冬の一日
番田 

冬空の下を歩いていると、僕は、どこに向かっているのだろうかと思う。太陽の日差しは以前と変わらないけれど、でも、日の入りまでの時間は伸びてきたように思う。そんなことを思いながら歩いていた。隣町に向かう道の、コンクリートの、川の縁を。川の、何度か、誰かとすれ違った気のする、長い道は続いていた。子供の集団というのは最近はあまり見かけなくなったもので、平日は公園などにいたりするものなのだろうかと思っていた。落ち葉の影すらも見かけなくなった、だだっぴろい公園の景色の横を過ぎていった。突き当りの川には、下流に行くと鴨が浮かんでいたりする、昔は鳥は食料だったのだということが頭をよぎるけれど、いることを確認しては、歩いていた。


店から出ると、日はいつの間にか沈んでいた。ほんの一時間程度の滞在だった。そして生きていることについて交差点で僕は考えていた。そこで、古本や機器のセカンドハンズの店を見て立ち止まっているときに、もう使わなくなったゲーム機や、かつて見たことのあるスマートフォンが山積みされているのを見た時に感じた僕の昔使ったことのあるゲーム機との長い時間を思い出させられていた。カセットばかりを集めていた日々、今はソフトは必要ないのだろうかと思った。何も買わずに通りを歩いた。影は、辺りに立ち込めていた。


駅の遊歩道からつながるアトレの中にユニクロはある、見事にサステナブルやファストファッションの時代性に乗った企業として成功を果たしたブランドだ。昔は着ているだけでバカにされてネタにされるのが常だったのだが、今ではトレンドの一角に。僕は昔のイメージが思い出せずにいる。店が目立った場所にあまりなく、新宿のぺぺの一角にあった頃の店に出向いていたあの頃。緑色のバックを隠すようにして使っていた、どちらかというとシニア向けのイメージのブランドだったからだ。ストリートではニューヨーク発のブランドの影響を受けたシックでソリッドな服が台頭していたものだったと僕は記憶している。


今では街に一軒といったところだろう。海外でも類を見ない、その存在。原宿にだけは無印を含めて無かったような気がする。それらは、地価が高くて面積を取れない場所での展開は厳しい。帰りにCDか本を買おうと思っていたがやめた。酒に酔っていて判断自体がつかなかったからだ。今、カラオケの中ではどんな歌が歌われているのだろうと思う、流行している歌は喉を震わすような曲が求められるカラオケには適さなかったからだ。では、どんな歌が、と。店は待たされるほど空いてはいなかった。聞こえてくる歌はうまくはなかったが知らないものが多い気がした。CDシングルの売れない時代に、何が歌われているのかを考えてみたところですでに意味がないような気もしたが、誰がどこで、何をしているのかを知ったところで、意味はないのかもしれないと最近は思う。週刊誌も、部数を減らしている気がする。


人はどこに行くのだろう。今日も時間の中で何かを求めて、誰もが歩いていた。長いようでいて短い時間の中を。歯を磨く時間もないというのは異常ではあるが、コーヒーを飲めない人はいるかもしれない。昔歯を磨く時間も無いような仕事をしていたが、今やったら、虫歯になるということは、想像がついた。そのような仕事はするべきではない。ただ慣れというのは恐ろしいもので、二年ほど続けていたらやはり虫歯ができていた。そのようなときは辞めるか拒否して家に帰るべきなのだと僕は散歩しながら考えていた。僕のポケットには聴くのをやめたイヤホン、でも、そうすることに飽きたからだった。



散文(批評随筆小説等) 冬の一日 Copyright 番田  2023-01-29 01:36:34
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