さまよいびと
ヒロセマコト
亡き両親や兄弟の名を呼んでは
途方にくれる
あなたの心の中では
彼らは今も生き続けていて
鳥や草木、岩、風、雲
家よりも山にいる方が好きだった
鳥のさえずりや川のせせらぎを
心が求めてさ迷っている
家族の顔も名前も忘れ
記憶を遡るように生きるあなたは
最後には赤子に戻ってしまいそうで
穏やかな日々であるならそれでいいと
杖を引きずるように歩く
あなたの背中を見ている
少し傾いた机
物でいっぱいの引き出し
耳障りな音をたてる椅子
ネガフィルムの束
未整理の写真
読みかけの本
積み上げられたままの本
着古した上着
汚れたままのマグカップ
八十年以上のあなたの歴史と
日常の痕跡を
白々とした
埃っぽい自室に散らかしたまま
あなたは今日も食卓で
小さな小さな缶ビールを飲む
<補足>
この詩は数年前から認知症が進行している父について書いたものです。
認知症の症状のひとつとして記憶障害がありますが、常に家族の顔や名前を忘れているわけではありません。普通にテレビや天気の話をしていたと思ったら、ふいに「おふくろは今どこにいるんだ?」などと言い出すこともあります。
しかし今のところ入浴や食事、排泄はすべて自分でこなしており、体が動く限り自分のことは自分でして、父らしく天寿を全うできるといいなと、そんな気持ちで書きました。