バキューム・パック
ホロウ・シカエルボク
テーブルに散らばったいくつかの破片と手紙の束、破片がなんだったのか思い出せないし手紙を開いてみる気も無い、わざわざやって来る知らせが重要なものだった試しはない、最終的に返信を希望するやつは必ず電話をかけて来る、それまで答える気にもならない、頼んでもいない義務とかなんとか、そんなものばかり、時刻は午後、十四時二十五分を過ぎたところ、といってそこに特別なギミックがあるわけではなく…あくまである程度限定されるイメージの補助という程度の意味しかない、インスタントコーヒーが冷めかけている、それをどんな気持ちで入れたのか思い出せない、飲みたかったのだろうとは思うが、それは絶対的な欲望ではなかった気がする、確実な思いではない分だけ曖昧になりやすい、湯気はまだ上がってはいるが…木曜日にはお前は夜通し起きているのが好きだからこの時間に電話をすると嫌がるだろう、特別言伝があるわけでもないし…ひとつの結論としてコーヒーを飲み干した、一気に飲むにはいい温度だった、鼻から長く息を出しながら天井を見上げる、時々こんな風に天井を眺めてみると、果たしてこの天井はこういう色だったかと半ば本気で気にしてしまうのだ、昔からそういうところがある…この目にはどうも、様々なものがありのままには映らないみたいだ、ある日突然、色味や形状が気になって仕方なくなる、昨日とは違うような気がして落ち着かなくなってしまう…そう、当り前というものが理解出来なくなる瞬間というのが時々ある、それによってどんな被害を被ることもないけれど、そういう時ってどうにも落ち着く先が見つからない、キッチンでマグカップを軽く洗う、でかいコーヒーマシンとサーバーを持っている、もしも腹一杯飲もうと考えるなら十五人分一気に入れることが出来る、でもそんな風に思うことがあまりないからインスタントで済ませることが多くなる、まともなコーヒーの匂いは香のように景色に浸透する、どんな予定も無い休日にはきちんとそいつでコーヒーを入れる、四、五杯入れるけれど二杯は冷めたものを飲む、氷を入れてアイスにする時もあるけれど、アイスコ―ヒーにはそれ専用の粉を使う方が美味い、まあ、理屈で生きてるわけじゃないし、そういうことはあまり気にしない、どんなことにだって変化を求める心は必要だ、もしも同じことの繰り返しで良いのなら、人生なんて八十年も生きる必要はないだろう、時にはコーヒーそのものよりも変化というものが必要な瞬間というものもあるさ…それもわりかしコンスタントに、ね―苦みはすぐに何処かへ失せてしまう、俺はすでにそれを懐かしく思う、でももう一杯飲もうとは思わない、ノスタルジーは二度とやり直せないからこそ胸にしがみつくのさ、この日、この時間、焦点の合わない欲望と焦燥を抱えてインスタントコーヒーを飲み干した、例え安物だったと言ってもそれをやり直すことなんて不可能なのさ、そんな瞬間がもう一度欲しいかって?欲しい時だってあるし、欲しくない時だってあるよ、思い出とか記憶なんてだいだいそういうものじゃないのかい、過去を思う時って…もう一度顔を洗おうと思った、居座っている夏のせいで汗が少し滲んでいたし、週明けには煩いほど言われていた雨が予定をキャンセルしてから散歩に出かける時間が出来たから、その前に少しすっきりしておこうと思った、顔を洗って少し自分の顔を眺める、歳を取ったなと思う、でもまだそれを受け入れようとは考えていない、身体の衰えなんてまだ感じたことが無い、もしかしたら今がピークかもしれない、出来ることは歳を取るごとに増えている、そして、それをどんな風に追い求めたらより良いものに出来るのかということを探しながら行うことが出来る、人生は最後の瞬間までメイクしていくものさ、でもそれが要領や才能によって行われては駄目だ、それはあくまで純粋な欲望のかたちをしてなくちゃ、常に何か、どこかで見えているんだ、自分がこれから何をしようとしているのか、いったいどんなことを手に入れたいと考えているのか―そいつははっきりとした答えを求めていないから言葉にすることは出来ない、また、追いかける必要はないものだと感じる、俺はただただ詩を書いて曝していればいいだけさ、俺の感情はそれが意識下であれ無意識下であれすべて詩になりたがる傾向があるんだ、だからそいつと真剣に向き合おうとするととても忙しい思いをしなければならない、魚が大量にぶち込まれた釣堀に針を垂らすようなものさ、餌を投げ込めばたちどころに食いついてくるだろう、だけどその時に、食っているのか食っていないのか分からない僅かな引きを持つものが居るんだ、そいつらの生態は定かじゃないけれど、そんな感触があればラッキーってもんだ、そんな曖昧な手応えこそが、まだ知らなかった領域へ連れて行ってくれることって、これまでにもよくあったんだよ、思うに確信じゃないんだ、分からない領域を書こうとしているのだから、それは吹聴するには向いていない事柄というわけだよ。