詩の日めくり 二〇一九年十月一日─三十一日
田中宏輔

二〇一九年十月一日 「断片」


 彼には、あたたかみを感じられなかった。かれには、あたたかみなどなかったからである。


二〇一九年十月二日 「詩論」


 言葉は存在をくわだてる。存在の輪郭を明瞭にしようとし、存在の様態を語ろうとする。


二〇一九年十月三日 「詩論」


詩は遭遇である。詩とは、遭遇の創造である。


二〇一九年十月四日 「考察」


自分が軽く見てバカにしていたことに、もっともよく教えられることがある。


二〇一九年十月五日 「詩論」


とくに詩人というものは、詩の読み方も、詩の書き方も知らないものなのだ。


二〇一九年十月六日 「考察」


 まったく見たことのない数式を瞬時に理解するのは難しい。感情もまた同様に、まったく新しい感覚も、自分のものであっても、他人のものであっても、すぐに理解することは難しい。


二〇一九年十月七日 「詩論」


 ワーズワースの「この無制限の自由は私を疲れさせる。」と、ゲーテの「我々に自由を与え得るのは、ただ法則だけだ。」を読むと、「型が精神集中力を持続させるのではないか」と思った。たとえば、俳句や短歌のことだ。


二〇一九年十月八日 「詩論」


見てもいない人間からも、ひとは影響を受ける。

 ふと耳にした、まったく知らない他人の言葉にさえ、気にとめてもいない人間の言葉にさえ、影響を受けることがある。


二〇一九年十月九日 「詩論」


 その言葉には意味があった。たとえ真実であっても、真実ではなかったとしても。


二〇一九年十月十日 「退院」


 退院してきた。歩くのも、ぎこちなく。まだ切ったお腹が痛いからね。お腹に痛みが走るとともに、なぜかしら、左肩がギューンと凝りだす。つながってるのかな。痛み止めをのんだ。横になって眠ろう。そうだ。病室では、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』を読んでいた。ファウストを思い出していた。


二〇一九年十月十一日 「考察」


 永遠とは、つかの間の命しか与えられていない、われわれ人間のなかにしかないのだ。


二〇一九年十月十二日 「詩論」


 どのような詩が求められているのか論じてばかりいないで、なぜ、求められている詩を書かないのだ。


二〇一九年十月十三日 「詩論」


人間を操っているのがロゴスである。


二〇一九年十月十四日 「省察」


 恋人が去り、自分の自我の一部となっていた恋人の存在が変質していく。時がたち、その存在の特徴が薄れ、自分の自我のどこかにおさめられ、その痕跡もわからなくなるときがくる。完全に吸収したのだ。それが、ひとと付き合うということのなかに大きな意味があると思われることのひとつだ。


二〇一九年十月十五日 「全行引用詩」


 ぼくの全行引用詩、TOLTAの詩句のコラージュに近いものがあるような気がして、楽しさの一端が、ぼくにもわかるような気がした。


二〇一九年十月十六日 「芸術」


 刺青と天皇の肖像を燃やす映像、ぼくは美しいと思ったけどな。美的センスって、人それぞれだからな。そこに美を見ないひとには、しょうがないね、というしかない。


二〇一九年十月十七日 「箴言」


 時間を確実に徴収していく税務署のような、おまえ。気まぐれ坊主のおまえ、偶然よ。


二〇一九年十月十八日 「考察」


「場所」である大地ガイアと、「時間」であるクロノスを両親とする神々は、「出来事」ということになるであろうか。ギリシア神話のさまざまなエピソードが思い出される。


二〇一九年十月十九日 「考察」


 わたしは自然も神もよく知らない。しかし、自然や神は、わたしのことをよく知っているようだ。わたしを生かし、愛させ、憎ませ、喜ばし、悲しませ、死なせるのだから。


二〇一九年十月二十日 「断片」


彼は、なにごとにも句読点を打たなくてはすませない性格であった。


二〇一九年十月二十一日 「断片」


 ぼくがふと口にしたその言葉は、彼のこころに反していただけではなかった、ぼくのこころにも反していたのだった。


二〇一九年十月二十二日 「加藤思何理さん」


 加藤思何理さんから、詩集『花あるいは骨』を送っていただいた。さまざまな題材を多彩に扱ってらっしゃる。ぼくのような単純な頭の持ち主には思いつかないようなものがたくさんあって感心した。多才な方のようだ。


二〇一九年十月二十三日 「海東セラさん」


 海東セラさんから、同人詩誌『グッフォー』第72号を送っていただいた。セラさんの作品「Snow Globe」難解だった。ひさしぶりに難解な作品を目にして新鮮だった。


二〇一九年十月二十四日 「水島英己さん」


 水島英己さんから、詩集『野の戦い、海の思い』を送っていただいた。重たいテーマに真摯に向き合って書かれておられる。沖縄のこと。そうでないモチーフの詩についても真摯な印象である。書かれた言葉が重い。


二〇一九年十月二十五日 「妃」


 同人詩誌『妃』21号を送っていただいた。数多くの書き手の数多くの書き方。いまさらながらにして、詩の豊饒さを目の当たりにした。たくさんの書き手があるのだなと思った。


二〇一九年十月二十六日 「手術方法の違い」


 10月6日に入院して7日に手術をして3日後に退院したのだけれど、むかしは胆石の手術の方法は違っていて、3か月も入院しなければならなかったらしい。

 右肩さんへ ありがとうございます。おなかに穴をあけると、立ったり座ったりすることにも力が入らず難儀しましたが、いまはもう傷口の多少の痛みのみになりました。


二〇一九年十月二十七日 「ホラティウスの言葉」


 きのう、大谷良太くんと西大路五条のマクドナルドで詩の話をしていた。 高見順賞のアンケートがきたよと言うと、田中さん、もう詩の賞とか興味ないでしょう? というので、そだねと言った。 現代詩文庫に載るのも、もう興味ないでしょう? とも言うので、そだねと言った。

 さいきん詩が書けなくてと言うと、田中さん、ぼくがむかしそう言ったら書けないってこと書けばなんて言ってましたよ って言われて、ホラティウスがそう書いてたことを思い出した。ホラティウスの受け売りをぼくはしていたわけだけど きのう、大谷くんにはそう言わなかった。

 むかし、ホラティウスの言葉だよって言った記憶があったし、ぼくの詩にも、そんなこと書いてたしね。 大谷くんがやってる出版社の書肆ブンから2冊出す話があって、 1冊は『全行引用による自伝詩』で、あと1冊は『詩論集』って言うと、どこかに出したやつですかと訊かれたから、ぜんぶ文学極道の詩投稿掲示板に出したやつって答えた。


二〇一九年十月二十八日 「イメージ」


 フランス語でパピオンと言うと蝶々と蛾のことを指すらしい。 蝶々と蛾の区別がないんだね。 日本語だと蝶々はきれいなイメージだし……蛾はきたないイメージだけどね。 言葉って不思議だね。いや、人間って不思議なんだね。


二〇一九年十月二十九日 「ドクトル・ジバゴ」


『ドクトル・ジバゴ』Ⅰを読んでたら、97ページに「南京虫」という言葉が出てきて、はてさてどんな虫かな、よく出てくる名前の虫だけど、知らないことに気がついた。ネットで検索すればすぐわかるだろうけれど、見た目が怖そうなので、検索しないことにした。ゴキブリみたいなのかなあ。わからない。


二〇一九年十月三十日 「未発表の原稿」


 ファイルを眺めていたら、知らないうちに存在しているものがあったので、開いてみたら、未発表の原稿がぞろぞろ入っていて、なかには詩に使った記憶のあるものもあったのだが、なんだか不思議にうれしい。さいきん、詩の霊感がなくなっていたから。あと何年も新作を書かなくていいと思うとほっとした。


二〇一九年十月三十一日 「アルツ」


 書いた『詩の日めくり』を読み直したら、書いた記憶のない文章だらけだった。これは、重症だ。アルツにでもなったのかもしれない。



自由詩 詩の日めくり 二〇一九年十月一日─三十一日 Copyright 田中宏輔 2022-03-14 00:02:03縦
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