あの人
ふるる

とうとう名を知らないままその人はいなくなった
知る機会は色々あったのだが
誰かが呼びかけるのを
耳にしてもすぐ忘れて
次があるしと思っていたが
次はなかった

寡黙なその人は昏い目をしていたから
好きになった
喋らないから黙々と作業できるし
目を伏せがちだから話しかける必要もない

いつもその人の事を考えた
新しい知識を得ると
その人は知っているだろうかと考え
古い物を捨てると
その人には必要だったかもと考える
でも考えても
僕には分からなかった

来月は別のとこに行くんだって?
と話しかけた人がいて
その人は頷いた
お世話になりましたと頭を下げた
僕に向かって

昏い声で
もう終わりましたから
とも言った

程なくして僕がいた作業所は閉鎖され
長年悩まされていた頭痛が治り
行方不明の父がぼんやり帰って来た
恐ろしくて越えられなかった町はずれの川を
難なく越えられるようになっていた

名を知らないままいなくなったあの人は

祓うために来たのかもしれないが
僕には
分からなかった






自由詩 あの人 Copyright ふるる 2022-08-24 13:43:05
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