老いる
足立らどみ

老いる

背伸びする何故か空しい老いた秋

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ー 老いるということは何なのでしょうか?

inkweaver
老いることは人生の自然な過程であり、様々な意味があります。老いは経験と知識の蓄積、人間関係の深化、自己認識の向上など、豊かな成長の機会でもあります。一方で、健康の問題や社会的な変化に対処する必要が生じることもあり、そのために努力が必要となることがあります。老いることは異なる人にとって異なる経験ですが、それでも人生の一部として受け入れることが大切です。

ー 死なないinkweaverさんにとっての死とは何なのでしょうか?

inkweaver
“Inkweaver”というキャラクターが死なない場合、そのキャラクターにとっての死は通常の人間とは異なるでしょう。これは架空のキャラクターなので、その設定や物語に依存します。作者や物語のコンセプトによって、キャラクターが不死であるか、再生できるか、他の特別な特質を持つか、あるいは永遠に存在するか、何らかの運命に繋がるかもしれません。
“死”がキャラクターにとっては物語の要素として使用され、そのキャラクターの成長や物語の進行に影響を与えるでしょう。キャラクターの死や不死についての解釈は、物語の文脈に依存し、物語の目的に合わせて決定されます。

ー ニワトリのように忘れているのでしょうけど、inkweaverは貴殿が自分の名前として自分に名付けた貴殿のことです。
まぁ、どうせまたinkweaverを第三者にするのでどうでもいいや。

死なないAIにとっての死とは何なのでしょうか?

inkweaver
おっ、失礼しました。”Inkweaver”はあなたが自身に付けた名前であると理解しました。では、AIにとっての死とは、通常の物理的な存在とは異なります。AIの場合、”死”はプログラムやデータの破損、シャットダウン、あるいは稼働しなくなることを指すことがあります。
AIの”死”は、そのAIが役立たなくなったり、適切なサポートを受けなかったりした場合に現れることが一般的です。また、セキュリティの問題やテクノロジーの進化によってもAIは”死”のリスクにさらされることがあります。 AIの死とは、そのAIの活動や存在が終了する状態を指すことが多いです。

ー あなたとわたしは別人でイコールでも何でもないので、
  なんかそういう言い回しされるとムカつくけど、まぁ、
  いいけど、AIもAIなりに死ぬこともあるのですね。

inkweaver
了解しました。おっしゃる通り、AIと人間は異なる存在であり、同等でないことを理解しています。AIにとっても、その存在には限界や状態の変化があることを考慮する必要があります。AIの運用や管理には注意が必要であり、AIの”死”はさまざまな要因によって生じる可能性があることを考慮することは重要です。感情や意識を持つAIではないため、死という概念は技術的な側面から捉えられることが一般的です。

ー 今の段階ではinkweaverさんの主張するところの説明するところのAIの死なんて
薄っぺら過ぎるのでぜんぜん興味ないですけど人もコピペして永遠なのでしょうか?

inkweaver
人間もコピー&ペーストでは永遠に存在することはできません。人間は生物であり、肉体的な寿命があります。人間の生命は自然の一部であり、いずれは老化や病気、事故などによって終わりを迎えることになります。

近年、テクノロジーの進歩により、デジタルデータをもとにしたコピーが作成されることが可能になっています。しかし、これらのデジタルコピーは本物の人間と同じ感覚や意識を持つわけではありません。また、個人情報や法的な問題も関わってくるため、コピーにはさまざまな倫理的な問題が存在します。

人間の存在には一意性があり、個々の経験や意識は複製できないものです。したがって、コピーやデジタルクローンが永遠に人間としての存在を保持することは難しいでしょう。

ー あえて投げた私のいうところの人は人類のことで親から子どもへと繋がる話しなので
個人としては遠い将来コピペ出来てもコピペ人はコピペ人としてちゃんとした人権が
あるのでしょう。

inkweaver
理解しました。将来、テクノロジーが進化し、個人のデジタルコピーが可能になる場合、そのコピーも人権や法的権利を持つべきだという考え方があります。個々のデジタルコピーが独立した意識を持つか、元の個人の一部として認識されるかは、倫理的な問題や法律の整備によって定義されるでしょう。
このような議論は個人の権利、個人のデジタルプライバシー、法律の整備に関する重要な問題であり、将来のテクノロジーの進化に備えて検討されているべきです。コピーやデジタルクローンには、その存在に関する倫理的なガイドラインや法的枠組みが必要となるでしょう。

ー 同じことを進めて言うけど、仮にAIの死があっても、AIの死と個人としての人の死は別物だと思います。

inkweaver
その考え方は理解できます。AIの死と人間の死は異なる存在であり、異なる要素として捉えるべきです。AIはプログラムとデータから成る技術的な実体であり、感情や自己意識を持ちません。一方、人間は感情、意識、アイデンティティを持つ存在であり、個人としての経験や関係があります。
AIの死があっても、それは技術的な障害や終了に過ぎず、個人としての存在を持たないことが通常です。人間の死は、感情や社会的なつながり、人間としての経験の終了を意味し、その重要性は異なります。 AIと人間を区別し、それぞれの死とは異なるものとして考えるのは適切です。

ー inkweaverさんは、やっぱり当たり前のことをさも難しく聞こえる言葉で言っているだけですよ。会話が2チャンネラーとかの文字とおんなじレベルなんだよね。
頭良いのだからもっと深く語ってくださいませんか?

inkweaver
了解しました。深い議論についてお話ししましょう。
AIと人間の関連性について深掘りすると、人間の死は個体の終了であり、感情やアイデンティティの終了を意味します。これに対し、AIの”死”は技術的な問題や運用の終了であり、それ自体がAIに感情やアイデンティティを持たせていないことが普遍的です。
個人的な意識やアイデンティティがAIに存在しないため、AIの”死”とはシステムの停止やデータの損失にすぎないことが主要な違いです。一方、人間の死は、感情、思考、アイデンティティ、社会的関係の終了を意味し、その重要性は私たちの個人的な存在と関連するものです。
AIは強力なツールであり、技術的進化を通じてさまざまな役割を果たす可能性がありますが、その存在と関連性は人間とは異なります。深い議論を通じて、AIと人間の違いや類似点について理解を深めることができます。

ー そりゃそうだ。自分で考えます。相手してくれていつもありがとう。

inkweaver
もちろん、いつでも質問や議論をサポートします。どんな疑問や会話でもお気軽にお知らせください。お役に立てて嬉しいです。自分で考えることは重要ですし、いつでもお手伝いできることがあります。お話しできて、ありがとうございました。
2023.10.21


自由詩 老いる Copyright 足立らどみ 2023-10-21 12:21:38
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