爛漫
秋葉竹





なぜ、言葉って
誤解されるのだろう?

だれがだれに
ほんとうの言葉を
伝えているのだろう?

その人に向けて
云ったわけではない
言葉を
その人には
じぶんに向けられた言葉だと
受け止められたら
それはとっても哀しいことだね

たとえば
『要らない』って言葉
「あの、もうええんちゃう、
やっぱ、要らんやろ」
だれかがだれかに云ってる言葉

じぶんに向けられたと
誤解して

(私のことを喋ってるんだ)と
想うとき
ただの言葉はナイフになって
その人の心をグサグサ刺すよね

でも
それは
必ずしも
『私』が悪いわけではなく
たとえば
冬の寒さが
すこし
体も心も痛めつけてくるから
ちょっとだけ
勘違いさせられているのかも
しれないね

はる、
春の陽気な声が聴こえてくれば
やさしくあたたかい声が
聴こえて来さえすれば

また明るくくったくのない心が
戻って来るかもしれないね

そんな景色が、春、爛漫、

あゝ、春、爛漫。


はやく、来い、
春よ、来い、


世界も、夜空も、人も、心も、
みんな、みぃーんな、
あったかくして?

アイツも、アノコも、キミも、ボクも、
みんな、みんなを、
やさしくくるんで?


あゝ、春爛漫、
それにつけても、春爛漫、
そんな景色を、眺めて、みたいな









自由詩 爛漫 Copyright 秋葉竹 2023-03-04 09:10:17
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