或る夏の日
虹村 凌

そう言えば、書こう書こうと思って、ずっと書いてなかった話がある。
思い出した。そして時間があるので書いてみる事にした。
一昨年の夏に、岐阜に行った時の事だ。
…が、その前に、面倒な人間関係を説明しなければならない。


先ず、俺。1985年生まれ。
このエッセイの主人公。どうしようも無い駄目男。

そして、A。1984年生まれ。同級生。
友達の恋人であるが、俺が惚れてちょっかいを出す。
二人でちょくちょく遊びに出かけていた。

Y。1988年生まれ。(だった筈。
元々は、メル友だったのが、電話したり、なんかしてるウチに、
恋人みたいな感じになっちゃってた。
…ごめん、惚れてた時期はあった。
順番としては、Aより先に知り合っている。




一昨年の夏、俺はYに会うべく、夜行バスのチケットを予約した。
この頃俺は、既にアトピーを患っており、実家で療養して過ごしていた。
東京の病院に行く度に、Aと会って、楽しい時間を過ごしていた。
予約したチケットを取りに行った日は、丁度七夕だった気がする。
Aが浴衣を着ていたのを覚えている。
Aの連れ(Aの彼氏では無い)とも会う予定だったが、
高速バスが遅れた為に、Aにしか会う事が出来なかった。

俺はAと会い、散々遅刻を罵られた上に。悦楽を感じていた。
「跪けよ虫けら!」とは言われないまでも。

散々遊んで、そろそろ行かなきゃヤバイ!ってな時間になった。
東京駅発の夜行バスに乗るには、祖師ヶ谷大蔵を予定でも1時間前に出たい。
しかし、Aとなるべく長く一緒にいたかった俺は、
成城まで一緒に行って、俺は急行で新宿に向かったのである。

しかし、そんな予定を立てたのが間違いだった。
成城で俺は、「通過」「各駅」「通過」「急行」と、3本も待った。
…絶対に、普通に祖師谷大蔵を出た方が早かった。

俺は新宿駅を走り回り、東京駅へと急ぐ。
だが、ダッシュ甲斐無く、無情にも電車のドアは閉まる。
ここでも、電車一本分ロス。致命的だ。

新宿で案内を見ると、東京駅まで掛かる時間と、
バスの発車時間が丁度なのだ。
しかし、これはあくまでも、各駅での停車時間を一切排除した表示である。
どう願っても無理だ。不可能なんである。
女と遊んでて、他の女と会うのに失敗する!とわ。あんまりだ。
俺は全身全霊でカミサマに願った。
電車よ、間に合え…!





願いも空しく、俺は電車の中から、岐阜行きと思われるバスを見た。





俺は東京駅を駆け抜けた。
長いエスカレーターも駆け下りた。
流れる汗をそのままに。
バス停留所に着く。勿論バスの姿は…あった!
俺は走る。それはもう満面の笑みで走る。

「お客様、これは2号車でございます。
1号車は先ほど発車しました。」

「これ、乗れないっすか?空きの席とか無いんですか?」

「申し訳ございません。満員となっております。」

「補助席とかでもいいんです!乗せてください!」

「申し訳ございません…」


「どおおおおおおおおすりゃいいいんだああああああああああ!」

と、ここで思いつく。さっき出たばっか?
じゃあ走って追いつけばいいんじゃねぇか!(笑

知ってる人は知ってると思うが、東京駅前は交差点が異様に多い。
俺は走る事に決めた。夜の東京の街を。雨が降る、夜の街を!

俺は走った。ひたすら走った。
中高6年間の中で、一番走った。本気で走った。
でも間に合わなかった。バスは料金所を悠然と通過していった。
流石に高速を走ったら、俺は逮捕される。
これじゃどうにもならん。むしろ実家から死の迎えが来る。

…じゃあ、ヒッチハイクしかねぇよなぁ。
煙草を吸いながら考える。金は無い。バスも無い、電車も無い。
移動手段が無いんなら、ヒッチしかあるまい。
俺はコンビニで至急、マジックペンを買った。
持っていたスケッチブックに、でかでかと書く。

「岐阜マデ」

道端で其れを掲げ、ずっと立ちつくす。
雨に打たれた。鞄も、上着も濡れた。
傘を差す事を諦めた。
タクシーを50台以上止めた。
タクシーで岐阜まで行く訳ねーだろ!チクショウ!
ナメてんのか!コケにしてんのか!!あぁ?!

途中、一台のバンを止めた。
お兄さん達が沢山乗ってた。お姉さんも乗ってた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!」
と謎の歓声を上げながら、俺の目の前で止まった。
「岐阜まで行くのか?」
恐そうなお兄さんが聞いた。
「はい。」
俺はビビりながら答えた。
「雨に濡れちゃって、かわいそうじゃない」
お姉さんが言った。顔が見えない。
「何で岐阜まで行くんだ?」
もう一人の恐そうなお兄さんが聞いた。
「む、昔のマブダチが事故ったって聞いて…」
俺は何故か嘘をついた。俺自身、理由がわからない。
「嘘だろ?」
一瞬で見抜かれた。
「いいえ、本当です。だからお願いです。」
俺は懇願した。
「…残念だな、横浜までなら行くんだけど。」
お兄さんは、言った。
「そうですか…」
俺は目を伏せた。駄目だと思った。
「がんばってね」
顔の見えないお姉さんが言った。
ちょっと、がんばろうと思った。
バンは走り去った。俺は取り残された。

俺は、諦めなかった。諦めない。
俺が本当に惚れてたのはAだ。Yじゃない。
でも、何故か諦められなかった。
雨に濡れて、排気ガスにまみれて。
煙草も無い。缶コーヒーなんて、とっくの昔に冷えちまった。
でも、諦めなかった。意地だったのかも知れない。

俺は、とにかくトラックに聞いて回った。
広島とか、大阪とか、とにかく西に向かうトラックに聞いた。
ナンバープレートを見ては、運転手に声をかけた。
全部駄目だった。

交差点で、中州に立ちつくした。
赤信号になる度に、止まっている車に聞いた。
「すみません、岐阜まで。」
「いや、そっちまで行かないから。」
「途中まででも…」
「俺は逆方向に行くんだ。」
パワーウィンドウは閉められた。
何台も、何台も、俺は聞いて回った。
ワパーウィンドウを開けてもらえない事もあった。
何度窓を叩いても、シカトされた事もあった。

何故、俺は諦めなかったんだろう。
本命じゃないなら、無理する事は無かったのに。


「チクショウ!話くらい聞いてくれたっていいじゃねぇか!」
俺はキレた。話を聞いてすら貰えない。
チクショウ。チクショウ。チクショウ!チクショウ!!
シケモクをくわえて座り込む。不味い煙草だった事は覚えてる。

その時である。信号の向こう側で、誰かが手を振っている。
俺は、ゆるゆると立ち上がった。
青信号を渡った。知らないお兄さんが、手を振っている。


「…これ、持っていきなよ。」
お兄さんは、俺に1万円を寄越した。
「もう、見てらんないよ。何か理由があるんだろ?」
俺は、何も言えなかった。何て言ったらいいのかわからなかった。
「…足らないの?じゃあ、ほら。もう一万。これで足りるだろ?」
「あっ…あっ…あっ…あっ…」
俺は土下座した。もう何も言えなかった。訳がわかんなかった。
だけど、知らないお兄さんが2万円くれたのは確かだった。
名前を聞く事すら忘れていた。

「や、やめてよそんな事。そんなつもりじゃないから!」
「あっ…いや…あっ…」
「返さなくてもいいよ。」
「えっ…あっ…」
「じゃあ気をつけろよ。雨降ってるから、風邪ひくなよ?傘くらい買えよ。」

こんな会話だったと思う。とにかく、俺は2万円を手に入れた。
早朝の電車で向かえば、約束の時間に間に合う。
俺は、東京駅に向かって、ゆっくりと歩き出した。
どんなに車に無視されても、まだ、いい人がいたのだ…と思った。
自分の事は、全く棚に上げて。

俺は、Aに電話した。間に合う、Yに会えるって。
嬉しくって、ずっと電話してた。
俺は、Aが好きだった。
でも、Aも俺も、本命は別にいるって事になってた。
俺の本命は、Aだったけれど。
Aには本命がいて、それが悔しかったから。

俺は、東京駅で、電池が切れるまで喋ってた。
もう、Aと喋ってるのが楽しくてしょうがなかった。

でも、俺は翌朝、岐阜に行った。
俺は、その2万円を、Aの為に使う事だって出来た筈だ。
何でだろう。別に、そこまでしてYに会いたかった訳じゃない。
そう、俺はAに見放されるのが恐かったんだ。




そんな、長い夏の一日だった。
今夜は、久しぶりに夜更かしをした。
煙草を吸ってから、寝るとしよう。

おやすみなさい。


散文(批評随筆小説等) 或る夏の日 Copyright 虹村 凌 2005-06-12 01:05:40
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