フルーツツリーで待ちあわせ
百(ももと読みます)

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 なんだ?



 猛烈な焦りが熱のように冷めてゆく。ロフトの階段を降りて、みあげる。おおきな船の天井板のようなスケール感。



 不思議だな。八重のヤマブキみたい。不安の芽が代を結ばない。欠落した感情の奥で笑顔になる。満面の笑みだ。ひだ状のお別れも消化したの?



 わからないことがわからないから面白いのだ。いいえといいたいことは自己愛。そうだねということは共感。はいということについて全肯定でありたい。



 普遍的な対象へと向けられたすきなひとの言葉を全肯定していたい。詩と愛らしい、愛は詩であるらしい。詩人はひとであるらしい。かみさま、詩にほほ笑まれるもの。かみさまは、きみのことがだいすきだもの。



 楽観的に罪悪感などと向こうみずに逃避することで得られるものは自己愛です。瞑想のなかでともにいられるシナプスは繋がるための共感覚。そこから始発し、終着する,「すき」としての全肯定。



 からだごとふにゃふにゃだった、みずに濡れたダンボールみたいなチャトラだった。そんなぼくちん、里帰りしてお家でね。栄養いっぱい蓄えて、もこもこの安心感を両手いっぱいいただいて、お仕事の体験利用は来年です。



 まるいおきもち、だいすきだ。十年ぶりに自分と出逢えたかのような。



 レモンの爆弾の織りなす宇宙にミルキーウェイがやってきて、ぼんやりとふたりで分かれたふたつ目の心臓を探す旅にでたのかな。



 恋と恋人は名前を変えるから難解なのだ。安心して、ぼくは「きみ」をレモンに変える。いつかいつかのフルーツツリーで待ちあわせ。ほっとレモンでひと息、あさ。

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散文(批評随筆小説等) フルーツツリーで待ちあわせ Copyright 百(ももと読みます) 2025-12-09 09:00:11
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