ある日の叔母のこと
朧月夜

 日付が変わったくらいから、雨が降り始めました。昨日は日中もそれほどの暑さではなく、扇風機などかけていると涼しいくらい……お昼過ぎくらいからうとうとと寝ていたのですが、午睡のさいちゅうに母方の叔母が父を訪ねてきました。母が生きていたあいだはちょこちょこと顔を見せており、韓国風のお好み焼き(?)ですか。チヂミなどを差し入れてくれたり……。

 母が亡くなったさいにもさいしょに駆けつけてくれたのが、この叔母で。男勝りのまっすぐな性格で、若いころにはキャバレーでホステスなどをしていた。いちど、母に連れられて叔母の住むマンションを訪ねて行ったことがありますが、昼間だったために呼び鈴をおしても出て来ず……

「叔母ちゃん、昼間に寝ているの?」──と、夜の職業ということを知らなかったわたしは、驚いて母に尋ねた覚えがあります。母は叔母とは対照的に水商売が嫌いで、そうですね、いわゆる堅物だったのですが、そのときもあいまいにごまかされて、戸惑ったのでした。部屋に入ると(母は勝手に入った)、起き出してきた叔母は「〇〇ちゃん、アイス食べたいでしょう?」と。

 百円を渡されて、一人で近くの商店に行かされたのですが、あまり子供には聞かせたくない話をしていたのかもしれませんね。ところが、叔母のマンション近くには店らしい店がほとんどなく、三〇分ほどあちこちをさまよってようやく一軒の店を見つけ、アイスは買えたものの、今度は帰り道が分からず……よく帰りつけたなと思います。

 やっと叔母のマンションを見つけたものの、わたしは部屋番号なども聞かされておらず、記憶を頼りに心当たりの部屋をノックして……叔母が驚いたように出てきましたが、わたしは「お店、全然なかったの……」「そんなに遠くまで行ったの?」などと。母との内密の話はすでに済んでいたらしい。母のことだから、「水商売は辞めなさい」とか、そういう冷たい話をしたのだろうと思う。

 ──突然の来訪にも気づかなかったくらい、叔母はすぐに帰って行ったのですが、父が「〇〇叔母ちゃんが、今日来てな、お金貸してくれって……」「えっ?」叔母は決してお金にだらしないほうではなく、結婚して子供が生まれた後には、デパ地下で販売員などをしていましたが、離婚歴があり、一人は実子、二人は再婚時の夫の連れ子。

 今は夫にも先立たれ、二人の連れ子は美大を出て画家を目指していたものの、芽は出なかったらしく高校の美術の講師になり、今はそれも辞めて普通の仕事をしている。実子の娘は、結婚して叔母の家近くに住んでいるものの、叔母はアパートに独り暮らしで、あまり訪ねて行くことはないらしい。家の家系は、すこしバガボンドの傾向があるらしいです。

 今まで、叔母からお金関係の話など聞いたことがなかったので、わたしは叔母に何かあったのかと驚き……。「なんで? どうしたの?」「なんもね。お金ないんだろ?」──そこは、何があったのか聞いてほしかった。「貸して」というのが「無心」のことだとは分かっていても、叔母なら律儀に返しに来るかもしれない。そんなことを思った……

 若いころにはビールを飲みながら、煙草をくわえながら、叔父たちと賭けマージャンなどをすることもしばしばで、そんな叔母にわたしは母よりも親しみを感じていましたが……。いちど、「〇〇叔母ちゃんの子供だったら良かった」と、まだ未婚の叔母に言い、母と叔母を困惑させたこともあったりします。冷たい娘だ、わたし。

 母の兄弟のなかで母と一番親しかったのが、この叔母で、陰性の母とくらべると、はっきりと陽性でした。祖母が晩年、入院して死の床に就いていたとき、母は毎日病院に通っていた。叔母が時間を見つけて、祖母のもとを訪ねたところ、母が「あなたは来なくって良いのよ?」と。それにたいして「ネエちゃんだけの母ちゃんじゃないだろ!」と叔母はぶち切れたらしい。

 そんな叔母……母が生きていたあいだは、「このごろは何もしないのよ。夜中に起きたらお線香あげて、朝になるころには何もかも済ませてしまって」と、外出などはほとんどしないものの、体が悪いというそぶりは見せなかったし、見えなかった。母の一周忌のさい、一年前とは打って変って歩行器がなければ歩けなくなっており……急な変化にわたしは驚きました。

 母の一周忌のさいの会食にも、わたしは参加できなかったので、叔母の詳しい近況などを聞くことはできませんでしたが、叔母は叔母なりに、母と親しくはしていても、叔母なりの対抗心のようなものを持っていたのかもしれません。このごろの気候のせいで、たぶん足腰がだいぶ悪くなっているのだろうと、お金を借りに来たのはそのことが理由、とわたしは想像するしかありません。

 叔母はあっというまに帰っていったのですが、その短いあいだに、庭の蕪と胡瓜を取って、浅漬けを作っていきました。父方のレシピとは違って、薄味で、ほんのりとかすかに塩味えんみが舌に残るのが、わたしにとっては心地よい。叔母の差し入れはいつも既製品ばかりで、叔母の作った料理を口にするのは、これが初めてだったかもしれません。「作ってあげた」みたいに見られるのが、たぶん叔母は嫌いだったのだろうと思います。

 まだ雨が降り続いていて、(今は午前2時)父が今晩は早くも三度めのトイレに立ちました。いつもより多いです。……「いっぱい作っていったんだ」と、父は叔母の漬けていった浅漬けのことを言い(わたしは食べたあとで聞いた)、「お前、唐黍とうきびか西瓜、食わねが? (叔母が)半分だけ食べていったんだ。俺が食うと、トイレ行くから……」

「いや……食べない」わたしは、二十代のころからほとんど果物を食べなくなっていて、ここ最近は野菜もほとんど口にしていないのですが、なにかの予感があったのか……。叔母が作っていった、浅漬けの繊細な味付けは、たぶん忘れないような気がします。──夏の暑さは、まだ続いています。


散文(批評随筆小説等) ある日の叔母のこと Copyright 朧月夜 2024-07-18 18:08:19
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