たもつさん「十階の家族」を読んで(感想文)
ベンジャミン

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最初にこの作品を読んでから、いったい何度読み返したか知れません。
どうしてそれほどまでに読み込まなければならなかったのか・・・
それは「何となく」という部分が、自分の中で大半を占めていたからです。
「何となくいいなぁ」とか「何となくもの足りないなぁ」とか、そんな感じです。実際、何となく読んでしまうところもあって、たとえば「アイス屋」というのも、何となく「愛す屋」なのかなとか思っちゃったり、十階建ての家なんて怖くて住めないなぁとも単純に思ってしまったりしたわけです。で、「何となく」ポイントもしてなかったんですよね。

たもつさんの作品で、僕がことさら気になるのは言葉の距離感です。これは、読者としての自分との距離感なので、多くに当てはまるとは思っていませんが、冒頭三行目で「ではなくて」とはぐらかされてしまうところや、対話文のような構成なのに娘さんの生のセリフが出てこないで、「だそうだ」「らしい」「というのだ」といったふうに、伝聞の推測に近い表現がされているところなんかが、やはり「何となくいいなぁ」と感じたりします。でも、それが僕のポイントの根拠になっているわけではありません。
「アイス」という言葉のイメージ、はたまた「十階」という言葉のイメージ・・・
それらはどちらも、僕に「危うい」印象を持たせます。「アイス」は温めるほどに融けてしまうし、「十階」という高層の建物は崩壊の危険性を感じさせるからです。それは、言葉を象徴的にとらえれば、多かれ少なかれ誰もが片隅に抱く印象ではないかと思います。
もちろん、「アイス=甘い」とか「十階=立派、すごい」とかもありますけどね。

僕がどうして「危うい」印象を持ったのか、それは少なからず僕の人生経験に基づいています。それが、「家族」との関りであるが故にです。

積み重ねてゆくことは、見た目以上に緊迫感があるものです。頑張って維持しようとするほどに脆く、高さを増せばその分だけ不安定にもなる。そういった側面をとらえようとすれば、もしかしたらその方が容易かもしれないと僕は思います。むしろ、そういった不安要素を連ねて、今ある幸せを浮かび上がらせてみるほうが自然だとも思うのです。
しかし、この作品では、ほのぼのとした感じが前面に出ていて、それをそのまま受け止める方が自然のように感じさせてくれます。けれど、後半から終盤にかけては、一抹の不安も確かにのぞかせているわけです。

僕は単純です。難しいこともわかりません。
ただ、何度も読み返しているうちに「何となくいいなぁ」という気持ちが、「何となくもの足りないなぁ」という気持ちを上回ったのは確かで、そしてその根底には少なからず、これから先を積み上げていこうとする意思に対する、羨望と憧れと願いがあったからだと付け加えておきます。
     


散文(批評随筆小説等) たもつさん「十階の家族」を読んで(感想文) Copyright ベンジャミン 2005-06-21 12:25:51
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