禁煙 2022.01.28(金)
田中恭平

2022.01.28(金)

 さて、禁煙をはじめようと思った。考えた。
おそらく、もっとはやく煙草はやめるべきであった。私は脳に障害を負っているのだが、煙草はその薬のとりこみを阻害するのであった。又、障害年金を頂いているのだが、そのお金を、自身の健康を破壊する為に使うべきでなかった。

 わかっているのだが、やめられなかった。ひとえに煙草の快楽と、依存性の為だ。

 告白するが、煙草は成人前から喫っている。はじめて喫ったとき、めまいや吐き気はなかった。推測するに、近年の煙草はめまい、吐き気が出ないように化学薬品を添加しているのだろう。メンソール煙草に麻酔薬が入っているのは事実だ。器官を麻痺させて煙を喫いやすくする。煙草産業は喫いはじめやすいように工夫しつづけているのだ。最近では、嫌な匂いがしない煙草が売られているし、口臭が悪くならないことを売りにした煙草も出た。
 それで、ニコチン依存症になってからはやめられない。


 文士が、ミュージシャンが煙草を喫っているから憧れて、ということでもなかった(一時期、中原中也に憧れて、フィルターのついたヴァージョンのゴールデン・バットを喫っていたが)。やめられなくなることを知らなかったから喫ったのだ。しかし、当時の私は芥川龍之介ではないが、「漠然とした不安」を抱えていて、一本煙草を喫ったら、その不安感は解消された。軽度の鬱症状で、煙草によって、ドーパミン快楽物質が放出されたのが関係していたのかも知れない。ともかくその一本で不安が消えたことがありがたく、次第に喫う本数は増えて、一日二十本のニコチン依存症者になってしまった。

 ほんとうは、私がまだ巣立っていなく、家族と共に暮らしていた時期、ねんごろしていた時期にやめるべきであったが、実際生活にほんとうに困窮しないと、煙草をやめるきっかけ、必然性は見いだせない。
 煙草の身体的禁断症状は、軽い。しかし身体的禁断症状が軽いことを、やめやすいものだと判断してはならない。精神的禁断症状加えて依存性、だが、これは高いのだ。

 稲垣足穂の作者紹介欄にニコチン中毒により一時文壇を離れた、とあるが、これは一体どういうことなのだろう。それにしても、昔の文士はよく喫っている。芥川龍之介が一日百本喫って煙草のことを「宝石箱」と評している。
 芥川龍之介は睡眠薬依存、それも昔の強力な睡眠薬の中毒でそのまま果てたことになっている。作品「歯車」の、眼前の歯車の幻視はこの睡眠薬の影響である。しかし、その不眠症の原因は鬱だったと言われている。私はここに、煙草の悪魔の影を感じる。
その鬱病の原因は、一日百本の煙草ではなかったのか、と(煙草を喫っていると鬱病になりやすい)。


 さて、私は生活が困窮しかけているのをきっかけに今日というか明日というか煙草をやめようと思うのだが、最後の煙草は十本のショートホープにした。零時きっかりに煙草をやめたいので、本数は少ない方がいい。

 小林秀雄が禁煙したときは、文章のリズムが崩れて、その勘を取り戻すのに三ヶ月かかったと公言している。
 一月末日をもって、今連続で投稿している自由律俳句が終わる。それから三ヶ月、何も書かないで、何を書こうか考えながら過ごしてもいい。
さて、がんばろう。


  追記
 健康増進法とあいまって、国は、喫煙者が煙草をやめるように、その値上げをしたと解釈する方もいるが違う。喫煙人口が減少して、税金の確保をしなければいけないので、煙草を値上げする、したのである。普通、物が売れなくなったら、その物の値段は下げられる。そうしなければ国鉄で築いた借金を返済できないからという理由だ。
WHOとの思惑も相まってのことだ。ごっちゃにしてはならない。財務省は喫煙者に煙草をやめてほしくない、が本音である。
 そして煙草のことばかり書いたが、WHOの次のターゲットは「お酒」である。お酒は体に悪いからやめようキャンペーンがはじまる。すると、酒税を上げやすくなるのである。だから、若い方は、煙草の罠に嵌まらないことは勿論、先のことを考えると、「お酒」の罠に嵌まってもいけない。
 洞窟のカナリアどころか、瀕死のカナリアが告ぐ。現実に酔ってしまえ。楽しめ。酒、煙草はやめておけ。・・・嗜好品がどんどんなくなることに恐怖を覚えるのは、日本がもう傾いているからか?

 


散文(批評随筆小説等) 禁煙 2022.01.28(金) Copyright 田中恭平 2022-01-28 23:35:03縦
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