詩の日めくり 二〇二〇年四月一日─三十一日
田中宏輔

二〇二〇年四月一日 「論理詩」


①は②である。
②は③である。
③は①ではない。


二〇二〇年四月二日 「論理詩」


①は②より醜い。
②は③より醜い。
③は①より醜い。


二〇二〇年四月三日 「論理詩」


①は②より白雪姫と寝た。
②は③より白雪姫と寝た。
③は①より白雪姫と寝るだろう。


二〇二〇年四月四日 「天空の劫火」


 グレッグ・ベアの『天空の劫火』上下巻をAmazon で買い直した。持ってたんだけど、本棚になかったので。どうしちゃったんだろう。本の表紙がよくて、ぼくがSF小説を集めるきっかけになった本なのにね。どちらも9円だった。送料が300円ずつだったので、618円で買い直したのだ。早く読み直したい。


二〇二〇年四月五日 「竜を駆る種族」


 きょうから寝るまえの読書は、ジャック・ヴァンスの『竜を駆る種族』。20年くらいまえから持っていて読んでなかった本だ。ヴァンスは好きな作家だけれど、いかんせん古い感じがして読むのをためらわれていたって感じ。短篇『月の蛾』もよかったし、魔王子シリーズは傑作だったけれど、これはどかな。


二〇二〇年四月六日 「フィリップ・アーサー・ラーキン」


 フィリップ・アーサー・ラーキン、ポール・マッカートニーのPVに出てましたね。猿を飼っていたようです。


二〇二〇年四月七日 「年金」


 年金、75歳からだって? もらうまえに、半分以上のひとが死んでるんじゃないの。ぼくの父親は71歳で死んだし、母親は67歳で死んだんだよ。この政府はやってることでたらめだし、やろうとしてることもでたらめだね。ふだん、政治的な発言は控えてるぼくだけれど、これは黙っちゃいられない話だ。


二〇二〇年四月八日 「現代詩集」


 集英社版 世界の文学 第37巻『現代詩集』に、フィリップ・アーサー・ラーキンの詩が5つ訳されています。この本に収録されている詩は、一流の詩人の一級の詩ばかりなので、古書で買われたらいかがでしょうか。


二〇二〇年四月九日 「28歳」


 28歳というのは、特別な年齢のようで、外国文学では、よく取り上げられています。「28歳になって」とかいうフレーズです。


二〇二〇年四月十日 「竜を駆る種族」


 ジャック・ヴァンスの『竜を駆る種族』を読み終わった。古い。おもしろくなくはなかったけれど、徹底的に古い。ヴァン・ヴォクトとか古くならないのは、なぜだろう?


二〇二〇年四月十一日 「天空の劫火」


 Amazon で注文していた、グレッグ・ベアの『天空の劫火』上下巻が届いた。よい状態だったので満足。きょうから寝るまえの読書は、『天空の劫火』。さいごに地球がブラックホール兵器で破壊されるんだけど、むかし読んだとき、びっくりした記憶がある。しかも、この『天空の劫火』には続篇もあるのだ。


二〇二〇年四月十二日 「清水鱗造さん」


 清水鱗造さんから、詩集『夢夢夢夢夢ーん』を送っていただいた。人間だけではなくってトカゲや虫までもが夢を見ていたりして、またその夢がつながっていたりして、不思議な世界が展開されていた。一気に読んだのだけれど、一気に読ませる構成が見事だと思った。出来事のひとつひとつが面白かった。


二〇二〇年四月十三日 「刑務所行きでしょ?」


刑務所行きでしょ?


二〇二〇年四月十四日 「廿楽順治さん」


 廿楽順治さんから、詩誌『八景』第五号を送っていただいた。廿楽さんの十数行から十四五行の短い、いくつもの詩がたくさん収められている。どの詩も、フットワークが軽い感じのもので、丹念につくられていると思った。


二〇二〇年四月十五日 「マスクは届けられるのに?」


マスクは届けられるのに?


二〇二〇年四月十六日 「ぼくの詩集」


 Amazon で、ぼくの詩集が330円で売りに出されている。かなり気に入ってる詩集なんだけど。


二〇二〇年四月十七日 「詩集をつくったとき」


 そうだよね。つくったときには、100万円以上かかったのにね。ぼくには、売れても1円も入ってこないシステムだし、いまから思ったら、出さなければよかったって感じもする。


二〇二〇年四月十八日 「天空の劫火」


 グレッグ・ベアの『天空の劫火』上巻を読み直した。悪人がひとりも出てこない。出てくる人間がみな理性的である。じっさいの社会では、ことに政治に関する限り、悪人のほうが多いように感じる。ツイートを見ていると、ほんとにそう思う。ことに、アベやアソウの極悪人ぶりは最悪である。これから下巻。


二〇二〇年四月十九日 「給付金10万円」


 給付金10万円ではなく、100万円にしてもらいたい。アベの見立てでは、一般家庭の月収は、たしか75万円だったと思うのだけれど。10万円という額は低すぎて笑えない。


二〇二〇年四月二十日 「天空の劫火」


 グレッグ・ベアの『天空の劫火』下巻の読み直しが終わった。地球の滅び方が美しかった。小説を書くことは、ぼくには難しいことだということが、つくづくとわからせられた。詩は小説の梗概のようなものなので、まだ、ぼくにも書けるのだが、小説は難しい。なんといっても、面倒な仕事だと思われるのだ。


二〇二〇年四月二十一日 「天界の殺戮」


 きょうから、寝るまえの読書は、グレッグ・ベアの『天界の殺戮』むかし読んだときにはおもしろかったけれど、再読ではどうだかな。『天空の劫火』の続篇である。カヴァーの絵は、『天空の劫火』に引き続き、加藤直之さんが描いたものだけれど、あまり加藤直之さんぽくない無機質的な感じがするものだ。


二〇二〇年四月二十二日 「自由」


@may_kimiko_k 最終連 自由と ではないのですね。ぼくの記憶では 自由と でした。記憶って、あまりたよりにならないものなんですね。

@may_kimiko_k ぼくの持っている田中淳一訳では、最後の二連は

そして ただ一語の力によって
ぼくはふたたび人生をはじめる
ぼくは生れた きみを知るために
きみを名づけるために

自由と。

となっています。


二〇二〇年四月二十三日 「なんだかなあ。」


@mnt1983 きょう、アベを支持している人と話したんですが、資料の改ざんなど、いっさいないという意見でした。代議士の名前の削除とかは、消失ではないかと言われて、びっくりしました。ある部分を削除するとコンテキストが変わるので改ざんだと思うのですが、むこうの言葉の勢いに負けて、ぼくのほうが黙りました。

@mnt1983 好意的に思っていた人だけに、はじめて政治的な話をして、びっくりしました。もう好意的に見られないと思います。

@YOMOGI_seiji @kitunefox6 もともと数か所の異なる企業に発注してますから縫い方が異なるものがあっても不思議ではないのですよ。


二〇二〇年四月二十四日 「ほんとに、なんだかなあ。」


 きょうは、きのうと違う人と話をしていて、データ改ざんの話をぼくがしたら、相手がそれを知らなかったというきのうと同じことが起こって、ぼくは、そこで話をやめました。世の中には、桜の会のことも知らない人がいるのだろうかとも思いました。いったい、テレビや新聞は何を伝えているのだろうか。


二〇二〇年四月二十五日 「積ん読」


@umayanosakana 昨年、蔵書の半分を友人に分けたので、積ん読はなくなりましたが、いままた本棚に並んだ本のうえにまで本が。そのような状態で、まだ読んでいない本がいくらかあるので読もうと思うのですが、既読のもので読み直しをもはじめておりますので、読まずに死ぬ本もあるかもしれないなと思う、このごろです。


二〇二〇年四月二十六日 「自費出版」


 無名のぼくのような詩人が自費出版で1500万円くらい使って、詩集が売れても1円も入ってこないのはいいとして、ある程度、名前の知られた詩人が、どれくらいお金を稼いでいるかにはたいへん興味があるし、それを公表しないある程度、名前の知られた詩人は、ある意味、なんだか卑怯な感じがする。


二〇二〇年四月二十七日 「立派なリーダー」


@jb9jj1 欧州では立派なリーダーが出ています。

@jb9jj1 アメリカと日本の状況は似ていますね。国民の平均的な知能がひじょうに低いと思います。

@jb9jj1 その結果の大統領と首相でしょう。


二〇二〇年四月二十八日 「詩」


 きょうは、朝から、詩をつくっていて、いま書き終わった3つ目の作品が傑作なんじゃないかなって思えるもので、とてもうれしい。この勢いで、あともう1篇でも書いちゃおうかな。

 ひさびさに、ぼくの詩集が売れたみたいだ。シリーズ中もっとも難解なものだと思うのだけれど。https://www.amazon.co.jp/gp/product/4879957275/ref=dbs_a_def_rwt_hsch_vapi_taft_p1_i7

 これも売れたみたい。これは、ぼくの詩じゃなくて、英語で書かれた海外のLGBTIQの詩人たちの詩を、ぼくが翻訳したもので、おもしろい詩ばかりだったので、買ってくださった方はきっと満足されると思う。ぼくのへたくそな訳文でも十分におもしろさは通じると思うから。https://www.amazon.co.jp/gp/product/4783727643/ref=dbs_a_def_rwt_hsch_vapi_taft_p1_i4


二〇二〇年四月二十九日 「笹原玉子さん」


 笹原玉子さんから、歌集『偶然、この官能的な』を送っていただいた。笹原さんの歌は、一首が一つの小説ほど内容があって、ものすごいものだと思っている。いまパッとページを開けてさいしょの歌を読んでもそう思った。こんなのだ。

「掛け算は好きですよ、わけてもゼロは」嵐の夜の客人と話がはずむ

いいと思った歌を拾っていこうかな。

かんむりも無冠も然なりの国の巫女のお告げは取換えごつこ

そのかみに日本列島ありました謎の言の葉「ただいま」「おかへり」

八月の神の眼窩のやうなはらつぱぺんぺん草でいつぱいの

癒えぬうちまた瑕負ふるパレスチナ受肉ひそかに育ちつつあり

天草に美少年あり太郎でも次郎でもなく四郎と呼ばむ

きさらぎの指にて触るる耳といふもつとも古代のにほへるところ

落葉拾ひと落葉焚くひとどちらも無口ですこしく猫背

アテナイの聖堂の階おりてくる神学生の手の「春婦伝」

ゆめみどり蝶の古名がひらひらとみどりのゆめかゆめのみどりか

これの世に見えないものは隠せない。偶然、この官能的なもの

やはらかな雨になりたいわたくしののみどつたひて五月の通過

「けふからは草の瞳になりなさい」みあぐれば慈雨、それも翠の

紫陽花が花のふりする私も雨のふりするゆめ語るなよゆめ

革命も革命ごつこも遥かなりうすくうすく梨を切る夜

カーテンの波うちきはでこひびとと淵を覗いたまことしやかに

渦巻きて凍る風ありそのせつな又三郎が閉じこめられて

たれひとりゐなくなりたるこの街で晩鐘を撞くその人の名は

大鴉さいごの章を銜え来よ此処は未完のものがたりゆゑ

シーツの白さで目が覚める、窓をあけるとからさわぎ、なんとうららな間氷期

口遊む「老水夫行」凪といふこのつかのまの波の休符よ

ちよろづのやすらはぬ夢喰べるてふ獏もおのれの夢にたべられ

「映画ダンス焼夷弾それが青春」母の名は和子、昭和元年生まれ

うすずみが偶・隅・遇とさまよひて筆先つひに寓でやすらふ

ゆうぐれの鐘の鳴る丘わたくしはけふ逝くひとの数知るだらう

あおによし答はすでにできてゐる残されたのは質問だけだ

心とふおそろしきもの棲まふらしからだの奥処おくどの夜見の国かな

秋日和 なにもいれずにふたをするだつてこんなにきれいな容器

霊長類飛びそこなつたそのわけは神の指揮棒ほんのひとふり

この町のどこに錨をおろさうか。事件はしばし思案するらし

恋人達もミルクポットも文鳥も写真のなかの確かな静物

もういちどもういちどだけふりかへる あやまたず見よ四方よもに散る花

おやくそく。十指あまねくほどかれて私が私を忘れることも

今生に不平はあらずされど来世きつぱり要らない 明けてぞ今朝は

図書室のア行のすべてを読む決意あへなく笑殺アリストテレス

漠と獏書き違へてもそのままに春の微睡まどろみ 世紀は過ぐる

なにもかも浮力のセヰです半島が朝の手指をつぎつぎ放し

奇蹟ならまいにち起きます頂きのちひさき花にしづくする空

旅人よおまへがあらたな謎となれ森の梢でさやぐ箴言

ひとはゆめみる儚ごと もみぢならもみぢのかたちに散るまでを

父の手は汚れてゐるか野に百合を空に小鳥をあたへたまふに

たなそこにあるだけの種ぜんぶ撒くきれいな花もみにくき花も

マフラーを首巻きといふ祖母の春いかなるやさしき手にてほどかる

手をつなぎわたくしたちは丘にのぼつた、夕焼の木を植ゑて帰つた

少女らの微笑のなかで春は迷子になつてゐる ここからは神の領分

風は風の似姿をつぎつぎに生みランボーの蹠さへももはやわからず

沈黙といふ言の葉をみつけだすまで人類史もうあとすこし

みどりの洪水ここよりはじまる森番のおよびからまづさみどりに

井戸の底にも青空があり思念への装ひだけはいやにお上手

花も嵐もなんだつて在る この世のことはこの世にまかせよ

六十年後のポケットに大切に仕舞はれてゐるけふのあをぞら

春の雨そのひとしづく わたくしの一生ひとよがたれかの夢でありますやうに

ヒヤシンスてふ名前が好きです花よりも。秋をひんやり折りたたみ

謝肉祭仮面のうへに仮面をかさねあなたはあなたをみうしなふ

さういへば祭りのあとの回廊で瀕死の仮面を拾つたことも

花のやうな宝石と宝石のやうな花 どちらがお好き?シラクーサ

そのつぶらなる秋の瞳がささやいた「だいじなものは枯葉のなかへ」

「掛け算は好きですよ、わけてもゼロは」嵐の夜の客人と話がはづむ

「径のない森を横切る方法は?」忘却と記憶の掛け算を

わたしが円をいくら描いてもつながらない 四月はどんどん光が洩れる

放物線そのはじまりが水滴でをはりが風跡そんな一生ひとよ

種にさかのぼるあるいは類にたどりつく。ようこそここはプリニウスの森

宝物は忘れ物のなかにあるのでわが友よ、貴方には渡せないのだ

きざしとふ文字を拾つた、如月をいとかろやかに飛びはねてゐた

ポケットにそつとしのばせあたためる綺麗な卵のままのいもうと

地を見おろせばすべて思ひ出しかすがに空見あぐればすべて忘れめ

円卓のダイヤ・スペード・クローバー 血をながすのは心臓ハートだけだ

罪ひとつをかさず帰る春の夜に手袋が手からはなれない

父沈め母を沈めたわが池に雨のかはりと花ばかり降る

喉や渇く 夏秋冬をぜんぶ足したら春になるそんな気がする

夏秋冬を消してみるこれはもう春の逃げ場がないのではないか

推理の過程のしきこと落暉にさへもまさるとや「ユダが美貌であつたなら」

夏眠のあとでねぬれぬ夜が待つてゐた巻いても巻いてもネヂはもどつた

わが家族うからつれだちてゆく縁日の帰りは誰かがゐなくなる

貨車がゆく 夜が夢をみなければ昼が生まれることはなかつた


二〇二〇年四月三十日 「クスリ」


 クスリはまだ10日分あったのだけれど、来週はゴールデンウィークで、いつも行ってる烏丸御池の高木神経科医院に、きょう行ってきたのだけれど、受診したとき、さいしょに、浜垣先生に、「最近はどうですか?」と訊かれて、「コロナのせいで、仕事が休みになってしまいまして、いま休んでいます。」と返事すると、「じゃあ、ふだん何をやってらっしゃいますか?」と言われて、「本を読んでいます。」「どういった本ですか?」「SFです。」「SFですか。わたしの高校の同級生に大森 望というのがいましてね。」「あの翻訳家のですか?」「ええ。批評家でもありますね。」とのことだった。びっくりした。


二〇二〇年四月三十一日 「フトシくん」


 口に出して、自分がゲイだと公言したのは、大学に入ってからだけれど、ぼくがゲイだってことは小学生のときからまわりは知ってたみたいで、よく「オカマ」だとか「ホモ」だとか、「男女(おとこおんな)」って呼ばれてた。差別的な感じはあまりなかったけれど。つらいことはつらかったかな。

自分には仲間がいないこと。これがつらかった。

持ってる本も買ってしまうことがあります。

@sokudotaro 忘れるというのは、ぼくにも経験があって、カミングズの詩句を忘れてて、のちに4000円でカミングズ詩集を買って、思い出したものがありました。雑誌に書いたときには、だれの作品だったか忘れていますが、と書いて紹介した詩句です。「そして、だれもがナポレオン」だったかな。そんな詩句でした。

 背表紙で虹色にするのが、ちょっとまえに流行ったけれど、これはどうかな。ハヤカワの異色作家短篇集・全20巻の背表紙。 https://pic.twitter.com/78K0BGfBgM

「守ってあげたい」を、ぼくの目のまえで歌ってくれたフトシくんのことをもっとくわしく書こうと思う。ぼくが23歳で、フトシくんが21歳のときに、大阪のゲイ・ディスコ「クリストファー」で土曜の夜中の12時ころに出会ったのだけれど、フトシくんの方があとからやってきたのかな、たぶん。あっ、タイプの子が入ってきたなと思うと、ぼくが坐っていたカウンター席の近くに腰かけたので、ちらちらと見ていたのだったかな。そのあと彼の部屋でメイク・ラブするまでの記憶はいっさいないのだけれど。メイク・ラブしたあと、ぼくは京都に帰って、それから1週間後にまた会ったんだけど、つぎは、ぼくの部屋で会ったんだと思う。下鴨に住んでたとき、一階が美容室で、二階、三階がマンションになってたのだけれど、ぼくは二階に住んでて、隣のバール・カフェ・ジーニョには毎日のように行ってた。ブラジル・コーヒーの専門店で、ブラジルの料理とかも出す店だった。3回目にフトシくんと会ったのは、大阪の守口にあった彼のマンションで、その会った夜に、彼は共同経営していたSMクラブに行かなくちゃならなくて、ぼくもそのお店に行ったんだけど、客は男女の一組しかいなくて、女がひもを持っていて、そのひものさきに男の首があって、その男女はソファにもたれながらゆったりとしていた。フトシくんは、ぼくと同じくらい背が高くて、180センチくらいあって、ぼくはぽっちゃりだったけれど、フトシくんは高校時代にラグビーをしていて、部屋に行ったときに県大会に出たときの写真なんかを見せてもらったけど、カッコよかった。で、三回目に会った夜に彼が共同経営しているSMクラブで、彼がカラオケで、ユーミンの「守ってあげたい」をぼくのために歌ってくれて、そのときのフトシくんの歌い方がめっちゃカッコよくってしびれたんだけど、先にぼくが彼の部屋に戻ってフトシくんを待っていたんだけど、フトシくんはまだ店があったからなんだけど、フトシくんが部屋に戻ってくるまで、彼が持ってたムルムとかいうゲイ雑誌を眺めたりしてして過ごしていたんだけど、そのうち彼が部屋に戻ってくると、「おしりを見せてくれる?」と訊いてきたので、「それは恥ずかしい。」と返事したのを覚えている。3回目に会ったときは、セックスはしなかった。ぼくがムルムを見てオナニーをしたと言ったからなんだけど。でも、その3回がふたりでじっくり会った回数だった。絵を描くのが彼の趣味で、何枚もの絵を見せてくれた。なんで続かなかったのかって言えば、ぼくがフトシくんから毛じらみを移されたからだった。性病にかかったのは、それ一回だけだったけれど、かかったってわかったときは、とても怖かったし、なによりわずらわしかった。スミスリンって名前だったかな。粉クスリをかけて、陰毛をぜんぶそり落として対処したことを覚えているけれど、毛じらみを目で見たときは、ほんとうに怖くて、気持ち悪かった。でも、フトシくんのことは、あまり悪く思っていなくって、きっと遊んでたんだろうな、若くて、カッコよかったから、とか思ってた。毛じらみにかかったことがわかってからは、直接会ったのは、夜、京都の発展場だった葵橋のベンチに坐っていたときに、フトシくんがベンチのそばに来たときくらいかな。すこし話をして別れたことを覚えている。詩集を出したときに彼の住んでたマンションに送ったことも覚えている。そのあと、ぼくらは二度と会うことがなく、あれこれ40年近くのときが過ぎてしまったってわけだけれど、フトシくんおことは、いまでも忘れられない思い出として残っている。そうだ。ふたりで、大阪のラブホテルに泊まったこともあった。じゃあ、5回会っているんだね。そのときのことを思い出した。ラブホテルの部屋に行くとき、エレベーターに乗ったのだけれど、男女のコンビが先に乗っていて、男の子の方は、ぼくたちを見ないように下を向いてたんだけれど、女の子の方は、ぼくたちをバチバチと見つめていた。そういえば、フトシくんが京都にきたとき、いっしょに河原町で食事をしに行くときに、身体をくっつけあっていたのを、何組ものカップルにジロジロ見つめられたことも思い出した。ガタイのいい、男の子がふたり身体を寄せ合いながらエレベーターに乗ってたりするとジロジロと見つめられる、まだそんな時代だったんだな。なんだか、とてもせつない思い出。ちなみに、ムルムというゲイ雑誌は、薔薇族やさぶといったゲイ雑誌とは違って、ハイクオリティのゲイ雑誌で、当時、名前のある作家がペンネームで書いてたり、海外のゲイ事情なんかを伝える、大判の雑誌で、格が違っていたと思うんだけれど、そのへんのことを詳しく書いてあるものを見たことがない。いやぼくも執筆者のひとりとして書かせていただいてた、『薔薇窗』にゲイ雑誌の詳しい書肆的な論考を書いてらっしゃった方がいらっしゃったかな。あ、それと、カップルたちにじろじろ見られたときのことは不快に思ってなくて、なんだか見せつけてやった感じがあって、優越感を持ってたことを覚えてる。それはフトシくんがカッコよかったのと、ぼくも当時はかわいいぽっちゃりさんであったからなんだけど。凡庸な男女カップルになんか負けちゃいないぞって感じでいたからだと思うけれど。フトシくんが「守ってあげたい」を歌ってくれたときに、さいごのところで、「ふふふん」ていうところが最高にカッコよくて、ぼくみたいなのでいいのかな、フトシくんって思っちゃった。いまでも、その「ふふふん」ってところが思い出されては、ぼくを20代前半のときの気分に戻してくれる。そういえば、フトシくんは、さいしょから、ぼくのことを「あっちゃん」と呼んでくれたけど、その呼んでくれた「あっちゃん」の声、40年近くむかしのことなのに、まだ覚えてる。いっぱい、いろんなこと忘れてるのに、なんで覚えてるんやろう、そんなことだけ。フトシくんのこと、まだ書いてないことがあるけれど、それはまた違ったときに書こう。けっこう時間がかかったな。数時間も書いてた。クスリのんで寝よう。きょうも寝るまえの読書は、グレッグ・ベアの『天界の殺戮』下巻。なかなかすっと読めんようになってきた。齢やろか。ああ、きっと齢やからかな。

学校が再開したらコロナ差別のようなものが起こると思う。

『天界の殺戮』下巻を読み終わった。さいごの結末を覚えていなかったので、最後まで楽しめた。それにしても、本を読むスピードが落ちたな。むかしは、一日に一冊は読んでいたのに。

 きょうからの寝るまえの読書は、ブライアン・オールディスの短篇集『スーパートイズ』 本棚にあって、もう20年くらいたっていると思うのだけれど、ぜんぜん手をつけていなかった未読の本だ。未読のもの、だいぶ減らしたと思うんだけど、まだあったのだな。おもしろいかな。どだろ。



自由詩 詩の日めくり 二〇二〇年四月一日─三十一日 Copyright 田中宏輔 2022-05-02 00:09:58
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