詩の日めくり 二〇一九年十三月一日─三十一日
田中宏輔

二〇一九年十三月一日 「断章」


おまえの幸福はここにあるのだろうか、
(リルケ『レース』Ⅰ、高安国世訳)

単純な答えなどない。
(アルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』第二部・14、中田耕治訳)

人間はいったい何を確実に知っているといえるだろう?
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』6、山田和子訳)

しかし、わたしは幸福を感じていた。
(シャルル・プリニエ『醜女の日記』一九三七年一月二十四日、関 義訳)


二〇一九年十三月二日 「断章」

やがて思い出に変わる この
瞬間とは何だろう
(ヒメーネス『石と空』第一部・石と空・8・思い出・1、荒井正道訳)

いち早く過ぎる日々こそ最も美しい
(L・M・モンゴメリ『麒麟草の咲く日に』吉川道夫・柴田恭子訳)

 人生には、恋をしている人々が常に心待ちにしているような奇跡がばらまかれているものだ。
(プルースト『失われた時を求めて』第二篇・花咲く乙女たちのかげに・Ⅰ・第一部、鈴木道彦訳)


二〇一九年十三月三日 「断章」


幸福な歳月は失われた歳月である、
(プルースト『失われた時を求めて』第七篇・見出された時、井上究一郎訳)

本当の楽園とは失われた楽園にほかならないからだ。
(プルースト『失われた時を求めて』第七篇・見出された時、鈴木道彦訳)


二〇一九年十三月四日 「断章」


喜びは孕み、悲しみは産む。
(ブレイク『天国と地獄との結婚』地獄の格言、土居光知訳)

きみはわが最上の歓びにして、いまはわが最大の悲しみ。
(シェイクスピア『ソネット』48、高松雄一訳)


二〇一九年十三月五日 「断章」


あそこにいる人間はばかなのか、
それとも恋をしているのか。
あんなにも悲しそうな、たのしそうな、
たのしそうな、また悲しそうな顔をして。
(ハイネ『セラフィーヌ』高安国世訳)
 
 われわれをうたがい深くすると同時に信じやすくするのが恋の特性であって、われわれは愛するひとをむしろ他の女よりも早くうたがい、愛するひとが否認することにむしろたやすく信を置くのである。
(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラⅠ、井上究一郎訳)

私の愛情の大きさは、それはそのまま私の心配の大きさ。
(シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第二場、大山俊一訳)


二〇一九年十三月六日 「断章」


不幸な人はどうしてあんなに言葉たくさんなのだろう。
(シェイクスピア『リチャード三世』第四幕・第四場、大山俊一訳)

愚者は言葉を多くする、
(旧約聖書『伝道の書』一〇・一四)

 それにしても、目立つ愚かさと目立たない愚かさとがある場合、どうして後者を選ぶことをしないのだろうか?
(モンテルラン『独身者たち』第Ⅰ部・2、渡辺一民訳)

愚かな者は自分の愚を見せびらかす。
(旧約聖書『箴言』一三・一六)


二〇一九年十三月七日 「断章」


 恋している人間と狂人は熱っぽい頭をもち、何だかだとたくましゅうする妄想をもっている。
(シェイクスピア『夏の夜の夢』第五幕・第一場、平井正穂訳)

愛には限度がない
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)

限度を知らないという点では、狂気も想像力もおなじである。
(ジャン・デ・カール『狂王ルートヴィヒ』鳩と鷲、三保 元訳)

 自分の妄想のとりことなっている人間ほど不幸なものがまたとあろうか?
(パスカルの『パンセ』第二篇・八七に引用されているプリニウスの言葉、松浪信三郎訳)

愛もある限度内にとどまっていなければならない
(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラⅠ・Ⅱ、鈴木道彦訳)


二〇一九年十三月八日 「断章」


 平和とは黙って愛することだろう。だが、意識があり、人格がある。つまり語らねばならない。愛することが地獄になるのだ。
(カミュ『手帖』第五部、高畠正明訳)

地獄というのは、奥さま、もはや愛さないことなのです。
(ベルナノス『田舎司祭の日記』三野博司訳)

 どんな愛にもそれなりの深い悲劇があるということ、それはしかしもう愛さないということの根拠ではない。
(ヘッセ、一九〇三年六月二十一日付のチェスコ・コモ宛の手紙より、ヘルマン・ヘッセ研究会訳)


二〇一九年十三月九日 「断章」


心というものは、それ自身
一つの独自の世界なのだ、──地獄を天国に変え、天国を地獄に
変えうるものなのだ。
(ミルトン『失楽園』第一巻、平井正穂訳)
 
 出来のよい頭脳はいずれも、自らのうちに二つの無限、天国と地獄とをになっており、そしてこの二つの無限のどちらかのいかなる映像イマージユを示されても、ただちに自分自身の半分をそこに認めるのだ。
(ボードレール『リヒャルト・ヴァーグナーと『タンホイザー』のパリ公演』三、阿部良雄訳)

ぼくらはめいめい自分のなかに天国と地獄をもってるんだ、
(ワイルド『ドリアン・グレイの画像』第十三章、西村孝次訳)

duae naturae in una persona.
一人格における二つの性質。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』)


二〇一九年十三月十日 「断章」


愛は僕らをひきよせる。
(ジョン・ダン『砕かれた心』高松雄一訳)

愛する対象が人間たちを動かす
(ヴァレリー『ユーパリノス あるいは建築家』佐藤昭夫訳)

 幸福とは、愛することであり、また、時たま愛の対象へ少しばかりおぼつかなくも近づいていく機会をとらえることなのである。
(トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』高橋義孝訳)


二〇一九年十三月十一日 「断章」


「ねえ」と映話をすませたマルチーヌがいった。「なに考えてるの?」
「きみが愛するものは、生き生きしてるってこと」
「愛ってそういうものなんでしょ?」とマルチーヌはいった。
(フィリップ・K・ディック『凍った旅』浅倉久志訳)

愛は、不可欠なものであるばかりではなく、美しいものでもある。
(アリストテレス『ニコマコス倫理学』第八巻・第一章、加藤信朗訳)

美しい?
(J・G・バラード『希望の海、復讐の帆』浅倉久志訳)

マベル、恋をすることよりも美しいことがあるなんて言わないでね
(プイグ『赤い唇』第二部・第十三回、野谷文昭訳)


二〇一九年十三月十二日 「断章」


どんな人間の言葉も真実ではない。
(ペール・ラーゲルクヴィスト『星空の下で』山室 静訳)

ぼくだってどこに真実があるかなんて知っちゃいないさ。
(コルターサル『石蹴り遊び』41、土岐恒二訳)

そも人間の愛にそれほど真実がこもっているのだろうか。
(エミリ・ブロンテ『いざ、ともに歩もう』松村達雄訳)

言葉は虚偽だ。
(ヴァージニア・ウルフ『波』鈴木幸夫訳)

詩は優雅で空虚な欺瞞だった。
(ルーシャス・シェパード『緑の瞳』4、友枝康子訳)

世の恋人たちを見るがいい
やっと告白がはじまるとき
もう彼等は欺いている
(リルケ『歌曲』富士川英郎訳)


二〇一九年十三月十三日 「断章」


 あなたというひと、あなたのちょっとした身動き一つでも、私にはこの世で人間のこと以上に重大なことのように思われたのですよ。
(フロベール『感情教育』第三部・六、生島遼一訳)

どんなにしばしば、ひとつの存在が、みずからは知らずに
その目や、その身ぶりで
他人の、それとも気づかぬ遁走とんそうを引きとめることだろう、
明白な瞬間をそのひとの内部にもち込みながら。
(リルケ『おお、わたしの友よ……』高安国世訳)

人は一つの微笑、一つのまなざし、一つの肩のために恋をする。
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)
 
 おまえはいつも愚かな頭のなかで、ありもしない人間の間の絆を実在するかのように考えてしまうらしいな。それがおまえのすべての不幸のもとなんだ。
(マルキ・ド・サド『新ジェスティーヌ』澁澤龍彦訳)


二〇一九年十三月十四日 「断章」


 不幸な愛という言い方があるが、これは歪んだ表現である。片想いの愛は、愛する人を不幸にするけれども、愛そのものに不幸があるのではない。
(ジンメル『愛の断想』45、清水幾太郎訳)


二〇一九年十三月十五日 「断章」


芸術作品はすべて美しい嘘である。
(スタンダール『ウォルター・スコットと『クレーヴの奥方』』小林 正訳)

といってもそこにはなんらかの真実がある。
(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラⅠ、井上究一郎訳)

どんな巧妙な嘘にも、真実は含まれている
(A・E・ヴァン・ヴォクト『スラン』10、浅倉久志訳)

 このうえなく深い虚偽からかがやくような新しい真実が生まれるにちがいない、
(ブロッホ『ウェルギリウスの死』第Ⅲ部、川村二郎訳)


二〇一九年十三月十六日 「断章」


「愛されている人」というのは、厳密に考えると、愛とは何の関係もないまったく別の問題である。愛は、愛している人にだけあるもので、
(ジンメル『愛の断想』52、清水幾太郎訳)

 われわれの愛と呼ぶものを構成する思考の大部分は、恋人がそばにいない時間のあいだにわれわれにやって来るものだからである。
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げ去る女、鈴木道彦訳)

肉体の愛は反応にほかならない。
(E・M・フォースター『モーリス』第四部・43、片岡しのぶ訳)


二〇一九年十三月十七日 「断章」


愛情深い人間なんてほんとうにいるのでしょうか。
(モーリヤック『ホテルでのテレーズ』藤井史郎訳)

人間が真実の相において愛することができるのは、自分自身なのであり
(三島由紀夫『告白するなかれ』)

 愛とはそれを媒体としてごくたまに自分自身を享受することのできる一つの感情にすぎない。
(E・M・フォースター『モーリス』第四部・44、片岡しのぶ訳)


二〇一九年十三月十八日 「断章」


 人が理解されようとねがうのは、愛されようとねがうからであり、人が愛されようとねがうのは、相手を愛しているからである。ほかの人たちの理解は問題外であり、そんな人たちの愛はうるさくさえある。
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)

 愛が去ったとき、それはもはや愛として記憶されることはない。べつのなにかになってしまうのだ。
(E・M・フォースター『モーリス』第二部・24、片岡しのぶ訳)


二〇一九年十三月十九日 「断章」


記憶は、うすれるにしたがって、相手との絆をゆるめる、
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)
 
 私は、ジルベルトのために、ゲルマント夫人のために、アルベルチーヌのためにつぎつぎに苦しんだ。つぎつぎにまた私は彼女らを忘れ去った、そして異なるさまざまな存在にささげられたただ一つの私の愛だけが持続したのだった。
(プルースト『失われた時を求めて』第七篇・見出された時、井上究一郎訳)


愛されることはほろびること、愛することは持続することだ。
(リルケ『マルテの手記』高安国世訳)


二〇一九年十三月二十日 「断章」


「そんなに、なげくのはやめようよ。
 別な恋がまた ふたりをまっているのだよ。
 そのときはやっぱり、かこち嘆くことなく、
 憎しみつづけもし、愛しつづけもすることで──
 永遠は、ぼくたちふたりのまえにあるのだ。
 人間の霊は、愛情であり、不断の別離なんだもの。」
(イエーツ『蜉蝣かげろう』尾島庄太郎訳)


二〇一九年十三月二十一日 「断章」


 しかし、幸福というものも、他の心的状態と同様、簡単に繰返されるものではない。明日、新しい幸福を作り出すことが出来る人だけが、明日も今日と同じ幸福を持つことができる。
(ジンメル『日々の断想』127、清水幾太郎訳)


二〇一九年十三月二十二日 「断章」


おそらく、苦悩はつねに最強のものなのだ。
(マルロー『アルテンブルクのくるみの木』シャルトル捕虜収容所、橋本一明訳)

苦しみは人生で出会いうる最良のものである
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)

 魂の他のどんな状態にもまして、悲しみは、人間の性格や運命を深く洞察させる。
(スタール夫人『北方文学と南方文学』加藤晴久訳)

増大する苦痛が苦痛の観察を強いるのです。
(ヴァレリー『テスト氏』テスト氏との一夜、村松 剛・菅野昭正訳)


二〇一九年十三月二十三日 「断章」


 地上の人生、それは試練にほかならないのではないでしょうか。だれが苦痛や困難を欲する者がありましょう。
(アウグスティヌス『告白』第十巻・第二十八章・三九、山田 晶訳)

 人間がときとして、おそろしいほど苦痛を愛し、夢中にさえなることがあるのも、間違いなく事実である。
(ドストエフスキー『地下室の手記』Ⅰ・9、江川 卓訳)


二〇一九年十三月二十四日 「断章」


 私はふいに、はっきりした理由はわからないけれども、十年の間、自分を欺いていたことを知ったのである。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

 われわれにもっとも暴威をふるう情熱は、その起原についてわれわれが自分を欺いている情熱なのである。
(ワイルド『ドリアン・グレイの画像』第四章、西村孝次訳)

愛は何物でもない、苦悩がすべてだ
(ラーゲルクヴィスト『愛は何物でもない……』山室 静訳)

苦しみをこそ、ぼくは愛している。もう、きみなんか愛していない。
(デュラス『北の愛人』清水 徹訳)

わたしの神よ、わたしの苦痛よ、
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第四部、手塚富雄訳)


二〇一九年十三月二十五日 「断章」


悲哀のあるところには聖地がある。
(ワイルド『獄中記』田部重治訳)


二〇一九年十三月二十六日 「断章」


 人間のもっとも美しい行為は、あくまでも悲痛なものである。幸福の物語などなんの役に立とう? 幸福を準備するもの、それからそれを破壊するものだけが、語られるに値するのだ。
(ジイド『背徳者』第一部・9、新庄嘉章訳)


二〇一九年十三月二十七日 「断章」


不幸は情熱の糧なのだ。
(ターハル・ベン=ジェルーン『聖なる夜』9、菊地有子訳)

情熱こそは人間性の全部である。
(バルザック『人間喜劇』序、中島健蔵訳)

不幸はしばしばもっと大きな苦しみによって報いられる。
(ルネ・シャール『砕けやすい年(抄)』水田喜一朗訳)

わたしの不幸は期待以上だ。
(ラシーヌ『アンドロマック』第五幕・第五場、安堂信也訳)

不幸は俺の神であった。
(ランボー『地獄の季節』小林秀雄訳)


二〇一九年十三月二十八日 「断章」


ひとは、幸福でしかも孤独でいることができるだろうか?
(カミュ『手帖』第四部、高畠正明訳)

つきつめて分析すれば、人はみな他人とは隔絶されている。
(フィリップ・K・ディック『ジョーンズの世界』10、白石 朗訳)

自分の皮膚のなかに、独りきりでいる。
(D・H・ロレンス『死んだ男』Ⅰ、幾野 宏訳)

何事も頭脳の中で起こる。
(ワイルド『獄中記』田部重治訳)

すべては主観である。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第二章・一五、神谷美恵子訳)

 われわれは孤独に存在している。人間は自己から抜けだせない存在であり、自己のなかでしか他人を知らない存在である、
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)

不幸は耐えがたく
幸福はさらに耐えがたい。
(ヘルダーリン『ライン』川村二郎訳)


二〇一九年十三月二十九日 「断章」


所詮しよせん人の一生なぞなにものでもない」
「しかしその一生がわれわれをなにものかにするのです」
「いつもそうとはかぎらないさ……きみは一生からなにを期待するのかね?」
(マルロー『王道』第Ⅰ部・2、松崎芳隆訳)

いったい、おれは何を望んでいたのだ。
(ユイスマンス『彼方』13、田辺貞之助訳)

俺の災難はもっと遠くの方からやって来る。俺自身からやって来るんだ。
(ジュネ『囚人たち』水田晴康訳)


二〇一九年十三月三十日 「断章」


人は一生、暗やみと、悲しみと、多くの悩みと、病と、憤りの中にある。
(旧約聖書『伝道の書』五・一七)

悲哀の背後には常に悲哀がある
(ワイルド『獄中記』田部重治訳)

われわれにとっては、ただ一つの季節、悲哀の季節があるだけである。
(ワイルド『獄中記』田部重治訳)


二〇一九年十三月三十一日 「断章」


 悲しみは、一回ごとに一つの法則をわれわれにあかすわけではないにしても、そのたびにわれわれを真実のなかにひきもどし、物事を真剣に解釈するようにさせる
(プルースト『失われた時を求めて』第七篇・見出された時、井上究一郎訳)

 世界はすべての人間を痛めつけるが、のちには多くの人がその痛めつけられた場所で、かえって強くなることもある。
(ヘミングウェイ『武器よさらば』第三四章、鈴木幸夫訳)

苦悩くるしみは祝福されるのだ。
(フロベール『聖アントワヌの誘惑』第三章、渡辺一夫訳)

苦痛の深部を経て、人は神秘に、真髄に達するのだ。
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)




自由詩 詩の日めくり 二〇一九年十三月一日─三十一日 Copyright 田中宏輔 2022-04-04 16:02:30
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