自分語り
木屋 亞万

 つぶれそうだった。押しつぶされそうだった。というより、とっくに潰れていた。ストレスに、悪意に、とらえどころのない未来の漠然とした不安に、狭い教室の中に押し込められて同じ空気を吸ったり吐いたりし続けていることに、平凡である自分と失敗だらけの無能で愚かな日常に。死にたいと思っているようで、実際に死ぬほどの気力も覚悟もないような。ただ絶望して悲観して腐っていた。

 しがみつく杖を探すように、インターネットを開いたら、そこに詩の掲示板があった。現代を生きる人たちが自分の言葉で表現していた。それは、鬱々とした思いやら、まがまがしい憎悪やら、美しい世界やら、前衛的過ぎて理解の域を超えた言葉の羅列やらで、宝石箱のようでも闇鍋のようでもあった。自分も書いてみることにした。現代詩なんてものが何なのか考えたこともなかったけど。国語の時間に詩を書きましょうと言われ、強制的に書かされたことしかなかったのに。はじめて書いた詩は、今はもう閉鎖されてしまったサイトともに消えてしまっている。詩をはじめて書く人がよく通るであろう当たり障りのない、良くも悪くもぼんやりとした詩だったはずだ。でも、その詩が救いになった。吐き出すと楽になった。汚い比喩だが嘔吐下痢のあとに似ていた。自分の中で悪さをしていた汚物が排出されたような感覚。そしてすぐに反応があった。自分の書いたものが評価されるというのが、はじめての感覚だった。誰かが読んでくれたんだ。自分の言葉というものを本当の意味で手に入れたような気がした。

 インターネット上にはたくさんの詩人がいた。当時、多くの票を集めていた人気の詩人は何人もいて、目標であり憧れでありカリスマであり天使であり神様だった。どこに住んでいる誰なのかは全くわからないけれど、性別や年齢は何となくわかった。匿名だから、気楽にできるのかもしれない。読んでいて支えになった言葉たちもあった。それは詩であったり、日記であったりした。ほんとうに救われて、あの人たちの言葉がなかったら、もっと悲惨につぶれきった人生だったろうなと思う。からっぽだったものに、あたたかい空気やら、綿やら、羽やら、お湯やら、そんな良さそうなものが、じんわりしみてくるような感覚だった。

 朗読というものがあるのも知った。家族が寝静まった夜にデスクトップの前で、小さな音で流してみた。この詩を書いた人はこんな声をしているのか、こんな調子で読むように書かれていたのかと思った。詩集を自費出版している人たちもいて、その販売をするイベントにドキドキしながら客として入ったこともあった。結局、誰にも声をかける勇気はなかったけれど、何冊か本を購入し今も本棚にある。インターネットで詩を書く人が、実際に集まっていることがうれしかったし、誰が書いているかわからない神秘性が少し薄れたような寂しさもあった。

 SNSもはじめてみた。時間が経つにつれて、人はうつりかわっていき、更新の途絶える人やアカウントごと消えてしまう人も少なくなかった。「好きです、あなたの詩に救われたんです。」と伝えることがそれを防げるのなら、いくらでもしたかったが、どうしても変に力が入ってしまい、気持ち悪い感じになってしまった。コミュニケーションが苦手なので、SNSという媒体には適性が低かったのかもしれない。結局、SNSはちょっとした読み物として情報収集をすることが目的のものに落ち着いた。今ではたまに映画やマンガの感想を書くくらい。

 詩を書き始めた時のような、緊迫感も、息苦しさもどこかへ失くしてしまった。繊細な頃と言うのを過ぎてしまったのかもしれない。感受性が低くなったのかもしれない。別に自分の何かが劇的に成長したり、人生が好転したわけでもないのに、書きたいという衝動みたいなものがすっかり薄れてきてしまった。後ろ向きな性格は割とそのまんまだけれど。
 自分も消えていく一人になるのかと思ったけれど、細々と書き続けている。やはり、誰かと面と向かって話すより、一人でだらだら何かを考えて言葉にする方があっているのだろう。
 自分の書いたのと似たような詩は、ネット上にたくさんある。同じことをつぶやいている人もたくさんいるかもしれない。そのことに嫌気がさしていたときもあった。でも自分の声として、自分の中から出るものをまとめていくことも大事なのかもなと最近思うようになった。このフォーラムにも15年以上お世話になっている。ここはずっと残っていてほしいなと思う。
「いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。」
ということを言いたくて、詩にはまとまらなさそうだから、散文としてここにおいていきます。


散文(批評随筆小説等) 自分語り Copyright 木屋 亞万 2023-03-12 02:09:50
notebook Home 戻る