Jack et Jacques
墨晶

          (予告編劇場)



 娼婦を買った。
「ところで・・おまえさん外国人か」
「・・ああ、アタシのイングリッシュは確かにヘタクソね。わかっちゃった?」
アッシュを発音しないから」
 女は衣服を脱ぎ始めている。
「何やってる人? 大きな鞄ね」
「無職だよ」
「ウソ。前金で結構貰っちゃった気がするけど」
「・・その価値があると思ったからさ」
 喪服のようなローブを脱ぎ捨てると、黒い下着が麵麭パン種のような白い身体をきつそうに締め付け、所作のその一々がプディングの様に振動している。
 何故か、杖をついた肥った娼婦の、只その来歴を訊きたくなった。その気まぐれはきっとウィスキー入りの紅茶に酔っていたせいだ。

ピースィーPiecy
「ホントの名前は・・ポーリーヌ」
「嫌だったのよ、すべてが」
「誰もアタシを知らない場所に来たかったの」
「だって」
「もう良いじゃない、そんなことより」


♰♰

 午前一件、大腸ポリープ摘出。午後一件、胃の部分切除。
 今、わたしは疲れている筈なのだが、寝椅子で茶を飲んでいるわたしは、ちっとも安らいでいない。
 隣国に来たとき、なにも考えていなかった。兎に角ただ、誰一人わたしを知る者がいない場所へ来たかった。
 スキルのお陰で運良く迎えられた。専門を捨て、転科し、実践を経験したのは正解だったと今思える。あの頃、もうわたしは、抱えていた患者達とは向き合えなくなっていた。鏡を見入るような日々。わたしは壊れそうだった。
 最近になって、今更だが気付いた。手術室でメスを持っているときだけが平静でいられる。患者の身体を切り裂いているとき、わたしは癒されている。つまり、きっとこれがわたしの欲望の成就なのだ。上手いと云われているが、縫合まですべてやっていることなど、ただ義務でやっているに過ぎない。そんなことよりわたしの欲求は、もっと人体を切開切断をしたいと云うことなのであり、それ故、仕事を終えたわたしは廃人のように放心している他はないのだ。


♰♰♰

「エルミニア! エルミニア!」
「なんです、旦那様」
「なんです、だと? キミは、魚のさばき方をぜんっぜんわかってない!」
「魚って云ったら、首をはねて、お腹を開いて、ワタをガーっと出して」
「アーッ! バカバカバカンッ! フーッ、あーッ、しょーがないッ! もう教えるっきゃないッ。あのねっ、魚の筋繊維や骨格ってゆーのはねッ」


♰♰♰♰

「ルブラン先生んちのお茶は本当に香りが良いですねえ。あー、高価い葉っぱは、やっぱり違う。あ、勝手に頂いてますよ。でも先生、そんなにウィスキーをお茶に混ぜたら香りなんか全然わかんなくなっちゃうじゃない? はっきり云って、もうそれ、お茶じゃないですよ?」
「・・ジャック・・もう来ないでくれと云った筈だ」
「本気で云っているんですか? 先生、ぼくのこと考えていたでしょ? さっきから」
「・・・・」
「ツレないな。でも、云い訳なんて要らないです。全部、わかってますから、ぼくは」
 この無作法な青年が勝手にわたしの住まいに現れるようになってどれくらいだろう? 異国で、途惑いの中、始めたわたしの生活に、ふらりと現れた彼はしばらくはわたしの心の杖と云って良かった。しかし今や、生きていく上での仇敵と云って良い。
「先生、楽しいこと、しましょうよ、いつも通りに。道具は、全部あの鞄の中ですよね?」
「わたしの・・胸にさわるな」
「え? 胸がダメなら、どこだったらさわって良いんですか? おや先生、シャワーをまだ浴びていないんですか? 耳のうしろ、良い匂いですね」
「離れろ!」
「おお、怖い怖い。さ、コートを着てください。宿はおさえてあります。あとは女を買うだけです。
 出かけましょう、街へ。
 今夜は、
 深い霧です」


♰♰♰♰♰

「また?」
「またです」
「全身ズタズタに切り裂いた後、すべて元通りに縫合痕もわからない程繋ぎ直す、そして被害者はすべて娼婦で記憶喪失、自分の名前さえ覚えていない」
「・・です」
「まったく、ヘンタイってのはいろんなヤツがいるわね」
「・・ただの変質者でしょうか?」
「・・え?」
 何故だろう? 様々な事件がある。そのなかで、わたしの鼻の奥で酷い痛みを感じる案件があるのだ。大概、拘束した相手は、わたしに似ている。まるで、わたしがわたしを捕まえているみたいだ、いつも。
「ドレイヴン警部!」
「エッ、アーっゴメン、いま、フィレオフィッシュ堪能してるとこナノッ。三十秒後で良い? アアッ! シェイクも飲むから四十秒後ねッ!」
「え、ああ、はあ・・」

「えーと、何?」
「ルブラン先生の検死が終わったのですが」
「ちょっと! 被害者は生きてるのよ! 『検死』じゃないでしょッ!」
「そうでした・・」
 聞き慣れない名前だ。いや、待て、検死官が殺されたのだ。それ故、腕の良い医師を探した。総合病院の、街では名高い、検死の経験のある外科医師の名を聞いた。そうだ、そんな流れだった。わたしが指名したのだ。ベルナール・J・ルブラン医師。
「で?」
「こちらが、ルブラン先生です」


♰♰♰♰♰♰

「変なのですよ。兎に角、今回の被害者は・・いや、「も」ですかな、滅多切りされた後、丁寧に縫合されている。リハビリテーションも、きっと順調にいくでしょう。ところがです、亡くなられたバートルビー検死官の記録によりますと、」





     おしまい(テキトーにここまで書いて飽きました)


散文(批評随筆小説等) Jack et Jacques Copyright 墨晶 2022-11-13 22:51:56縦
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