「アンチモンタージュ」なんて言葉を使うのは世界でもわた
しが初めてだと思うですがテレビというのは、
たとえばTBS『報道特集』の編集手法などは、詩を書くひ
とにとって、いいお手本になると思うのです。
まったくのデマとウソをモンタージュ手法を使ってまるでほ
んとうに在ったかのようにみせかける。その映像手法を元テ
レビ朝日の報道ディレクターがネットで解説しています。
https://www.youtube.com/watch?v=5BNfR2-PVBw&t=8s
【元テレ朝報道ディレクターが解説】TBS「報道特集」兵庫
県知事選の偏向報道〜
あとになってこの正体不明な女性が見せたスマホの画面が
まったくのウソであることが確認されている。そればかり
ではなく、このスマホ画面、斉藤知事陣営の人のスマホ画面
を無断使用したこともバレている。
こういう「いかさま」報道がつくりあげたデマ、フェイク映
像をわたしたちが何の疑念も抱かずに信じてきた歴史がある
のですが、とくに、
偏差値の高い大学を出た知能の高い人に限ってこの手の報道
を信じている。そしてわたしのようなあまり頭のよくない人
間のほうがかえって「洗脳報道」のおかしさに「あれえ?
これおかしい」と気づくことが多い。
これは何だろうと考えてきました。
そこではたと気づいたのですが、IQテストや高校大学のテス
トなどは「全体をみて─統合する」力の優劣を量る問題が
多いことです。多くの解答が、まず全体を見てそこにある法
則性を発見する能力がなければ解けない仕組みになっている。
小中学から高校大学までこういう能力に一貫して習熟してく
るとどんな脳みそになるか、みなさん考えたことありますか?
たとえば名所めぐりの旅などすると旅行写真用に顔の部分を
くり抜いた顔出し看板をみかけますよね。あれに顔を入れて
表情を変えると、例えば桃太郎やプロレスラーのように見え
て笑える。でもわたしたちはそれが2つの全然違う別のもの
であることを承知しているから笑えるのです。
とはいえ、2つの違うものを統合してあるイメージをつくる
能力─だれにでもある能力ですが、それが作用しないとそう
はならない。
──さて、
それはそれで、その程度ならまだいいのです。しかし、ある
断片の群れを繫ぎ合わせ、あるひとつのイメージに統合する
能力が高すぎるとどうなるでしょうか。断片ひとつひとつが
本来、別ものであることを忘れて、自分が統合したイメージ
に固執してしまうことはないでしょうか。
TBSの『報道特集』のようにモンタージュの手法を駆使した
洗脳映像、洗脳番組がつくりあげたイメージを容易に受取り、
真実相当であると確信する傾向がおそらく偏差値の高い人ほ
ど強いのではないでしょうか。
わたしのような頭の悪い人間は断片を断片のままに受取り、
それらを統合する能力に少し欠けています。それがゆえに情
報の氾濫の中でもひとつひとつの断片を断片的現実として感
受するのですが、偏差値教育のなかで統合する力を磨いてき
た頭のいい人たちはそれらから共通項などをかってに見出し
て断片を容易に統合します。
一度統合されて出来上がったイメージはもはや断片がもつリ
アリティや独自性は失われてしまいます。
CNNやBBC、朝日、NHKなどがこの二十年近くから垂れ流
す洗脳報道、デマ報道をなぜか高学歴の学者や批評家、詩人、
研究者たちが何ら疑うことなくすんなりと飲み込んで、それ
をもとに学や批評や文芸や思想が成り立っている現状をみる
とあ然とします。これが噴飯もののサヨクリベラルをつくる
大もとにあるのかもしれません。
いや、昭和の時代ならそれもまだよかったかもしれません。
しかしフェイク情報が氾濫する現代においてはむしろこれか
らは意識的に統合を失調する能力を磨くことも必要なのではな
いでしょうか。
いわゆる病いとしての統合失調症というものの病態の多様性を
熟知しているわけではありませんが、これは今後、病いという
より新しい時代においては、最先端を生きる一つの能力として
見直されることになる日が来るかもしれません。