伊藤さん
ちぇりこ。
数年前に施行された
ロボット機会均等法により
ぼくの職場にもとうとう
アンドロイドが一人配属されてきた
(伊藤です…)
自己紹介もそこそこに
早速仕事に取り掛かる伊藤さん
マサチューセッツ出身の伊藤さんは
てきぱきと業務をこなす
最先端のテクノロジーだ
伊藤さんは1日に1度背中の投入口から
油をささなければならないと言う
毎日の昼休み毎に油をさす係は
いつの間にかぼくになってしまった
半ば形骸化したと思われる
そのような行為をぼくは嫌いじゃない
最先端のテクノロジーでも油さすんだね
(関節をスムーズに動かせる…)
それなら直接関節にさした方が
(背中のコアから…各関節に行き渡らせる…)
球体関節が見たいとぼくが言うと
(セクハラです…)
背中は平気なのだろうか
伊藤さん休日には
子ども食堂のボランティア活動を
手伝っていると言う
真夏日の続いた5月の終わり
伊藤さんから
(泳ぐの…得意)
おもむろな告白だ
息継ぎしないでいいからね
(プールの底に…沈んだらさ…)
錆びちゃうの?
(その時は…油さして…)
形骸化どころか生命線だ
予定のない休日に伊藤さんから
(川辺り…歩きたい)
突然のお誘いを受ける
相変わらず真夏日は続いている
約束の時間が近付くにつれ
ぼくの体温が熱くなってくるのは
気候のせいだけなのだろうか
待ち合わせの広場に
小刻みな歩行の駆動音が聞こえてくる
いつもより心なしか軽快に聞こえる
時折りの強風が伊藤さんの淡いピンクの
フレアスカートの裾を捲り上げる
あ球体関節
(セクハラ…です…)
ぼくと伊藤さんは川辺りの道を歩く
ぽつぽつと吐き出す気泡のように
ぎこちない会話を交わしながら
低空飛行の燕が
ぼくたちの頭上を掠めて行く
真夏の到来を促して行くように
(蝉…って変わってる…と思う)
また突拍子もない告白だ
夏の夕暮れどき陽が落ちると
暗い土の中から暗がりを求めて
這い出してきて羽化が始まる
(暗がり…から暗がりへ…なんて)
そんなに変かな捕食されない為の営み
(変…です…)
羽化の技法はマサチューセッツでは
ロストテクノロジーなのだという
ダマスカス鋼の製造法みたいなものだろうか
(ちょっと…違う)
ぼくもいつか夕暮れどきに羽化して
アンドロイドになろうかな
(やめれ…)
ぼくと伊藤さんは川辺りの道を歩く
ぼくの1歩後ろくらいから
小刻みな歩行の駆動音が聞こえてたんだけど
川面を滑る風の音にかき消されたんだろうか
聞こえなくなる
振り返ると
伊藤さんは土手っ腹に膝を立てて座っている
ぼくはその隣りに行き
草むらに寝ころんで空を見上げる
雲と雲の間にぽっかり空いた青を見る
(葉緑素…って…)
伊藤さんは言いかけて止める
ぼくと伊藤さんの間には丈の低い草が
草の上には小さな羽虫が
小さな羽虫は小さな蟷螂に捕食され
時折りの涼風が草の頭を撫でて行く
ぼくと伊藤さんの距離はそのまんま
人間とアンドロイドの距離感なんだろう
伊藤さんも空を見上げる
(もうすぐ…夏が…)
もうすぐ夏がくる