雪国
山人

 雪が降ると、地元建設会社の除雪車が朝の三時ころから家の近くを通る。それとともに覚醒し、トイレに立ちインスタントコーヒーを飲む。用を足し、四時半には身なりを整え表に出る。
 昔から、家の前の雪を払う事を「門(カド)払い」という。言ってみれば古くからの伝統のようなものでもあり、家の階段や道路に面した部分までを除雪する行為である。今まではスノーダンプという雪をさらいこむ機具で人力除雪がメインであったが、最近では一旦人力で雪を集めておき、その後投雪機で飛ばすという方法にシフトダウンしている。
 自宅と家業宅が並んでいるため、門払いだけでも一時間半は掛かる。朝食後、今度は家業宅の裏手に投雪機を入れ、三十坪程度の面積を飛ばす。雪が多くなれば、どんどん面積が広がり時間を要することになる。
 雪のない地域の人にとって、雪はただの雪である。私たちにとって雪は多彩だ。外気温度が低ければ乾いた雪となり、息で吹き飛ぶほどだ。外気温度がマイナス一度くらいになると、雪は美しい結晶をつくる。完膚なきまでの六角形の自然の奇跡だ。衣服に着いた雪の結晶は肉眼でも見れる。さらに外気温度が一度近くなると、雪はさらに水分を含み牡丹雪となる。重い雪となり、人力除雪や機械除雪でさえも苦労する。
 雪には鮮度がある。日照により、粉雪は湿気を帯び、さらに雪の粒子が荒くなり、しまいにはザラメ状の雪となる。しかし、厳冬期に渇いた雪がたくさん降ると、それらは強烈に上からの圧雪により、硬くパッキングされシャベルでも壊れないような堅牢な層を形成してしまう。つまり、厳冬期の乾いた雪がたくさん積もった年は雪解けが遅い。
 今、道路の雪の壁は二メートルを有に超えている。驚く量ではない。短絡的に「むかしは」とよく言うが、昔はもっと多かった。十二月に根雪になり、一月はどんどん降り、二月もそこそこ降る。三月も春らしくはなってくるが、三月半ばには四メートルを超すことも多かった。
 
 父は昨年、連れ合い(私の実母)に先立たれ、昨年末から酒の多飲を控えているのか、悪酔いし暴言を吐くことをやめたようだ。今のところなのかもしれないが。おそらく、あちこちにガタが来て、まともな労働は出来なくなっているのだろう。昨年まで、危険な屋根の雪下ろしや、人力除雪などを積極的に行ってきたが、この冬は全く動かずにいる。一度、屋根に上る予定でいたらしいが、私がやると言い止めさせた。あれ以来ずっと私だけが除雪を行っている。父は今、朝四時に起き、薪ストーブに火を入れ、部屋を暖め新聞を眺め食事を摂る。日長テレビは父のために鳴り続け、夜は六時過ぎには床に就く。淡々と、日々を儀式を行うがごとく生きている。なにを考えているのかわからないが、何かを考えているのだろう。「あの道は俺が作った」「俺が作ったスキー場だった」と一切をデフォルメして言い放った父は口を失ったかのように寡黙だ。
 父に限らず、雪は、冬は、男たちの血液を沸騰させるにふさわしい相手であった。まさに相手に不足はない相手だった。強引に容赦なくすべてを埋め尽くす白魔に対抗するには克雪しかなかった。燃え滾る闘志を、しかし、そのままぶつけるのではなく、畳みかける静けさに対し、心を平易に保ちながら、ひたすら修行僧のように雪を除けてゆく。なにもない退廃的な白さに向かっていると、やがて雪は除雪作業によって取り除かれ、体内に刺さった夥しいとげとげがすべて失われていることに気づく。雪をさらいこむ,除雪機具の音と、吐く息の音、暗い朝と同化しているのは一個の静かに闘う一つの人体。ともしびを消さないように、ささやかではあるが明かりを消さないように、男たちはずっと昔も今もそうして雪と対峙している。

 四季を通じ、村人の挨拶は天候の事や、田の話だ。「はて、さっつぁんなったのぉ(もう、いやになったね)」「もうぞうぶりだのぅ(きちがい降りだね)」、つまりは共有である。雨が続けば、雨を挨拶にし、暑ければ暑い、凌ぎやすくなれば「いい塩梅だのぅ」と言い合う。
 雪が美しいのは間違いない。雪山が美しいのは間違いない。しかし、それを芯から感じているのは私たち雪国に住む人だけだと感じる。


散文(批評随筆小説等) 雪国 Copyright 山人 2022-01-23 07:55:47
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