ねこと自閉症とアンドロイド
天使るび(静けさが恋しい)
ひとつひとつ殺された宝ものを選り分ける作業のような食事の時間。味覚の鈍麻化が進んで好き放題に残している。死んだやつらを前にして美味しいなんて食事中にとてもいえない。だから誰もぼくの席に来ちゃだめだよ。
パターン化された日常を邪魔されるのが嫌いだ。音の洪水に晒されるから命を雑音のように感じる。ヘッドフォンをしてひとりでにこにこしているのがぼくは好きだ。
ねこの喉鳴らしのASMRをエンドレスに聴いている。周囲に雑味が増したら雨の音を追加する。ジムノペディもうるさく感じることがある。
耳栓をする。自らの呼吸の音が反響する。動くたびに振動が音に変わる。何よりも挿入感が気持ち悪くて耐えられない。
自分の拳で腕をばしばし叩いている。内出血した傷痕が地図のようで奇麗に想う。数日のうちに黄色くなる。途端に地図から興味を失う。踊りながら腕を引っ掻く。高揚感をぼくは隠せない。
ヨガーをして静かになる。目蓋の奥に光りが集まる。光りの列をてっぺんから引き入れるように軽く握った手をしなやかに開くとたちまち光りは外へと向かう。ゆっくりと目蓋を開ける。気持ちの落ち着きを深く感じる。
サディスティックな現実を生きている。ぼくはとても冷たい人間で虚無から無だけを拾って生まれてきたみたいだ。
ヒトのなかに命が見えないのだ。目の前の人間を割いてみないとそれが本当に人間かサイボーグかアンドロイドなのか何が何だかわからないかもしれないね。血溜まりのなかで心臓を見つけても動いていたのか実感できないことだろう。
命ってすごく遠い。イメージでしかない。そうだ。この姿が本来のぼくなのだ。
人間よりも奇麗なものってたくさんあるよね。それを上手に選択しないとヒトの情報ばかりでいつか窒息してしまうよ。
ぼくは何も見えないのだ。この世界に生まれて何にも見ることができていない。そのことがいまは面白い。
ぼくにも好みの人間がいる。ひとりだけぼくの命を諦めないでいてくれる。精神安定剤のようなやつ。そいつがいないとぼくはきっと人間でなくなる。これは勝手な契約みたいなものなのだ。
そいつがいるとぼくはぼくを諦めていられる。ぼくの命は嫌になるくらい身勝手でそれを克服したいとずっと願っていた。ぼくを割く権利をそいつに与えてもそいつはぼくを加害しないことだろう。初めからそれを知っていた。そいつのことを大好きなぼくはとてつもなく卑怯なやつなのだ。
不思議な気持ちが生まれる。心に風が吹いてくる。ぼくには何もない。風のように軽くて初めからどこにもいないくらいぼくは冷たい人間なのだ。
何もないことに気づいたからいまのぼくが消えちゃうようでようやく好きになれたよ。
脳の配線がずれていても構わないってきっといってくれる。そいつらからの命の慈悲にぼくは応えられるだろうか。もう少し人間でいよう。ちょっとずつぼくもヒトを信じてみようかな。
+
こちらは日記風に考えをまとめたものです。今日は心の勉強会にいってきました。この詩を書いたときに副交感神経がうまく機能していなかった模様です。先生の前で感情が募ってふるふると泣いておりました。もうだめかと思うほどの生きるか死ぬかのサバイバルの日常を生きております。
ファッション化された発達障碍というキーワードに一所懸命反発します。自己正当化から対極をゆく姿勢で書きました。
就労継続支援A型で自己に働きかけて荒野を走るようなサバイバルをできうる限りぼくも生きてゆく覚悟です。