メモ
はるな


言葉が溶け合って呼吸するような文章(世界)のことを美しいと思います。
空間を飾るような文章。言葉は本質であるかもしれないけれど、文章は額縁である方が好ましいとも。
でももう社会はそれを許容しないのかな、曖昧であることを、曖昧である、というそれだけの意味のまま引きずり出して、金型を作ろうとしているな。型を増やして増やして増やした果てに、これだけたくさんの種類があるんだからどれか選べないわけないじゃないですかって感じ。
わたしは、型にはまるのが嫌いじゃないですが、かといって上手にハマっていられるかというとそうでもないので、ずっと居心地は悪いです。だからときどき身体や心が出かけて行って、良い風景をみたり聞いたりする。風景は、街だったり音楽だったり詩だったりする。社会が全部区画整理されて、混沌にも看板が付いたらちょっと嫌だなあ。路地裏の暴力は裁かれるべきだけど、路地裏が全部なくなっちゃったら切ないな。

もう、どうしていいかわからないくらい急に暑くなったから、ちょうどいい、溶けるような気持をしよう。と出かけて行き、少し気温が下がった街を歩いて帰ってくる。くたくたに疲れた紫陽花を撫でたりして、夕方を見ていると、今度は娘が赤くなって帰ってくる。もう生きていきたくない、と思うし、思いながら夕食を作るし、明日のぶんのパンを買う。もう生きていたくないな、どこにもいたくないな、と思いながら、木々に水をやり、花を剪定し、娘の髪を梳く。でも、本当にもうどこにいないかもしれない。思うことや考えることは、誰かだって同じようなことを考えているだろうし、細かい細かい傷もありふれていてどこにもあるので。どこにもいないかもしれない、と思うとき、ちょっとこのこの世界にいるような感じがする。どこにもいないかもしれないから、別にいてもいいのかなと感じる。テレビ、ニュースとニュースの隙間、花が咲いてちょうど散る瞬間、風船の空気が抜け始めたところ、夕方、電気をつけようかつけまいか迷うくらいの薄暗さ、そういうところには、別にいてもいいのかなと感じる。



散文(批評随筆小説等) メモ Copyright はるな 2023-05-18 17:34:20
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