平和のために望むもの
黒髪

なぜこんなにも、偉い大人にならないといけないのか、どうしてこうも金を稼げない引け目が取れないのか、と考えたが、大人になるということは、責任を持たなければならないのだ。どういう責任かと言うと、子供たちに対する責任、高齢者に対する責任だ。

国連総会決議 53/243 千九九九年 九月十三日
「平和の文化に関する行動計画」
http://hrlibrary.umn.edu/japanese/J53GAre2431998.html
相互信頼と、寛容さが謳われている。軍隊の解体などにも言及。

平和宣言【令和5年(2023年)】
https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/346475.html
日本は、被爆者への補償も渋々のように見える。国外にどう映るかと言うと、日本は非核とか言っていても、被爆者さえ救おうとしていない、つまり、ダブスタで自国中心主義に他ならないじゃないかと映っているだろう。アメリカで、『オッペンハイマー』に惨状の映像がない、という。そして、原爆投下の正当化をアメリカがしていると非難する。だが、戦争中、「鬼畜米英」などと言い、他国を人間視していない国に対して、当然の報いではないか。自業自得である。こう言えるのも、戦後世代だから、と非難されるかもしれない。だが、戦争体験のある人が、晴れがましく平和を謳えるのか。そんなはずはないだろう。人を殺した経験のある方も、多くいるのだ。日本の伝統のみにより、日本は許されてきた。正直じいさん正直ばあさんの、福徳が与えられてきたのだ。物語の原型は、構造主義により明らかにされた。世界も人生もストーリーをたどる。胸のすく物語を、一杯味わった。今はもう、現実の人生が、胸のすくストーリーになればよい。平和の鐘は何度も鳴っている。鳩は飛び、白鳥は海を渡りやって来た。この世で一番悪いのは人間なんだそうだ。そして最も美しいのも人間だ。運命にあらがって生きる人の姿が一番美しい。血で血を洗う戦争や、拷問の見世物を楽しめる人なんているわけがない。全ては、めちゃめちゃだったのだ。戦争経験があって得だった、いいことができた、なんて人間がいるわけがないだろう。この世にある聖なるもの、誰もがそれに触れている。命を奪うことが最大の簒奪で、盗賊の輩達に好きにさせてはいけない。力とは平和を守り、命を守るために使うもの。フォースの暗黒面に落ちたものが、たどる末路よ。フォースと共にあらんことを。


散文(批評随筆小説等) 平和のために望むもの Copyright 黒髪 2024-05-18 09:36:40
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