女學生日記 五十一
TAT



一月十四日 日曜
天氣 曇
起床 六時三〇分
就床 九時〇分

晝前は勉强した
午後一時の兵隊送りに行つた
歸つて来てからお裁縫をした
母は夜お寺へお參りに行かれた
兵隊送りに行つた時 小宮さんから言はれて(私がピンポンの選手だといふこと)びつくりした
私そんなことは知らない
長田さんから「貴女ピンポンやつたことある?」と聞かれたから「やつたことあるわ」と言つただけ
それだのに知らぬ中に選手になつてゐる
「長谷部さんぢやない?」と聞いたら「長谷部さん嫌だつてお泣きになるから」と言はれた
私はやりたくないし㐧一技術が問題にならない
「もう先生に言つたからやらないと叱られるよ」と言はれた
組の為だ やらうと決心した
私の心を取るべきでない
組のためだ
下手でも盡力しよう
之からは放課後ものこつてやります
夜も兄さんに教えていただいて練習します
私は全力をつくします
これだけ力をつくして出来なかつたら天命とあきらめます
負けたら先生みなさんごめん下さい
でもきつとなしとげます
石にかじりついてもそれだけの覺悟は出来た
がんばれ

※そうです 一旦やらうと思つた事はどこまでもなしとげる覺悟が必要だと思ひます



一月十五日 月曜
天氣 曇
起床 五時三七分
就床 十時〇分
静岡の大火

朝礼は講堂でなく教室で吉田先生より御話がありました
体操は奥田先生がお見えにならないので音樂をしました
東西合併です
放課後はピンポンを練習して午後五時半に家に歸つた
夜は靴下や洋服をついだ
夜兄さんに早速ピンポンを教へていただく
道具はそろつてゐる
その遠い方が下手だとか
台につきすぎてゐるとか持方など本當に兄さんにもごめいわくだ
でも二年西組のためだと思つて我慢してゐただく
九時半に止めた
それから勉强して寢る



一月十六日 火曜
天氣 晴
起床 六時五分
就床 九時三〇分
静岡の大火
十四時間で全市燃えつくす
驛も燃ゆ

朝礼講堂
花村先生より御注意
籠の置場所をはつきりすること
圖画は水仙の寫生をしました
地理は東西合併でした
お晝休みはピンポンをやつた
階段のお掃除をすまして英習字をしました
放課後はピンポンをやつた
夜裁縫をした
今日阿部内閣總辭職
米内光政海軍大將に大命下る
圖画の時間 中野先生の書いて下さつたお手本をお友達に廻さないで自分一人だけで見て家へ借りて歸り書直して来る人がありますがそれでもよろしいのですか
おたづねします



一月十七日 水曜
天氣 晴
起床 五時五五分
就床 十時〇分

朝礼講堂
理科は圖画にかはりました
又数學も校長先生がお居でにならないので音樂で東西合併でした
お晝休み映画館へ入つた人を聞かれましたが私達の組は二人でした
作法は「食事の仕方」を實習しました
放課後大掃除ですが普通掃除で六限は自習でしたが私達はピンポンをやりました
電氣がつくまでピンポンをやつてかへりました
夜ピンポンをやりました
何處のお風呂屋さんも水がないとのことで行きかけたがやめた
小那比屋の小母さんちのお風呂へ入らしていたゞいた


一月十八日 木曜
天氣 晴
起床 六時三〇分
就床 十時〇分

朝行つてピアノを習はうと思つて早く行つたら外の方が彈いてゐらつしやつたので止めた
今日は大掃除當番でした
お晝休みに繩とびをした
放課後は山のぼりでしたが私達はピンポンを練習しました
放課後はピンポンの練習をしました



一月十九日 金曜
天氣 雪
起床 六時二〇分
就床 十時三〇分

朝起きて見たら雪が二糎程降つてゐた
体操は奥田先生がお休みでしたので音樂で東西合併でした
今日は一日中雪がよく降つてゐた
六限は無かつた
自轉車通學の方達はお掃除を代つて貰つて早く歸られました
電氣がつくまでピンポンを練習しました
校門を出る時 門燈が雪をモダンな帽子形に被つてゐたので笑つた
それは今日は吹雪なので片方ばかりつもつたからでせう



一月二十日 土曜
天氣 晴
起床 六時〇分
就床 十時二〇分

英語の時間に宿題が出た
音樂の時間に吉田先生から「サイレンが鳴つたら靜かにすること」についてお注意がありました
裁縫の時間はとても靜かでした
放課後ピンポンをやつて歸りました
夜兄さんとピンポンをやりました



散文(批評随筆小説等) 女學生日記 五十一 Copyright TAT 2023-01-21 16:37:41
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