詩の日めくり 二〇一九年七月一日─三十一日
田中宏輔

二〇一九年七月一日 「平居 謙さん」


 平居 謙さんから、詩集『燃える樹々』を送っていただいた。読ませていただいた印象は、静謐。静かな声だ。ときに静かな声に耳を傾けるのもいいなと思った。


二〇一九年七月二日 「神が、わたくしである確率。」


人間のだれか一人は神である。
それは一人の連続した生のなかでの存在であるとは限らない。
いったい、イエス・キリストのいつからいつまでが神であったのか
つまびらかにした書物は1冊も読んだことがない。
「切れ切れ」なのだ。
神が、わたくしである確率は、どれぐらいあるのだろう。
わたくしが神であると困る人間が、だれかほかにいるであろうか。
わたくしは、ほかのだれが、どのときに神であっても当惑しないだろう。
わたくしには、
あらゆる瞬間の人間の行いが神のそれに思えるからである。
神が、わたくしである。
わたくしの短い生のあいだに、
神が、わたくしであった瞬間はあったのであろうか。
あったかもしれない。
自分が神であったという自覚があるとは限らないからである。
忘我のわたくしについては、
わたくしは、いっさい目隠しされているからである。
これを現在形で語りなおしてもよい。
わたくしは、神が、いつ、わたくしであっても、
いっこうにかまいはしないのだ。


二〇一九年七月三日 「そして、だれもがナポレオン」


という詩句が
だれの詩句であったか、思い出せない。
持ってる詩集にはなかった。
どなたか、ご存知の方がいらっしゃったら
教えてくださらないかしら?


二〇一九年七月四日 「詩句」



さっき思いついた言葉

甕はこわれるが、甕という概念はこわれない。

われながら、いい詩句になりそうと思ったのだけれど
「われながら」も、しゃれになっていることに気がついた。
しゃれ、ううううん。
だじゃれかな、笑。
意図せず。


二〇一九年七月五日 「エアコン工事」


7月22日・月曜日・午後1時 エアコン工事。


二〇一九年七月六日 「掃除」


エアコンの下に本棚を置いているので、工事しにくいだろうなと思っています。ぼくも部屋の掃除をしなくてはいけません。


二〇一九年七月七日 「推敲」


校正中のゲラを読んでいて、きょう、3時間、考え込んでいた一行の詩句。

両方のハサミのないものもいて

これを

両方、ハサミのないものもいて

にするまで、3回書き直して
断続的に、計3時間、考えていた。
途中のものをつぎに列挙する

両方ともハサミのないものがいて

両方、ハサミのないものもいて

両方のハサミがなくなっているものもいて

両方ともハサミがなくなっているものもいて

いまだに、再検討ありの付箋をつけている。
というのも、前後の詩句の音調とのバランスがあって
意味だけではなくて
イメージや印象だけではなくて
とりわけ、音調的なバランスがむずかしくて
はっきり決められないのである。
まあ、今週中に、この部分、決定しなければならないが。


二〇一九年七月八日 「日知庵」


来週も、火曜日、金曜日、日曜日。


二〇一九年七月九日 「考察」


さっき、塾に行く前に、自分の日記に

どの作品も、ぼくの魂が言葉に導かれた作品であると思う。

という言葉を書いたのだが
塾のアルバイトが終わって、帰ってくる途中の道で、
歩きながら、ふと考えていた。
まさしくそうじゃないかと。
才能とは、言葉の魅力を引き出す能力のことを言ってるのであって
個人の才能などというものは、ほんとに矮小なもので
偉大なのは、ただ言葉だけなのだと。
これは、わざとレトリカルに表現した部分もあって
誇張法的なものの言い方だが、言えてると思う。
どれほど偉大な作家も
ただ一つの言葉よりも文学に貢献した者はいないと思う。
シェイクスピアでさえ
ゲーテでさえ
いや、わたしの方が、とは決して言わないだろう。
詩誌や雑誌を読んでいて、よく思わせられる。
なんと、勘違いしている現代詩人の多いこと、多いこと、と、笑。
ほんま、辟易とさせられるわ。


二〇一九年七月十日 「SFミステリ傑作選」


 講談社文庫の『SFミステリ傑作選』を10年ぶりくらいに読み返す。古書で買ったとき、4、5000円くらいしたと思うのだけれど、それに見合う面白さがあったかどうかは、記憶にない。

いま Amazon で見たら1500円台だった、意外に安くなっている。

『SFミステリ傑作選』と同時に、『高慢と偏見とゾンビ』を読むことにした。『高慢と偏見とゾンビ』は数年まえに読むのを途中でやめたもの。さいしょから読む。


二〇一九年七月十一日 「キース・ローマー」


『SFミステリ傑作選』3番目に収録されている本文3分の1くらいの作品、キース・ローマーの「明日より永遠に」を再読した。読んだ記憶もなかったのだが、読んでるあいだもわけがわからなかったのだが、さいごの数ページでようやくわけがわかったのであった。難解な作品であった。読んだ記憶なしぃ。


二〇一九年七月十二日 「能天気グッズ」


休日
すぐれた詩集
公園
ベンチ
木陰


二〇一九年七月十三日 「闇を投げかける。」


闇を投げかける。

比喩的にではなくて
現象的にありえるのかどうか
アルバイト先の塾からの帰り道、考えていた。

『舞姫』と『The Gates of Delirium。』をくっつける
いくつかの系列の作品で、使おうかなと思っているアイデアがあって
リゲルからの「帰還者たち」が持ち帰ったものからつくったもの
という設定で。

しかし、現象的に説明できそうにないので
比喩的に用いる程度にするかもしれない。
ホムンクルスを捕獲する者たちが装着するゴーグルで
使おうと思っていたのだけれど
「闇をより深く闇にする」装置と
「闇がより深く闇になるので見えるようになる」ものを考えたかったのだけれど
2、30分の考察では無理だった。
まあ、またいつか、考え直してみようと思った。


二〇一九年七月十四日 「高慢と偏見とゾンビ」


『高慢と偏見とゾンビ』を読み終わった。もとの『高慢と偏見』と違うところがゾンビが出てくるところだけだったかなと思えるくらいに『高慢と偏見』を読んだ記憶が希薄だったけれど、読みやすかった。おもしろかった。


二〇一九年七月十五日 「ポール・アンダースン」


来週は、火曜日、木曜日、日曜日。

『SFミステリ傑作選』を再読した。それなりにおもしろかったが、そこまではおもしろくなかった。さてさて、つぎの寝るまえの読書は、3冊に分冊されたポール・アンダースンの『百万年の船』まず第1巻からだ。表紙を3冊並べると一枚の絵になっているというのもよい。初読である。


二〇一九年七月十六日 「あらちゃんとのおしゃべり。」


きのうは、電話でしゃべくっていて
とても貴重な見解にいたることができて、うれしかった。
きょうは、部屋に遊びにきてくれて
また、くっちゃべっていました。
あ、このあいだ、漂白剤での失敗のことで心配してくれて
上等のポロシャツ3枚、いただきました。
ふだん、ぼくが着ないような上等のもので
また、色あいも、ぼくが着ない感じで
とてもフレッシュな気がした。
あらちゃん、ありがとう。
きょうも、詩の話がおもしろかった。
きのう出た、貴重な見解って
それは、引用詩のことなんだけど
引用詩をつくっているときに
あるいは、自分のメモも、そうなんだけど
それをくっつけているときに
いちばん自我が強く働いているという気がする
というところを延長して考えると
引用詩には、モロに、ぼくの自我の構成力が発揮されていて
それが投射されているので
読む人につよい反発感を抱かせる
という可能性があるのではないか、ということだった。
可能性は大きいね。
というのが、きのうの電話での内容だった。
しかし、他者の自我に飲み込まれて
ここちよいこともあるわけで
けっきょく、相性
好みの問題かな、っていうのが、きょうのお話。
まあ、このことは、すこしだけのやりとりで
あとは、詩のこと。
そして、雑談と、笑。
楽しかった。
あらちゃん、ありがとうね。
チュ!


二〇一九年七月十七日 「きょう、一日の気になること、いくつか。」


授業で、ぼくの声が大きかった。
どこか、はしゃいでいたといった感じが、自分でもする。
躁状態なのだ。

欠席とか遅刻を記入する紙に書いた自分の文字のうち
ひとつの「す」が、これまでの人生でもっともうつくしい「す」
であったことに感動し、職員室で、宗教学の先生に、それを見てもらった。
「田中先生、字、ふだんから、きれいですよ。」と言われたのだが
その「す」は、ぼくがこれまでに自分の書いた「す」で
もっともうつくしかったのだ。
記念にとっておいて、書き換えたものを提出すればよかった。

アルバイト先の塾で、「先生、ぼくのしゃべり方になってる。」
と生徒に言われた。
人格の転移が容易になっているようだ。
気がつくと、ふだんの自分ではなかった。
生徒そっくりのしゃべり方をしていたのだった。
これも、躁状態のはっきりした兆しである。
あまり躁状態がつづくと
そのあとの欝がこわいのだが
まあ、いい。
数ヶ月はもつだろう。


二〇一九年七月十八日 「イデア」


イデアの概念って
共通認識っぽいものだと思っていたのだけれど
文脈によって変わるんなら
ずいぶん個人的なものなのだと思った。

それならイデアではなく
イデアを求めるというほうがずっと重要なのではないか?

いや、意味概念が変わるという
個々の瞬間こそ大事なのだ。
瞬間に思いを馳せる芸術の技こそ見もの。
時々刻々あらゆるものがその意味概念を変え
あらゆる事物・事象の意味概念が変わるものならば。

きのうの微笑みは
きょうにはもう意味を変えているのだ。
とどめておいた思い出も
思い出すたびに違ったものになっているとしたら
いったい思い出とは何か?

形が何であるか?
わたしたちは語るであろうけれど
語るわたしたち、ひとりひとりの胸のうちで
その意味概念が異なるものとしたら
いったい形とは何であろうか?

形を
言葉、わたし、わたしたち、あなたと言い換えてもよい。

「その形が何であるか
 何という形か
 コンテキストのなかで異なるものなのですよ」
「たとえば三角形ですね」
「そうです」
「いや、ぼくがお聞きしたいのは
 形というもののイデアなのです」
「ですから、その形が何であるかを
 ある形についてのもののイデアなら存在しますよ」
「そうではなく、形式や形という語彙について
 その語意の対象となるもののイデアなのです」
「そんなものはありません」
「ええっ?」

ある形のイデアを
幾何学でいうところの定義としてしか認識できないぼくには
チンプンカンプンであった。


二〇一九年七月十九日 「詩句」


その言葉は、周囲のあらゆる言葉の意味を変えながら旋回していたのだった。


二〇一九年七月二十日 「教室」


 教室が半分水につかっているのに、先生は黒板の端から端まで書いてる。ばかじゃないの。「ばかやろー」って叫んだ子がいる。どうせ街中、水びたしなんだけど、せめて学校でくらい、机のうえに立って、濡れないでいたいわね。


二〇一九年七月二十一日 「小羊のメイちゃん」


 ぼくの机の真ん中の引き出しから、なんかまちがってるんじゃないのというような顔をして見つめてくる小羊のメイちゃん。かわいい。


二〇一九年七月二十二日 「2010年6月4日のメモ」


形式のイデアってありますか?
職員室で哲学の先生たち3人に、そうたずねた。
「文脈によって異なります」
「どういう形式かによって異なります」
と言われて、ぼくにはチンプンカンプン。
ぼくのイデアについて考えてた語義は
プラトンが書いてたイデアだったのだけれど
プラトンのイデア自体、単純なものではなさそうだった。


二〇一九年七月二十三日 「詩論」


存在するのに形式は必要か?

形式が存在するためには、存在するものが必要であるが
存在が存在するためには形式を必要としていないのではないか?
そうだろうか?

形は目のなかだけではなく
耳のなかにもある。

感覚が捉え得ない形式もあるのではないか?

それを形式と認識もできないのに、形式と呼ぶってこと?

ぼくのなかのひとりの声が言うのだった。
存在するためには形式が必要である。
それが物質であっても、概念であっても。

存在は形式を求めると言ってもよいだろう。

形式を、そのつどつくらなければならない詩と違って
短歌や俳句がこんなに盛んなのも肯ける。

愛する対象を求めるぼくの気持ちも
愛する対象を求めやまないぼくの気持ちも
たんに形式を求めてのことに過ぎないのかもしれない。

しかし、愛は同時に自他の存在を相補っているものでもある。
自己の形式と他者の形式を。

よい詩人は語義を拡げ、語義を深める。
形式がひとつの限界なら
限界のひとつならば
よい詩人は新しい形式を開発し
それを定着させなければならないだろう。


二〇一九年七月二十四日 「案山子」


風を着たり脱いだり
日を着たり脱いだりと
忙しい


二〇一九年七月二十五日 「しあわせの形、かなしみの形」


こころは形を持たないから
すぐにしあわせの形をとりたがる。

こころは形を持たないから
すぐにかなしみの形をとりたがる。


二〇一九年七月二十六日 「チマチョゴリ  ディラン・トマス書簡集の不誠実な校正と翻訳の誤植の多さについて」


このことは、以前に書いたかな?
何週間か前に
韓国語の先生と帰りに興戸の駅でお会いして
いっしょに話をしながら帰ったときのこと。
紫外線よけのためだろうか。
ファンデーションが、少し濃い色のもののような気がしたのだ。
きょうは、職員室で
ぼくが帰るときに
きょうもごいっしょしようかなと思っていると
ノート・パソコンを開けてらっしゃったので
あいさつもせず先に退室したのだけれど
興戸の駅で
ベンチに腰かけて
ディラン・トマスの書簡集を読んでいると
ひとの気配がしたので顔をあげると
その先生がサングラスを外されるところだった。
「先生、韓国でも、外国の書籍をよく翻訳していますか?」
「よくしていますよ。日本のものも多いです」
「日本の詩は、訳されていますか?」
「いいえ。小説ばかりですね」
「とくにだれでしょう?」
「村上春樹ですね」
「ノーベル賞候補でしたね?」
「ええ」
「いま読んでいるのは、ディラン・トマスという詩人の
 書簡集なんですが、もう誤植が多くて
 校正ミスが10箇所以上あって
 びっくりしています。
 4200円もするのに
 まともな校正もしないなんて
 ほんとに不誠実な出版社ですよ」
電車がきた。
座席に空きがなかったので
ふたりは立ちながら
「こんなミスを見逃すのですよ」
と言って、そのページを見せると
「信じられないミスですね」
「でしょう?
 ください
 が
 くだい
 ですよ」
もっとひどいところがあるのだが
あとで、列記するね。
「ぼくって、こういうのってゆるせないんですよ。
 出版社と著者や翻訳者に直接手紙を書きます」
「わたしも、出版社に手紙を書いたことがありました。
 チマチョゴリの写真が表紙に載っていたのですが
 リボンが蝶々結びになっていたのです。
 チマチョゴリは
 まるひとつです。
 こうするのです」
とおっしゃって
右手をご自分の左胸のところで
架空の服のなかに差し込むようなしぐさをされて
「なるほど」
「蝶々結びだと
 まるふたつになります」
それから、翻訳の訳文について少し話をして
「韓国語にも敬語があるんですよね?」
「あります」
「日本では、年下の人間が年上の人間にタメ口をきくことがありますが
 韓国でもありますか?」
「ありません」
「えっ? まったくないんですか?」
「ありません。
 日本にきて、びっくりしました。
 電車のなかで(とおっしゃって、電車のなかを振り返り)
 修学旅行の学生が、先生に向かって
 つぎ、どこでおりるの? って言うのを聞いたとき
 カッとしました」
とおっしゃって、怒った顔をつくられて
「もう、いまはなれましたけれど」
笑われました。
「ぼくなんか、廊下で
 生徒に「あつすけ」って呼び捨てにされていますよ」
「ええっ?」
「あっ、一部の女の子たちにです」
「ダメですよ」
「ええ。
 ほかの先生がいらっしゃるときには
 呼び捨てにしちゃだめだよって言ってます」
そんなことを話しているうちに
ぼくが下りる竹田に着いた。


東洋書林 ディラン・トマス書簡集 徳永暢三・太田直也訳 誤植一覧

p.106 l.5 あな(、、)→あなた(、、、)
p.122 l.2 克服し来たって→克服したって
p.138 l.13 その原稿のばかに→その原稿のなかに
p.181 l.6 書いてくだい。→書いてください。
p.217 l.11 にところに今は→のところに今は
p.255 l.7 ということ気づいたか、→というところに気づいたか、
p.256 l.14 前に済んでいた敷地→前に住んでいた敷地
p.289 l.14 その話しを→その話を
p.290 l.5 カーボーイ→カウボーイ(ほかのページではカウボーイ)
p.299 l.7 待っていているのです→待っていてくれるのです
p.323 l.13 そうであるか、まぬけ面かどちらでしたよ
   →そうであるか、まぬけ面であるかどちらかでしたよ
p.324 l.5 ひどくよい男で→ひじょうによい男で
p.381 l.8 ハイフンの位置がずれている
p.394 l.11 スランゴレン帰って→スランゴレンに帰って

これ以外にも、訳文のおかしいところがいっぱいあって、びっくりした。
ぼくのアイドルのディラン・トマスが汚されたような気がした。
出版社には、いま手紙を書いたけれど、
訳者のひとりは亡くなっているそうで
生きている訳者のほうに、後日、手紙を送る予定。
なぜこんなレベルの翻訳しかできないのに
ディラン・トマスに手をつけたのか疑問である。


二〇一九年七月二十七日 「機会に弱い。」


kikainiyowai と打ち込んだら
機会に弱いと、笑。
もちろん
器械にも
棋界にも
奇怪にもだわさっ!


二〇一九年七月二十八日 「ペイチェック」


『百万年の船』を読み終わった。重厚な作品だった。つぎには、ディックの短篇集『ペイチェック』を読もうと思っている。しかし、それにしても分厚い。映画にのっかかってのハヤカワの商売の仕方だろうけれど、えげつない。ほかにもってる短篇集と重なる作品ばかりだ。読んだけれど、読んだ記憶はない。


二〇一九年七月二十九日 「葉山美玖さん」


 葉山美玖さんから、詩集『約束』を送っていただいた。ぼくと3歳違いの方だということだけれど、詩句に使われている言葉は、なるほど、そうなのか、というところと、そうではないところがあって、新鮮な感じがした。「定食屋」という詩がとくに目にとまった。ほかのひとの目にもとまる詩だと思う。


二〇一九年七月三十日 「廿楽順治さん」


 廿楽順治さんから、詩誌「Down Beat」第14号を送っていただいた。廿楽さんの詩の形式は、下付きの詩句が特徴で、この形を見れば、廿楽さんだとわかるものである。このことは、たいしたことであって、形式を見ただけで作者だとわからせることのできる詩人がいったい何人くらいいるのか数えればよい。


二〇一九年七月三十一日 「むかしのこと」


 感情の発展過程で、ある点以上には絶対成長しない人がある。かれら
は、セックスの相手と、ふつうの気楽で自由な、そしてギブ・アンド・
テイクの関係をほんの短いあいだしか続けられない。内なる何かが、幸
福に耐えられないのだ。幸福になればなるほど、破壊せずにはおけなく
なる。
(フレデリック・ポール『ゲイトウエイ』20、矢野 徹訳)

同じような文章をほかでも読んだ経験がある。
ぼくや、エイジくんが、そういった性質なのだと思う。
どちらか一方ではなくて、両方とも、そうやったんやから
とうぜん、うまくいくわけなかったのだけれど。
もうむかしのこと。
むかしのこと。
ぼくが30代で
エイジくんが20代だったころの話。



自由詩 詩の日めくり 二〇一九年七月一日─三十一日 Copyright 田中宏輔 2022-02-21 00:53:47縦
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