破壊的衝動による狂乱の独白
虹村 凌

夜、歩道橋の上。
缶コーヒーで、煙草を4本吸う。
そんな処では詩が生まれない。知っている。
実際に、詩は生まれなかった。いい場所だ。
夜は、昼間よりも、詩が溢れている気がする。
例えば、近所の飲み屋がある通り。
電車が側を通って、窓の明かりが通りを一瞬だけ照らす。
たったそれだけが、何となく詩になりそうな気がする。
でも、歩道橋の上で、煙草を吸っても、珈琲を飲んでも。
詩は生まれない。
歩道橋とは、そんな場所である気がする。
落ち着く場所である。

満員電車に乗らなくとも、人を見るたびに、
その人についてのドラマを感じる。
歩道橋の、俺の後ろを走る男や、信号を待っているサラリーマン。

高校の頃の同級生に、Oと言う人物がいた。
茶髪で、青いカラーコンタクトレンズをしていた。
最大で七股をかけて、修羅場をくぐり抜けてきたようだ。
煙草も吸うし、カツアゲだってやる。
でも、彼は真面目だった。
学校にはちゃんと来ていたし、テストの点数は平均点以上だった。

真面目か真面目じゃないか何て、どうでも言い事だと思う。
何に真面目になるか、真面目にやって成功するかが問題なのだと思う。
わかりきった事なんだろうか。それでも、時々悩む事がある。


微笑みを見せるホームレスの前に、何も言う事が出来ない。
ただ、煙草をあげただけなのに。
その一本の煙草で、彼を幸せにする事が出来た。
例え、10分と持たない幸せだとしても。

仕事を持ち、家庭があり、愛すべきものに囲まれた生活が、
みんなが求める幸せなのだろうか。
ある漫画家は、こう言っている。
「人間が友達や恋人を求めるのも、権力や金をほしがるのも、安心の為だ。」と。
安心、か。
俺が、死ぬまでに誰かを愛したいと思うのも、安心の為だ。
一人で死ぬんじゃない、と言う安心が欲しいのだ。
邪なのかも知れない。いや、邪なんだろうと思う。
そう思う事で、また俺は不安から少しだけ解放されている。

家庭や仕事、愛すべきものに囲まれても、安心が無い生活。
むしろ、一見幸福に見えるからこそ、不安が生まれるのかも知れない。
実際に、俺はそうであった。

家族がいて、学校に行けて、毎日美味い飯が食えて、
安心して眠る場所があって、心地よく目覚める朝がある。
明日に困る事も無く、楽しい毎日がある。
それで、俺には何の不満があったんだろう。
そこに不安定を求めるのは、ただの無いものねだりだろう。

俺が詩を書くようになったのは、高校2年3年のニ年間、
祖母と暮らすようになってからだった。
そこには、俺の求めた、微かな不安定さがあった。
同時に、その不安定さが、俺を苦しませた。
俺は、俺自身が不安定さを求めた事すら呪った。
何故、俺がこんな目に遭わなきゃいけないのか。
何故、俺が皮膚の病など。

俺は俺自身を憎んで、呪って、毎朝を恨んだ。
その、俺の中のどん底で、俺は人を愛するって事を知った。
俺は、全てのエネルギーをその愛に傾けた。
そうする事で、俺を憎み、呪い、毎朝を憎む事をせずにすんだ。
俺は、安心出来た。
愛する事で、生きようと思えたのだから。

生きているだけで、幸せだなんて思えない。
それでも、飲み屋から出てくる酔っぱらいの屈託の無い笑顔に、
俺は立ちつくす事しか出来ない。

家に帰る事が苦痛だと言う、愛すべき二人の友人がいる。
俺は、彼らの苦悩がわからない。
ただの、無いものねだりに聞こえてしまう。

死にたくない。
今日も、煙草が吸えるだけで、満足している。
それは、向上心の無い生き方だろうか。
どん底を知った気になっている訳じゃない。
ただ、今までの中で、俺の最低な時期は終わったに過ぎない。
けれど、今の俺には、仕事があって、家族がいて、
友人も、同級生も、一人も死ぬ事無く、
友人は小さな舞台で、演技をもってして笑いを取り、
友人は医大受験に未だに苦しんでいる。
例え、長い間セックスをしていなくても、
勃つものは勃つし、射精るものは射精る。
それが、幸せじゃなかったら、何なのだろう。
安易な考えだろうか。かも知れない。

破りたいとも、壊したいとも思えない、大きな自由の中で、
色々な事が考えられる。友人について、その苦悩について。
気に喰わない事は、気に喰わないと思える。言える。書ける。
不満なんて、ひとつも無い。それが、不満なんだろうか。

帰って、「ただいま」と言う言葉に、「おかえり」と言う返事が無くとも、
スイッチを入れれば、それだけで、部屋には光が灯って、闇が追い払われる。
それだけが、俺には幸福に思えて仕方が無い。
キスも、ハグも、今は手に入らない。金さえ払えば、手に入るけれど、ね。
それでも、缶コーヒーが美味しい。煙草が美味しい。カップ麺が美味しい。
布団が柔らかい。寝床が暖かい。それだけで、幸せになってしまう。

安易だとしても、それで、俺は満足できる。
俺の、最低の時期は過ぎ去ったのだから。
ただ、それだけで、俺は仕合わせなのだ。
苦しかった、辛かった、目覚める事が恐怖でしか無かった朝は、もう来ない。

俺は何かを愛する為に、何かを失う事を知った。
それでも、幸福だと思う。
ただ、俺が旅立つ。それだけの為に、10人以上の友人が集まってくれた。
今はもう無いけれど、ジッポを呉れた。
今も、その友人達は、莫迦をしつつも、死なずに生きている。
俺は、その友人の為に、涙を流す事も無く、生きている。
幸福に満ちた、毎日だと思っている。

前向きに生きている訳じゃない。そう思える、毎日なだけだ。
明日、背中を刺されて、野垂れ死ぬかも知れない。
でも、それが俺の目の前にあるスイッチなんだろう。
そんな何でもない日常に、俺は死にたい。
幸福の中で死ぬくらいなら、俺は何でもない日常に死のう。
幸福をつかんでしまえば、何時までも停滞していたくなるだろうから。



歩道橋の上で、詩は生まれなかった。
でも、俺の中に、幸せは生まれた。
空は曇っていて、うっすらと月明かりだけが見える。
そんな、幸せ。星が無くとも、幸せな煙が立ち上る。
それだけで、いい。
愛すべき友人達が、何故、悩んでいるのかわからない。
彼らには家庭があって、帰る場所があって、行くべき学校がある。
例え、そこに小さな問題があろうとも、大きな問題があろうとも、
それに対して、その分の幸せがあっていいと思っている。
3人で遊んで、飲んで、喋って、美味い飯喰って、
電車にゆられて、いきなり立川まで行ったりして。

そう、俺たちは、幸せだ。友人達も、幸せな笑顔と、涙を見せてくれた。
幸福の狼煙が、立ち上る。
はにかむ酔っぱらいが、歩いている。
電車が通りを照らす。
俺はラバーソールで歩いて、煙草を買いに行く。
今の生活に、不安定は要らない。


未詩・独白 破壊的衝動による狂乱の独白 Copyright 虹村 凌 2005-06-19 03:18:42
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