自由なのは読者ではなくて書者なのです。
足立らどみ
コロナが5類になってからマスクを外す人も多くなり、あれ?
隣に座っている同僚の顔ってこんなだったっけあるあるが、
あちらこちらでおきている毎日ですが、今はポエムの日々だなあ
とすごしています。
何故、そう思っているのかを書くと長くなるのですが、短めに。
言葉は沢山のことを物語っているにしても、詩として読むときは
短詩でも長詩でも小説に比べたら短くて、それなのに、
短いのに、たくさん情報その他なんかが伝わってくるわけだけど
プロの詩人のなかでも詩の解釈は個人の自由だとテレビとかでも
最近、また、平気で言い切っている詩人たちが複数いるのですが、
実は凄く難しいテーマが孕んでいるなと思います。
1、ほんらい、詩はとても深いので感想を書くのは大変な作業になる。
2、もともと文字数としての情報が少ない詩なのに感想も少なくなる。
3、そもそも、物量では負ける詩が、消費社会で消えていってしまう。
深くてたくさんある「解釈」を束として受け取って束として返す感想は
稀有な仙人世界の話になってしまって、ネット世界では次の世代交代が
とてもじゃないけれど、出来なくなってしまっている。。。
ならば、そうならないためにも、硬い紐をゆるめて、詩をよくある枠の
文芸やもっとひろめて工芸品として、自由に評価する対象にして購買を
多くして詩界を残そうというのが、素人詩人と一線を引く彼ら彼女らの
言動のひとつなのだと思いたいです。
いやいや、たんなる有名になっていくにつれて、食べるために、金を
出させるために、自由だ自由だと読者らをヨイショしているなんては、
また始まっているのだとは、思いたくないから書いているのですが。。
多くの読者は騙されているとは思ってないけど勘違いボーイやガールに
なりそっちの方向のつまらない作品を書者となってほしくはないのです。
時間は有限なのですから。
私と違って、みなさまに才能があるのを認めているから、ばかみたいに
こんな文章を書いているわけだけど、、、、
自由なのは読者ではなくて書者なのです。
以上
※
自分自身には「ネット詩は現在詩」であるという概念世界を
孤独感から作り上げてしまって参加しているのであしからず。