下野
田代深子


めぐりきた
この日はなぜやら 決まって晴れる 蒼い
冥い中天に垂れなびく布帯 黄 紫 緑
八方の声明 太鼓と鉦 衆生の足は土をたたく
たたく
肉焼くにおい 黒ずみはじめた果実の甘露
巡礼たちの饐えた衣服 香木香油の焚きこもる
におい
においを 俺はひとたび逃れ路地にすべり入る
三日前の雨でぬかるみ汚濁に滑る隘路
猫たちは忌み二階からビニール幕を辿って
まろび降りてくる塵桶を蹴倒して跳びここから
消えゆく
俺もまたしばし この日をわざわざにえらんで

いまだ
逡巡と声明薫香に身をまかせ足音のうすら伝う
軒先の丸椅子に腰かけ 濁酒を一献
さらに一献 さらに
さらにも
線香灯る路傍の祠へも一献
累ねがさね幾十年の失敬を詫び 手を合わす
股ひらげ腕くねらした ふたなり神の
一身に兼ねる陽物と陰所の充足をうらやむ
懐し初めての女の 荒れた皮膚を掌におもう
あるかなしかの乳房 黒い乳首をのせた肋を
いくたり指で舌で擦りたてた そのにおい
天蝶の鱗粉かくのごと と感じむせた香油の
胸つく

誰かを待っている 誰であっても いじましく
乾いた空言も尽き ただ顔を俺は ゆるりと
見わたすだろう誰かれなく抱くやもしれず
そうしながら俺みずからに 別れを惜しむまい
告げよう
ここに来た その心根ばかりがうれしい と
いじましさも今さら 涙も惜しまず流すまま
走り降り 衆生の群に身を擦れば におう息もて
さだかならず足の ほつれるまま 下へ
下へと
冥く虚空の透ける蒼日天を背に負い 土へと
走る俺のうしろを 鼓をうち鳴らし見送ってくれ
ともがら

めぐりきた この日 駈け降りる石くれの勾配
巡礼衆生の群を掻き分け ひたすらに降れば
甘露の香もうすれ涙は乾き去るだろう
額は蒼く透け 知らず頬笑み 足は土をたたく
たたく






2005.5.22


自由詩 下野 Copyright 田代深子 2005-05-22 06:30:36縦
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