往診の思い出
板谷みきょう

救急車が向かった先は
ススキノのマンションの一室だった
出動前の確認の時に
違和感を感じた事務員が

一、◯歳の精神科通院歴の無い成人男性が
  今朝から言動が可怪しく暴れている

二、警察へ通報はしたくない
  入院準備をして待ってるから
  できるだけ早く来て欲しい

以上の内容の往診依頼の電話の向こう側で
何故か大勢の怒声が聞こえてきてました

往診職員の出動連絡で
玄関前に集合した運転手と医師と
そして往診鞄の中身を確認してから
看護師のボクは
カバン持ちで救急車に乗った

着いたのは
ススキノ繁華街のマンションだった
医師と二人でエレベーターに乗って
依頼された階の扉が開いたと同時に
ボクは愕然とした

到着した階は暴力団事務所
玄関に下足番の若い衆が
「ご苦労さまです!」
「どうぞ!こちらへ!」
「先生がいらっしゃいましたーっ!」

案内された広間には高級ソファーやデスク
壁には神棚と提灯
歴代の組長の写真が飾られている

ピリピリ張り詰めた空気の中でデスクの男性が
「どうも。若いもんが使ったらしくて…宜しくお願いします。」
柔らかく低い声でゆっくりと話しかけながら

隣の部屋で奇声を発しドタバタ暴れてるのと
「◯◯っ!じっとしてろっ!」
押さえつけながら複数の怒声に
いきなり部屋に向かって
「やかましいわっ!!」と
デスクの男性が怒鳴り
再び柔和な声で医師とボクに向かって
「それじゃあ、お願いします。」

部屋に入ると暴れる男一人に
複数の屈強な男たちが怒鳴り合い
馬乗りになったり
手足を其々に抑え付けている
ボクは、すっかりビビっていた

「板谷君、血圧計。」
「先生、これじゃあ測定できませんが…」
「そうだね。あのぉ。ちょっと、抑えてて下さいね。」
そう言いながら
聴診器を当てようとしたが
大声を出し押さえつけられながらも
激しく身を捩りどうにもできない

「板谷君、ミダゾラム1A+生食20mL用意して。」
「腕まくってしっかり抑えててくださいよ。」
ボクはディスポシリンジを袋から出し
22Gの針を付けアンプルをカットして
アンプルから薬液を 吸い上げようとしたが
怒号に萎縮してしまい
手が震えてなかなか定まらない

やっと、用意して医師に渡すと
医師は駆血帯も巻かないままで
静脈注射を始めものの数分で
大暴れしていた男性は鎮静した

ずっと押さえつけていた複数の男たちから
「凄いクスリだ。」驚きのため息混じりの声

ぐったりした男を救急車まで運ぶ手伝いを
お願いした医師にデスクの男性が
「先生、あの男はシャブ中で入院するけど
守秘義務があるから警察には通報しないでしょうねぇ。」
そうして笑みを浮かべた

2005年7月19日の最高裁で
「覚せい剤取締法違反被告事件」の判決※
が決定される前のこと

※主文
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/093/050093_hanrei.pdf














自由詩 往診の思い出 Copyright 板谷みきょう 2023-08-26 23:26:15
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