みずいろの深い夜
秋葉竹




悲しみが
好きという、
人は
嫌いだな。

いつも泣いてばかりじゃ、
世界が視えないんです。

ちゃんと、ととのえる、
から、
今日散らばったこれらのこころの
あれこれを、

きっと、
黎明をめざして
足を踏み出すために。


みんな
青白く
透きとおった
しんしんと降る雪のような
清い世界が
みたいんだ、

みたいんだろ?


世界は、

いつだって
悲しみに満ちていて「参る」けど、
けれどいつだって

《救い》に満ち満ちているじゃ、

ないか。


目に視える、
崩れてしまいそうになる
氷みたいな悲しみたちとか
すこし
そっと
手離してみたくなる
弱さが嫌いだ。

そこに、
絞り出すような
《生きる希望》を
狂ったように探しまくるのも
幸せを掴み取りたい、からさ。



悲しみが
好きという、

人は

嫌いだな。



涙が、
甘い、と、

勘違いしている
おろかものも

嫌い、だな。


銭湯に行こう、よ?

風呂上がりに飲む
瓶のコーヒー牛乳は
甘ったるい、でしょ?

でも、
同じコーヒーでも、
たとえばインスタントでも
ブラックコーヒーは
すこしだけ酸っぱくて
そして、
静かに沈みこむように、

苦い、

でしょ?


ねぇ、
きみ?

極彩色の罪の在処(ありか)とか

わかってるのかな?
とか、
疑ってしまうもの。


やさしさ、
って、
なにと想う?


そのやさしさを
すがるように
こいねがって、

求めて、
悲しみの《ゆるし》にすがるように
すりよってくる。


それを
知っている私は、

なんていうか、
ほんとうのやさしさだけを
求める
愚かな人に
なってみたくなるんだ、

『世界に、好かれたいッ!』
てほどの、
おおげさな、

希(のぞみ)ひとつきり、
この瞳にぶら下げて、


悲しみ、って、

罪、だよね?

って、
知ったかぶり、云って。



悲しみが、
好きという、
人は
嫌いかな?


なぜって?

なんの疚しさもない、
孤独な罪びとを救えるやさしさは
きっと
真っ正直に
真っ正面から救いあげる
酸っぱいけど、
《世界一清潔》みたいな
狂った柑橘系のかじつのような

果てしのない、
やさしさしかないと

なぜか、
知っているからです。

その、
絶望的に遠い、
この世界の崩れ落ちる終末までには、

もうあまり
残された時間は無いと、
知っているからです。

だから、
にんげんに、
やさしさばかり、
求めるのです。

そう云えば、
降り積もる真っ白な雪はいつだって、
真綿のように
やさしそうに
だけどすこしだけ
儚げに、

視えて、

そして、
消えて、ゆき、

ましたっけ?


ひとりっきり、に
傷ついてしまった、

みずいろの、

《深い、深い、深い、》

夜に。



あれ?

いつのまに?


やさしさに?



溺れた………?















自由詩 みずいろの深い夜 Copyright 秋葉竹 2023-02-11 07:09:14
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