In the next life
ホロウ・シカエルボク
夜の在り方は本当に様々で術無き者たちは剥がれた鱗のように路上に散らばっている、誰かが有名な曲のメロディーを口ずさんでいたけれど音感はいまひとつでそれがなんというタイトルだったか思い出すまでには至らなかった、空気は山中のトンネル内に漂うそれのように冷たく湿気ていてまとわりつくようだった、夜を本当の自由だと言うものが居る、本当の絶望だと言う者も居る、どちらかなんて決められるわけがない、それを感じるのはひとりひとりの心中に息づく理由なのだから…自動販売機を見つけたけれど飲みたいものは売り切れていた、もうずっと、少なくともここ二週間はずっとそうなのだ、販売元の理由なのか、設置している側の事情なのか、特に何の説明もないままに売切れという赤い表示が浮かび続けている、故障なのだろうか?そんな筈はない、とにかく長い間そこだけが補充されないままになっている、そう、異常な事態ではあるけれど、もしもそれを飲みたいと思っている人間が少なければ気付かれることはまずない、ここで売り切れているのなら余所で買えばいいだけの話だし―実際ほんの少し歩けば、同じ銘柄の自販機などいくつも見つけることが出来る、俺がそれに気づいたのもたまたまそこで立ち止まる癖がついていたからというだけのことだ、もしかしたらこの区画だけその飲み物がもの凄く人気で、朝方補充しても夕方には売り切れてしまうのかもしれない、それを確かめるには朝ここに来てみるしかないだろう、そしてこんな時間にここを歩いている限り、そんなことが出来る機会は永久にやっては来ないだろう…海へと続くトンネルの方へと歩行を再開する、眠れなくなった、いつごろからだろう?日付や季節を正しく記憶することが出来なくなった、些細なことかもしれない、そんなことが曖昧になったところで実生活にどんな不都合が生じるわけでもない、ただただほんの少し居心地の悪さが付き纏うだけのことだ、それがきっかけだったのかもしれない、あるいは眠れない日が続いたことでそういう障害が出たのかもしれない、でも思い出すことは出来なかった、すべてがイヤホンのコードみたいに絡まり合って始点も終点もわからなくなっていた、そこさえ見つけることが出来れば解けないことはないのに、見つけられないなんてことがある筈も無いのに―眠ることを諦めると決まって散歩に出かけた、俺にとって真夜中はただの真夜中だった、それだけだった、近所を歩けるだけ歩いて、歩き尽くすと、次第に海の方へ歩くようになった、新しい、海までの数キロを真っすぐに突き抜ける連続するトンネルを抜けて海岸沿いに出ると、潮風に叩かれながら水平線から太陽が昇るのを見つめた、そうして明け始めた街を横切って部屋に帰ると、ようやく数時間眠ることが出来た…眠ると必ず奇妙な夢を見た、気乗りしない時に観るゴダールの映画のように忌々しい、勿体ぶった調子の夢だった、筋は破綻しているし、これといって印象深いような場面もなかった、スマートな窒息を概念的に体感しているみたいな夢だった、これだったら眠らない方がマシだ、ベッドの中で目覚めると俺は、まるでこれから眠るみたいに上体を起こしてぐったりとうなだれ、このまま目覚めてどうするのだと自分自身を問い詰めるのだ…朝食はインスタントコーヒーのみだった、本当はコーヒーじゃなくても良かった、でもそれは宿命的にそういうことになっていた、だから抗おうとも思わなかった、そんなことをしてもただでさえ崩れたままの調子がさらに悪くなるだけなのだ、それから洗面所で顔を洗い、百面相を繰り返してからリビングのソファーで雑誌のページを捲る、そうしているうちに二時間ほどが経過している、胃袋が動くのは昼前からだ、だからその頃になるとなにか腹に入れるものを買いに出かける―買い溜めはしない、時間は腐るほどあるし用事はやり尽くしている、一日に一度の薬を飲み忘れなければいいだけだ、俺は詩極シンプルな面倒臭い虫のようなものだった、そのことに関して特別なにかを思うことはない、自分の羽音を煩わしいと感じたところでちぎり捨てることなど出来るわけもない、買物には時間がかかる、俺は小麦を摂ることが出来ない、グリアジンという成分が身体に入るとアナフィラキシーを引き起こすことがある、そのことが判明するまでに二度、死ぬような目に遭った、二度目には乗せられた車椅子が動き始めた振動に耐えられず気を失った、その中で夢を見たんだ、誰かと待ち合わせをしている時に別の誰かにばったり会って、遊びに誘われる夢だ、待ち合わせをしているからと断ったら目が覚めた…あのとき待ち合わせを蹴ってあの男についていっていたら…と時々考えるよ、この話は前にもどこかでしたかもしれない、まあいいや…要するに、これを食っても死ぬことはないか、と思いながら食べ物を選ばなければならないのだ、帰宅して食事を終えると、もう午後は始まっている、午後―もっとも詩を感じるのは午後だ、身体的なものではない、それはなにかが終わり始めているという予感のような蠢きだ、この時間がなければ上手く眠れるのかもしれない、と濁った頭の中でそんなことを思う、音楽が鳴っている、タイトルを確かめる、日付は…。