イカの海
室町

ある日わたしは、突然大の字に寝転がると天井をみ上げながらスルメイカのように笑いだした。スルメイカのあの十本のやわらかい足が海中でフラダンスのように揺れるように(それは気持ちよく)足と腹と首が連動して波打ち(ばかっばかしいほど)盛大に腹の底から(アホらしく)笑いつづけた。すると、パチン!と破裂するような音が聞こえた。気のせいか微かに硝煙の匂いも漂った。匂いのほうは破裂音から連想されたわたしの錯覚だったようだ。子どものころ安物のブリキのピストルが売られていて引き金を引くと一丁前に撃鉄があがって、せりだした巻紙の硝煙玉に撃鉄が当たると火花と爆発音がした。そのチープな破裂音とそっくりな音がしたので硫黄の匂いが連想されたのだが、事態はそれどころではなかった。わたしの外側はどうやらめくれあがって、尻の穴が口からせり出し、完全に裏返ってしまったようだった。尻の穴とは逆に口が尻のほうに裏返って閉じる音がパチン!という音だった。(なんというか凄いことになっていた。)外側では一個の個体にすぎなかったが裏返ってみるとそこには(広大な)余白が広がっていた。余白といってもわたしにも説明できないのだがまさに余白としかいいようのないものが眼前に広がっていたのだ。わたしはたまげた。無でもないし空でもないし虚でもない、やっぱり余白としかいいようがないものがどこまでもつづいている......かに見えたが、ようくみると壁がある。その壁がまたおかしいのだ。どこかでも見た覚えがあった。それは壁ではなく、いや、壁には違いないのだが、Amazonで買った机やテレビ、それに近所のうるさく吠える犬や下らない週刊誌やコンビニのおにぎりや道路標識やら、それから知った顔の人間やらが緻密に積み重なったものだった。それが天上まで続いてドームをかたちづくっているのだ。ちっぽけなわたしの内部がこんなに広いものだとは夢にも思わなかったのだが、さてもとに戻すにはどうすればいいのだろう。もう一度、あきれるほどバカ笑いするしか方法がないのだろうか。考えてみると底なしに劣化した外側などに戻ってもしょうがないではないか。かといって余白と向かい合うのもなんだかなあと考えていると、次の瞬間、余白が溶け出した。まるで常夏の熱波の下のキャンディーのようにそれはそれはとろとろと溶けはじめ、じわ~っと畳に広がっていくのが感じられた。なんということか、わたしはベランダの洗濯機の下をさまよい、トユを伝ってマンションの下の側溝を流れた。下水道を高速に走り、最後にぽとんと広いところに出た。おかあさん。わたしはスルメイカが群れをなして泳ぐ海に向かってそう叫んでいた。





自由詩 イカの海 Copyright 室町 2022-02-23 13:19:34
notebook Home 戻る