夜空にある何かに
宏子

夜の田んぼは湿気た匂い
刈り取られた稲穂から
また柔らかな葉は伸び
もう実はつけない
水にめだかは見えない
でも蟹なら隠れられる用水路に
柵はなく、落ちて命をなくさないでね
「夜にも天気はあるんだよ
「月が閉じているから目を開けて
星座は垂直に降りてきて地球をかすめる
ときどきそれらがわたしの頬を焦がす
皮膚に刻される海の雨温図
あたたかい水の道もつめたい水の道も
昼も夜もいらない深海魚のコンパス
わたしたちいつから沈んでいたんだろう
でも生きていたことは綺麗だったよね

トラクターが通れるだけの
舗装の割れた道路
道たちの古さ比べて
古い順番に直していこう
田んぼ四枚分向こうで
誰かがスマホを夜に掲げている
画面の光がその横顔をぼんやりと照らし出す
誰かは夜空を撮る
誰かはスマホを閉じ、誰かの横顔は消える
 夜空のことが好きだった誰か
 星雲や 銀河のことが好きだった誰か
 星雲や 銀河の一部だった誰か
そこにいた誰か

石たちの中に
肩身の狭そうに、アスファルトのかけらが膝を抱いている
恥じなくていいんだよ
石の言葉が分かったら、そう伝えてあげてね
あなたは立派だよ

銀河が星を見て
きれいとか、優しいとか言ってる
こんなわたしが
綺麗な素材でできていることが辛いって
みんなそう思うのかな
そんなに速くなくていいのに
速くならないでほしい、
光より速くならないでって
誰に伝えれば宇宙に取り次いでくれる?
まぶたが痛むほど目を凝らして
秋風に乾いてはしばたき
いつのまにか晴れていた夜空に
見えない 触れない 掴むことのできない何か探して

  誰かの誕生日
  わたしから遺体は運び出されて静まり返る
  lovely.
  なんて訳せばいい
  歩道橋で立ち止まるのなぜ
  大きな鳥に追われ
  忘れたことあるような幸せ
  背中側の秋に気づいて
  子が親の愛を試すように
  風が吹きすさぶ黄金色の緩衝地帯
  やわらかくて 全部受け止めて
  風邪ひかないでね、温かくして寝てね
  生まれた時から君を愛そうと探しただろう
  いつかゆくさきのこと
  もし生まれる前に知ってたら

不登校の明日
過去になる
詩がとてもとても下手な人の
詩にもならない咆哮
詩が書ける人になんか分からない、言葉にならない何かの
それ、とか、あれ、とか
言葉にならないから教えてよ
なんて言ったらいい
かなしい、わからない、かなしい、
何も言えない、夜空にある何かに
何かしか言えない、なんでもない

アルデバラン
アルヘナ
テジャト
プロプス
エルナト
ふたご座の足元
おうし座の双角
シリウス
カストル
ポルックス
ベテルギウス
レモンスライス
無声映画のエーデルワイス
音だけで銀河は知れわたる
天関を叩いた
フェイクファーの耳あて
あったかいな
果ての先がまた果てなら嫌だった
果ての先にまた果てがなくてよかった

夜空にある何かに
指を温める仕草で
痛みのないすべての祈りを骨折させて
「無痛の幸福がほんとうはあったはず
無痛の幸福などどこにもなかったはず
「あなたはきっと幸せになれたはず
幸せになどきっとなれなかったはず
夜空にある何かに
あるはずのない何かに
何もあるはずのない夜空に
指を開くたび開墾し
閉じるたび土地もまた閉じるように
指をなんども開いたり閉じたり
閉じたり、開いたり、閉じたり
そうするうちに許されるものでもあるかのように
指をなんども開いたり
閉じたり
指をなんども
開いたり、閉じたり



寒空に
鼻水を垂らしては
互いに鼻をかみ合って
汚れた指を土でぬぐった
ふざけた指はまた土で汚れた
だから指のことが好きだ
指のことが好き
嘘ばかりのなかにまぎらせたほんとうだから

わたしたちの分布で
まぶしいほどの段丘
星座の残骸は垂直に降り上がって光のトンネルを作る
真昼のように輝く夜を大地は駆け巡っていく
わたしのウィンドブレーカーの裾を膨らませ襟首を抜けていく何か
命よりゆっくり時を刻む何か
光の中の闇 そんな闇の中の光
水路の水の音きこえる
甘い、破裂する土の香り
いちじくの葉
なんでもない
何か言いたかったんだよ、嬉しくなるようなこと

生きているうちにできることなんてこれっぽっちしかない
夜空にある何かに
聞きそびれたことすべて訊ねて
すべては無理でも、ほんの少しでも訊ねて




自由詩 夜空にある何かに Copyright 宏子 2022-10-31 02:14:31
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