なにかを考えるとき、もう時計に目をやることはないだろう
ホロウ・シカエルボク


聞いた話によるとそこはもう数十年も前から打ち捨てられた廃屋ということだった、縁がすっかり落ちてしまった扉はしばらくぶりに開かれた重みに耐えきれず落ちてしまった、おかげで危うく怪我をしてしまうところだった、失われた街の一角で動けなくなろうものなら、誰にも見つけてもらえるわけもなく、あっという間に街に飲み込まれてしまうだろう、がらんとした聖堂には高い窓から日が差し込み、ヘヴィ・メタルのジャケットのような大仰な静謐を演出していた、耳をすませば今でも真面目くさった聖歌が聞こえてきそうだった、と言っても、たくさん並んでいる椅子はどれも、とても座りたいと思えるような状態ではなかったけれど…すべてが火山灰でも食らったみたいに色褪せ、ザラザラしていた、牧師が聖書を乗せる台では頭の潰れた雀が死んでいて、さながら黒魔術の儀式の生贄にでもなったかのようだった、不思議なことに窓ガラスはひとつも割れていなかった、住宅地のどん詰まりにあり、背後は育ち過ぎた森に囲まれていた、だからあまり雨風の影響を受けないのかもしれない、燭台には最後に燃やされた蝋燭が孵化しきれなかった蛹のように項垂れて立っていた、祈りとはいったいなんなのか、そんな光景の中で佇んでいると、ふとそんな思いにとらわれた、生まれ、朽ち果てることが人であり文化であるのなら、いったいそんなものにどんな意味があるのだろう?だから躍起になるのだろうと言われればそんな気がしないでもない、でもそういった感情を抜きにして考えてみて欲しい、そんなものにどんな意味があるのだろうか?完璧な人生など生きられない、人生に貫くべき命題があろうとなかろうと、すべての時間をそこに費やすことが出来るものはいない、それは必ず下らない用に邪魔をされてしまう、人によってはどこかで途切れたまますっかり忘れてしまい、気付けばどんなものだったのかもわからないほどに草臥れてしまう…少し高いところ、灯りをともすための小さなバルコニーのようなところに上るための小さな梯子を見つけた、少し揺らしてみたけど問題はなさそうだった、慎重に体重をかけながら上ってみる、見下ろした景色はまるで極限まで濃縮された週末のようだった、無数の埃が漂流している船のように光の中を漂っていた、高いところに居ると必ず、そこを飛び降りることを想像してしまう、願望ではない、ちょっとした癖のようなものだ、時々はまるで本当にそこにあるみたいに、骨が骨の意味を成さなくなった自分の死体が床に見えることもある、梯子を下りる、上る、下りる…そんな行為の意味を考えながら―意味は無数にある、もう何度も言ってきたことだけれど、その中でひとつの意味を見出すことにたいした理由はない、車に付いているナビゲーションシステムのようなものだ、その時行こうとしている場所を作ることが必要なのだ、意味に意味を求め過ぎてはいけない、でももちろん求めなければ、意味は意味にもなることなく死に絶えてしまう、一度意味にならなくなった意味は、あっという間に時間の中に埋もれて行ってしまう、聖堂の中をすっかり見てしまうのにあまり時間はかからなかった、一番奥にあった便所で錆びたトイレをアンモニアで洗った、神は死んでしまうとどんなものになるのだろうか、それとも死ぬことはないのだろうか、それでは神を語るための場所であるここは、使われていた当時と今ではどれほどの違いがあるのだろうか、終わってしまった聖堂の中で繰り広げられる祈りはどこへ通じるのだろう、建物の中央で天井を眺めていると、生贄になったのは雀ではなくて自分だったのだという気がした、そんなことはどうでもいい…目を閉じていると存在などという定義は便宜上のものでしかないのだと、本当はみんな、世界の中にふわふわと漂うあやふやな意識に過ぎないのだと、そんな気分になった、みんな嘘をつかれている、そしてあえて騙されている、どうしたって生きる場所は定められている、それは決められた範囲ではなく、ひとつの存在の許容量というような意味合いである、帰るべきだと思ったけれど動きたくなかった、なにかがそこで待っているような気がした、でもどれだけ待ってみてもなにも起こらないだろうことも同時にわかっていた、真実なんてそのとき摘み上げたものに書いてある名前に過ぎない、選んだ真実、選ばれなかった真実、そこには認識されたかされなかったかという違いしかない、おそらくはそこにある質量にもたいした違いはないだろう、失われた聖堂の中はなにも産まれない海だった、かつてそこに在った祈りは灰になってそこら中に積もり、聖歌は霧散して風に消えてしまった、けれど、耳をすませ、記憶は鳴り続ける、ここにあったもののことを思い出せないなんてことはない、ふたたび歩き出す時までには、それは身体の中で小さな光になるだろう。



自由詩 なにかを考えるとき、もう時計に目をやることはないだろう Copyright ホロウ・シカエルボク 2023-02-12 16:26:42
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