女學生日記 五十二
TAT



一月二十一日 日曜
天氣 晴
起床 六時三〇分
就床 九時〇分

今朝は家中で一番早く起きてお勝手の用意をした
晝前はお掃除をしたり勉强をしたりして過した
午後から學校へ裁縫をやりに行つてピンポンも練習しました
四時頃歸りました
夜はスカ|トに揚をしました



一月二十二日 月曜
天氣 晴
起床 六時〇分
就床 十時二七分

朝礼は教室で行ひました
吉田先生より御注意がありました
一・通學途上靜かにすること
一・乘物の中で靜かにすること
一・授業中は眞面目に靜かにすること
作文は「紀元二千六百年」と云ふ題の下書をしました
体操は奥田先生がお休みの爲 自習でしたが裁縫をやりました
教室のお掃除の時 三田さんはキヤツ〳〵とくるひながら走りまはつてお掃除にとりかゝりなさいませんでした
お掃除をすましてピンポンの練習を致しました
夜は妹とお風呂へ行きました



一月二十三日 火曜
天氣 雪
起床 六時三〇分
就床 十時二七分

圖画は水仙の便化模様を書いた
お晝のお辨當の時 吉田先生より御注意がありました
一・雜巾を持つ様にして人の嫌がることは自分ですること
今日は島先生とピンポンを練習致しました
夜は廢物利用の制作に取りかゝりました



一月二十四日 水曜
天氣 雪
起床 六時三〇分
就床 十時五七分

朝起きたら雪が降つてゐました
水で顏を洗つたら氣持がさつぱりした
家の井戸はすつかり出なくなつて川本さん所へ貰ひに行きますが川本さんの家はつるべ井戸ですから私達では汲めないので水を大切にしてゐます
でも戰地の兵隊さんを思へば何とも有りません
朝礼の時 校長先生より御話がありました
一・廢品回収について
体操はよく運動したので体がポカ〳〵と温かくなりました
数學は東西合併でした
理科は人体解剖でしたがとても氣持が惡かつた
作法は前に出て本膳の食し方を致しました
六限は國語の書取でした
今日も島先生とピンポンを練習致しました
今日からお辨當を温めて頂きますので
ぱら〳〵になつてゐないからとてもおいしく頂けます
山田勝子さんに「あの道この道」を借りました
廢物利用制作品のカバンを縫ひ上げました



一月二十五日 木曜
天氣 曇
起床 六時三〇分
就床 十時二七分

歴史は日本史を終つて今度から東洋史にうつります
放課後の六限は自習でしたが私達はピンポンを練習しました
夜オリオンの影がくつきりと浮んでゐた
裏に出て見たら柿の木の雪がかゝつた間に星がキラ〳〵光つてとても詩的な景色でした



一月二十六日 金曜
天氣 雪
起床 六時二〇分
就床 十時二七分

体操は裁縫になりました
奥田先生がまだお休みになつてゐるからです
数學は試驗でした
放課後はピンポンを練習して歸りました
家に歸つたら岐阜の叔母さんが新也ちやんをつれて来てらつしやいました
新ちやんは本當に可愛い子で「新ちやんいくつ?」と聞くと「僕四チユ」と答へます
でも仲々おやんちやで すぐどなつて泣くので困ります
でも本當に可愛い子だと思ひます
夜は母と叔母さんと芝居を見に行きなさいました
お風呂は風邪氣味で入らなかつた



一月二十七日 土曜
天氣 雪
起床 六時三〇分
就床 十時三〇分

朝もう少しで遲刻しさうになつた
朝礼は講堂で校長先生より
一・雪が降つて危いから氣をつけること(特に自轉車通學)についてお話がありました
習字は清書でした
今日本當はピンポンの試合でしたが晝ごろから降り出した雪が大そうつもつたのでありませんでした
岐阜の叔母様は雪のため明日お歸りになることになつた
夜八時半になつても兄さんがお歸りにならぬので妹と二人長靴を持つて驛へお迎へに行つたが九時頃 柳ヶ瀨三時發がやうやくついた許りで兄さんはのつておいでにならなかつた
十時頃 白金から下駄ばきで新田まで歩いて来てそれからタクシ|で云らつしやつた
家についたのは十時二十五分でとてもさむかつた
風が出て雪が白い煙の様にあれ狂ふ
吹雪だ
明日はつもることだらう
自動車は四時頃 電車も四時頃から不通で驛には學生の父兄の方が一杯お迎に行つてゐらつしやる
私は迎へに行つても自動車を賴んで迎へに行つてもらう事も出来なかつたが江藤さんの家のお父さんが
賴んで下さつたのでほつとした
私達が仲々かへらぬのでお母さんまでお迎へに行らつしやつた
兄さんは今日耐久遠足で非常につかれてゐらつしやつた
そんなことで今日はやつと起きて居た


散文(批評随筆小説等) 女學生日記 五十二 Copyright TAT 2023-01-28 10:54:05
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