう
やはり、詩を書いてみようか



十日たった今日の風は、あまりに強く
夕食で食べる 納豆の糸を
千切っては千切って 窓の外へ連れて行く
細い燈し火に照らされた
長く尾を引くホタルのようだ

それでも窓を閉じずにいるので 原稿用紙から
多分 無臭の糸文字が生まれるのだろう

  

  夏十日過ぎ あきらめの心が
  細い草矢を 夜に放つ
  その先に 二つ星
  希望と言う 君と私を浜に落とす
  塩の水に 絡まった
  いつまでも取れない二人の 海風
  辿るように 空を嗅ぐ
  

詩が 生まれた。



ここ数日間 うるさいばかりのスズメの声が
ピタリと止んだ 十一日目の多分、昼頃

少し開いた窓の隙間から 
おお、おお と風が呼ぶのか
原稿用紙に点々と付けられた 小さな足跡
まるで出席簿のように 真ん中が空白で
家出猫の奇妙な行動も
今は、笑って許せる許容範囲だ

毛むくじゃらの家猫が子猫を連れて帰ってきた日
あまのじゃくな私が子猫に付けた
臭い匂いのする食べ物の名前 呼ぶ度に
彼女が横目でチラリと見ても 口の端で笑い返す

そうして。。。 この家は今日から
日向の匂いがする 家になる


  



自由詩  臭う家 Copyright 千月 話子 2005-06-25 23:35:41縦
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