詩の日めくり 二〇一九年一月一日─三十一日
田中宏輔

二〇一九年一月一日 「ウルトラQ」


 元旦からひとりぼっち。ウルトラQのDVDを見てすごす。やっぱり、ウルトラQの出来はすばらしい。ちくわを肴に、コンビニで買ったハイボールも2杯のんで、いい感じ。ウルトラQ、涙が出るくらい、いい出来だ。


二〇一九年一月二日 「二つの卵」


二つの卵は
とても仲良し
いつもささやきあっている
二人だけの言葉で
二人だけに聞こえる声で


二〇一九年一月三日 「卵予報」


きょうは、あさからずっとゆで卵でしたが
明日も午前中は固めのゆで卵でしょう。
午後からは半熟のゆで卵になるでしょう。
明後日は一日じゅう、スクランブルエッグでしょう。
明々後日は目玉焼きでしょう。
来週前半は調理卵がつづくと思われます。
来週の終わり頃にようやく生卵でしょう。
でも年内は、ヒヨコになる予定はありません。
では、つぎにイクラ予報です。


二〇一九年一月四日 「卵」


あなたが見つめているその卵は
あなたによって見つめられるのがはじめてではない
あなたにその卵を見つめていた記憶がないのは
それは
あなたがその卵を見つめている前と後で
まったく違う人間になったからである
川にはさまざまなものが流れる
さまざまなものがとどまり変化する
川もまた姿を変え、形を変えていく
その卵が
以前のあなたを
いまのあなたに作り変えたのである
あなたが見つめているその卵は
あなたによって見つめられるのがはじめてではない
あなたにその卵を見つめていた記憶がないだけである


二〇一九年一月五日 「リサ・タトル」


 イギリスSF傑作選『アザー・エデン』さいごに収録されたリサ・タトルの「きず」を読んで寝よう。ギャリー・キルワースの掌篇3篇は笑った。質の高いアンソロジーだった。むかしはじめて読んだときも、アンソロジーとして、質が高いと思ったのだけれど。

 リサ・タトルの「きず」を読み終えた。おもしろかったという記憶通り、おもしろい作品だった。内容は憶えていなかったのだけれど。きょうから、イアン・マクドナルドの『火星夜想曲』を読む。まあ、きょうは、後書きと冒頭の作品の一部で眠りにつくことになるのだろうけれど。楽しみだ。これは初読だ。


二〇一九年一月六日 「創卵記」


神は鳥や獣や魚たちの卵をつくった
神は人間の卵をつくった
卵は自分だけが番(つがい)でないのに
さびしい思いがした
そこで、神は卵を眠らせて
卵の殻の一部から
もう一つの卵をつくった
卵は目をさまして隣の卵を見てこう言った
「おお、これこそ卵の殻の殻
白身もあれば黄身もある
わたしから取ったものからつくったのだから 
そら、わたしに似てるだろうさ」
それで、卵はみんな卵となったのである


二〇一九年一月七日 「朗読会の準備」


 クリアホルダー20枚と用紙500枚を買ってきた。1月19日(土)の朗読会で配布する、ぼくの詩のテキストを印刷するためだが、いま考えているのは、18枚に相当する量で、30分の朗読では、多すぎるかもしれない。途中でやめるということも考えている。ザ・ベリー・ベスト・オブ・ザ・ベストだ。

 わずか1時間で、1月19日(土)の朗読会の、配布用のテキストが印刷できた。頭のなかの計算では数時間かかると出たのだけれど、機械はすごいね。「王国の秤。」を落として、「マールボロ。」を採った。はじめて書いた詩である「高野川」から、最新作の「いま一度、いま千度、」まで、選びに選んだ。

 朗読会は、1月19日の土曜日に京都の岡崎で催されます。もう予約でいっぱいなので、新しく参加されることはできないと思いますが。宮尾節子さん主催です。ぼくはゲストになっています。30分ほど朗読する予定です。(対談含めてかもしれませんが)


二〇一九年一月八日 「約束の地」

その土地は神が約束した豊かなる土地
地面からつぎつぎと卵が湧いて現われ
白身や黄身が岩間を流れ
樹木には卵がたわわに実って落ちる
約束の地


二〇一九年一月九日 「調子ぶっこいてバビロン」


そういえば
きょう、仕事場で
このあいだの女性教員ね
そのひとに
「田中さんて
なんで、そんなに余裕のある顔してるの
つぎの仕事を探さなきゃならないっていうのに。」
なんて言われました。
べつに余裕のある顔してるんじゃなくって
そういう顔つきなのっていうの。
ああ
調子ぶっこいてバビロン
きょう
20数年ぶりにあったひとがいてね
そのひとに
さそわれちゃった、笑
ぼくの数少ない年上のひとでね
相変わらずステキでした


二〇一九年一月十日 「水根たみさん」


 水根たみさんから、詩集『幻影の時刻』を送っていただいた。10行にも満たない短詩がいくつも載っている。長くても、14、5行。いさぎよい感じ。ここまで言葉を短くできるのかという思いで、詩行を読んだ。


二〇一九年一月十一日 「卵」


卵を割ると
つるりんと
中身が
器のなかに落ちた
パパが
胎児のように
丸まって眠っていた
ぼくは
お箸を使って
くるくるかき回した
パパはくるくる回った


二〇一九年一月十二日 「卵」


卵を割ると
つるりんと 中身が
器のなかに落ちた
ぼくはちょっとくらくらした
ぼくが胎児のように
丸まって眠っていた
ぼくは
お箸を使って
くるくるかき回した
ぼくはくるくる回った
ものすごいめまいがして
目を開けると
世界がくるくる回っていた


二〇一九年一月十三日 「空卵」


卵を割ると
空がつるりんと
器のなかに落っこちた
白い雲が胎児のように
丸まって眠っていた
ぼくは
お箸を使って
くるくる回すと
雲はくるくる回って
風が吹いて
嵐になって
ゴロゴロ
ゴロゴロ
ピカッ 
ババーン
って
雷が落ちた
ぼくは
怖くなって
お箸をとめた


二〇一九年一月十四日 「イアン・マクドナルド」


 イアン・マクドナルドの『火星夜想曲』ぼくには読みにくい文体だ。ここ10日間ほどで、まだ数十頁しか読めていない。きのう、Amazon で、『三分間の宇宙』と『ミニミニSF傑作展』を買った。短篇SFのアンソロジーだ。到着するのが楽しみ。中断中の読書、3冊。楽しくない読書はやめるようにしている。


二〇一九年一月十五日 「卵」


コツコツと
卵の殻を破って
卵が出てきた


二〇一九年一月十六日 「卵」


コツコツと
卵の殻を破って
コツコツという音が生まれた
コツコツという音は
元気よく
コツコツ
コツコツ
と鳴いた


二〇一九年一月十七日 「卵」


藪をつついて卵を出す
石の上にも卵
二階から卵
鬼の目にも卵
覆水卵に戻らず
胃のなかの卵


二〇一九年一月十八日 「『三分間の宇宙』と『ミニミニSF傑作展』」


 何日かまえに、Amazon で注文した、SFアンソロジー『三分間の宇宙』と『ミニミニSF傑作展』が届いた。『三分間の宇宙』は新刊本のように、きれいだ。タイトルだけで、本文が一文字もない作品も載っている。そういえば、『源氏物語』にも、そういうものがあったかなあと記憶している。間違えてるかな?


二〇一九年一月十九日 「たくさんのひとり」


いま朗読会の1次会から帰ってきた。貴重な一日だった。

 たくさんのひとりという言葉を使って朗読しておられた方がいらっしゃって、そうだね、ぼくたちは、たくさんのひとりだよねって思った。


二〇一九年一月二十日 「まーくんと、きよちゃん」


 まーくんと、きよちゃん。ぼくの誕生日に、日知庵で、ぼくのために焼酎の『夢鹿』を一本、入れてくださったお客さま。お名前を憶えておかなくちゃね。とてもチャーミングなカップルだ。きよちゃんは、喜代子ちゃんというのが本名。とてもかわらしい女子だ。まーくんも同じく、とてもかわいらしい男子だ。


二〇一九年一月二十一日 「卵」


教室に日光が入った
きつい日差しだったから
それまで暗かった教室の一部がきらきらと輝いた
もうお昼前なんだ
そう思って校庭を見た
卵の殻に
その輪郭にそって太陽光線が乱反射してまぶしかった
コの字型の校舎の真ん中に校庭があって
その校庭のなかに
卵があった
卵のした四分の一くらいの部分が
地面の下にうずまっていて
その上に四分の三の部分が出てたんだけど
卵が校庭に現われてからは
ぼくたちは体育の授業ぜんぶ
校舎のなかの体育館でしなければならなかった
終業ベルが鳴った
帰りに吉田くんの家に寄って宿題をする約束をした
吉田くんちには
このあいだ新しい男の子がきて
吉田くんが面倒を見てたんだけど
きょうは吉田くんのお母さんが
親戚の叔母さんのところに
その子を連れて行ってるので
ぼくといっしょに宿題ができるってことだった
吉田くんちに行くときに
通り道に卵があって
ぼくたちは横向きになって
道をふさいでる卵と
建物の隙間に
身体を潜り込ませるようにして
通らなければならなかった
そのとき
吉田くんが
ぼくにチュってしたから
ぼくはとても恥ずかしかった
それ以上にとてもうれしかったのだけれど
でもいつもそうなんだ
ふたりのあいだにそれ以上のことはなくて
しかも
そんなことがあったということさえ
なかったふりをしてた
ぼくたちは道に出ると
吉田くんちに向かって急いだ


二〇一九年一月二十二日 「卵」


わたしは注意の上にも注意を重ねて玄関のドアをそっと開けた
道路に卵たちはいなかった
わたしは卵が飛んできてもその攻撃をかわすことができる
卵払い傘を左手に持ち
ドアノブから右手を静かにはなして外に出た
すると、隣の家の玄関先に潜んでいた一個の卵が
びゅんっと飛んできた
わたしは
さっと左手から右手に卵払い傘を持ち替えて
それを拡げた
卵は傘の表面をすべって転がり落ちた
わたしは
もうそれ以上
卵が近所にいないことを願って歩きはじめた
こんな緊張を強いられる日がもう何ヶ月もつづいている
あの日
そうだ
あの日から卵が人間に反逆しだしたのだ
それも、わたしのせいで
京都市中央研究所で
魂を物質に与える実験をしていたのだ
一個の卵を実験材料に決定したのは
わたしだったのだ
わたしは知らなかった
そんなことをいえば
だれも知らなかったし
予想すらできなかったのだ
一個の卵に魂を与えたら
その瞬間に世界中の卵が魂を得たのだ
いっせいに世界中にあるすべての卵に魂が宿るなんてことが
いったいだれに予想などできるだろうか
といって
わたしが責任を免れるわけではない
「これで進化論が実証されたぞ」と
同僚の学者の一人が言っていたが
そんなことよりも
世界中の卵から魂を奪うにはどうしたらいいのか
わたしが考えなければならないことは
さしあたって、このことだけなのだ


二〇一九年一月二十三日 「きみは卵だろう」


バスを待っていたら
停留所で
知らないおじさんが ぼくにそう言ってきた
ママは、知らない人と口をきいてはいけないって
いつも言ってたから、ぼくは返事をしないで
ただ、知らないおじさんの顔を見つめた
きみは卵だろう
繰り返し、知らないおじさんが
ぼくにそう言って
ぼくの手をとった
ぼくの手には卵が握らされてた
きみは卵だろう
待っていたバスがきたので
ぼくはバスに乗った
知らないおじさんはバス停から
ぼくを見つめながら
手を振っていた
塾の近くにある停留所に着くまで
ぼくは卵を手に持っていた
卵は、なかから何かが
コツコツつついてた
鶏の卵にしては
へんな色だった
肌色に茶色がまざった
そうだ
まるで惑星の写真みたいだった
木星とか土星とか水星とか
どの惑星か忘れたけど
バスが急停車した
ぼくは思わず卵をぎゅっと握りつぶしてしまった
卵の殻のしたに小さな人間の姿が現われた
つぎの停留所がぼくの降りなければならない停留所だった
ぼくは殻ごとその小人を隣の座席の上に残して立ち上がった
その小人の顔は怖くて見なかった
きみは卵だろう
知らないおじさんの低い声が耳に残っていたから
降りる前に一度けつまずいた
ぼくは、一度も振り返らなかった


二〇一九年一月二十四日 「テーブルの上に残された最後の一個の卵の話」


透明なプラスティックケースのなかに残された
最後の一個の卵が汗をびっしょりかいている
汗びっしょりになってがんばっているのだ
その卵は、ほかの卵がしたことがないことに
挑戦しようとしていたのだった
卵は、ぴょこんと
プラケースのなかから跳び出した
カシャッ


二〇一九年一月二十五日 「記憶」


 ふと、京大のエイジくんのことを思いっきり思い出してしまって、そのエイジくんに似ている、いま好きな子とのあいだに、いくつもの共通点があって、人間の不思議を感じる。もしかしたら、人間って、ひとりしかいないのかもしれないって思ったことがある。ただひとりの人間が、何人もの人間のフリをしたがって、何人もの人間のように見えてるだけじゃないのかって。そう思えるくらいに、似ているのだ。顔ではない。雰囲気かな。魂かな。姿かたちではないものだ。ああ、そんなことを言えば、ヒロくんとも似ている。みんな、同一人物じゃないのかってくらい。しかし、これは錯覚だろう。ぼくの脳が、何人もの人間を結びつけようとしているだけで、ひとりひとりまったく違った雰囲気、魂をもっているのだろうから。ただ、脳の認識のうえでは、何人もの人間がひとりに見えることがあるというだけで。けさ、ノブユキの夢を見た。もう25年もまえの恋人を。


二〇一九年一月二十六日 「断片」


 ひとはそれぞれの人生において、そのひと自身の人生の主人公であるべきである。したがって、他者に対しては、自己は他者を生かす背景に退かなければならない。けっして他者の人生において、自分が主人公となってはならない。と同時に、自己の人生において、他者を主人公にしてはならない。さまざまな感情に振り回されることのない、たしかなものがほしい。ひさしぶりに訪れた建仁寺の境内の様子は、子どものときに記憶していたものとすっかり違ったものになっていた。わたしの子どものときには、わたしたち子どもたちの姿があちこちに見られた。高学年ならば野球の真似事をしていたのではなかっただろうか。低学年ならば、境内の公園の遊具を用いて遊んでいたものであった。池が二つあった。その一つで、わたしたち子どもたちは、よくザリガニ獲りをしていた。そんな光景は、いまは、どこにもない。子どもたちの姿さえ、どこにも見当たらないのだった。訪れるのは、わたしのような役人か、政府関係者か、切腹を見にやってくる外国人くらいのものであった。戦後になって、首都が東京から京都になり、切腹会場が東京から京都に移されて、建仁寺の境内の様子が様変わりしたのであった。ズズッという音がしたので振り返った。ホムンクルスが串刺しになった。わたしは立ち上がって、男の顔を見た。男はいやしい身なりの霊体狩りで、齢はわたしと同じくらいか、少し上であったろうか。「ここは聖なる霊場である。ここでホムンクルスを獲ることは禁止されておるはず。」男は少しもひるまず、こう答えた。「お役人さまは、お知りじゃないんですね。このあたりでも、近頃は、醜いホムンクルスが徘徊するようになって、わっしらのような者に、ホムンクルスを狩るようにお達しが出されたんでさ。」わたしは自分の無知を恥じて、口をつぐんだ。男はそれを悟ったかのようないやらしいニヤけた笑いを顔に浮かべて、突き刺したホムンクルスを腰にぶらさげた網のなかに入れた。傷ついたホムンクルスの身体から銀白色の霊液が砂利のうえに滴り落ちた。「このホムンクルスのように、化け物じみた醜いホムンクルスたちが増えたのは、つい最近のことですが、ご時世なんでしょうな。」「それ以上、口にするな。」わたしは男を牽制した。どこに目や耳があるかもしれなかった。政治に関する話は、きわめて危険なものであった。男の姿が目のまえから消えてしばらくしてからも、わたしの身体は緊張してこわばっていた。肉体的な苦痛ほど恐ろしいものはない。わたしはそれを熟知していた。なぜなら、わたし自身が拷問者だからだ。わたしにわからない。どうして苦痛が待っているのに、男も女も、日本人も外国人も、反政府活動をするのか。第二次世界大戦で、日本がアメリカに勝ち、アメリカを日本の領土としてから、もう二十年以上もたつというのに、アメリカを日本から独立させようなどという馬鹿げた運動をするのか。国家反逆罪は死刑である。死刑囚から情報を引き出すために拷問するのが、わたしの仕事であった。また、眼球や内臓を摘出したあと、エクトプラズムを抜くために、わたしたちの手から術師たちの手に渡すのだが、そのまえに、まぶたと唇の上下を縫い合わせるのだが、その役目も、わたしたちは担っていた。


二〇一九年一月二十七日 「イマージュ」


 鳥の散水機の電気技師の植木鉢のネクタイピンの微笑みのエスカレーターの瞑想の溜まり水の肘掛け椅子の小鳥の映画館の薬莢の古新聞の電信柱の蜜蜂の肘掛け椅子のビニールの牛の藁屑の理髪店の新幹線のレモンの俯瞰の花粉の電気椅子の首吊り台の雲のいまここのいつかどこかのかつてそこの自我の密告者の麦畑の船舶のカンガルーのエクトプラズムのハンカチの襞の寄木細工の草の内証の等級の新約聖書の自明の連続のオフィーリアの多弁の乾電池の朝食の時計のトランプの絆創膏の護符のバインダー・ノートの孔子の老子の荘子の政府承認の散文の韻文の抑揚の踏み板の首吊り縄の勲章の衣装のルーズ・リーフのコンセントの歌留多の帽子の絵空事の逮捕の証明書のぼっきの遺伝性機能障害の検査官の杜甫の陶淵明の去勢の描写の退屈のスパイ行為の旧約聖書の情念のサボタージュの堕落の壁の政治的偏向の因果律の表現のタイルのタオルの葱の小松菜の逐電の代謝作用のレコードのハミガキチューブの古典の技巧の細胞の組織の飛び領土の直線の亡霊の故郷の世界のコーランの原始仏典のチャートの汗の株式相場の計算用紙の意味の構造の漢字の経験の翻訳の瞬間の全体の官能の食料品店の心臓病の収集の薬玉の土曜日の寝台の手袋の顔の曲がり角の森羅万象の金魚の石榴の自転車の蝙蝠の幸福の鉄亜鈴の約束の珊瑚の嵐のつぐみの左手の教理問答の彫像のゼニ苔のウミガメの無関心の修練の献血の飛行機のつぼみの砂肝の道標の犯罪者の群青の異端者の刑罰の電極のチョコレートの意識の知覚の因果関係の非能率の膝頭の壺の光の風景の事物の言葉の音の葉脈の噴水の羽毛の噴水の間違いの存続の鼓動の樹冠の犬の亀裂の娯楽の技法の臨界の砂浜の蚊柱の鍵束の呼吸の神話の紙やすりの座薬の継母の自然の服従の奢侈の経路の埃の食虫植物のヨットレースの舌打ちの撫子の洗面台の受話器の因果律の告発の周期の背中の万葉集の釘抜きの微笑みの悲しみの平仮名の山脈の軍需工場の贓物占いのスパンコールの麻痺の渦巻きの赤錆の手術室のハンバート・ハンバートの考察のジュリアン・ソレルのスポーツ観戦のドン・ジョバンニの俳句の勢子のDNAの砂糖菓子の証言の肉体のコマの胡麻の素朴の軋轢の潜在的同性愛者の有刺鉄線の単位の美の事情の技術の不穏の明晰のヒキガエルの知識の木炭の発音の魂の売春宿の特権階級の太平記の嘘の真実の異議の働きの輸入品の人生の隔離状態の接触の摩滅の物語の現実の井戸の存在の舞踏家の無為の沈黙の殖産興業の小太鼓の原爆の違反者の抑揚のカインの営みのアベルの形容詞の通年の活版印刷のミンチカツ・ハンバーガーの猿の微振動の猫の霞の圧迫の雨の回転運動のマルガレーテの対称移動のジュリエットの杖のハムレットの翼のリア王のショッピングモールの芭蕉のファウストのアーサー王の神のコーヒーのクーラーの破局の悶えのカメラの糊のポールのジョンのジョージのリンゴの黒人の白人の哲学の季節の偏見の創造の黄色人種の骸骨のピンクの仮定の青の紫の向日葵のニガヨモギの裸電球の暁のクエン酸の馬頭星雲の薄暮の朝日の真夜中の正午の文庫本の図鑑の辞書の感情のボール箱の物証の治療のダイダロスの歯ブラシの比喩のエンジンのタオルの事典の韻律の休暇の雑誌の孤独の叫びの螺旋の出来物の表面の剃刀の括約筋の潰瘍の内部の露台の鱗の声のモザイクの交接の繊毛の接触の屏風の喉の階段のイメージの現実の波の肉体の焦点の麻薬の足音の旋回の儀式の背骨のゲップの名残のジャイロスコープの出産の弾丸の迷信の拷問の凧の深淵の堕落の緊急の排泄の漆黒の禿の勝利の偏光のクラゲの恥辱の放棄の愚連隊の弾丸の象牙の皮膚の響きの切り株の人混みの廃墟の高木の茂みの鈴の模様の繁殖の移植の抱擁の恍惚の布地の汚染の睦言の大衆の蔓の火打ち石の海鳴りの緊張の気泡の道の根の演技の橇の憂鬱の記録の噴水の壁掛けの緊張の眉毛の習慣の屈折の桟橋の平面の棍棒の瘡蓋の乳房の眉毛の真珠の刷毛の挨拶の信頼の解説の休息の襲撃の陰毛の物語の誤解の躊躇いの雑草の炎の物腰の強さの弱さの根の結晶の魂の寄生虫の万華鏡の曖昧の覇者のタクシーの騒動の鶏の胃の腸の肺の歓喜の音階の神秘の感触の一枚の溝の隠喩の霧の伸縮自在の追跡の恋歌の波紋の潅木の鳴子の象徴の人間の爆発の楔形文字の饗宴の旋律の木造のトマトケチャップの福音の隣人の頭蓋のマヨネーズの手術の霊感の悲劇の定期券の寝室の読み物のオーバーヒートの性的倒錯の頌歌の凸凹の司祭の蹄鉄の溺死の瞳の狼狽の非在の歓楽街の親指の精神安定剤の地雷の空集合の枯れ枝の跳躍の共鳴の消滅の象形文字の有刺鉄線の存在様式の境界の騙し合いの切符の跳躍の湿疹の手榴弾の田園交響曲の警察の驚愕の手紙の片隅の無人の胸部の思春期の急流の未遂の図書館の地平線の群集の無意識の自動皿洗い機の運動靴の周辺の臍の観覧車の憂いの銀紙のバス停の花壇の白旗のこめかみの頂点の吊革の吸い取り紙の懺悔の踏み越し段の籠の頬の妄想の劇場の陶器の奴隷の囀りの膨張の波動の唸りの洟水の背鰭の軋りの偶然の朝市の被写体の動揺の威厳の木っ端微塵の藪睨みの反復の審問の実体の瞼の突起物の語彙のこおろぎの微熱の絨毯の鼻梁の契約の気配の吟味の喪服の目配せの持ち前の雨音の滑走の武装解除の欄干の義足の上辺の胎動の瀕死の橋梁の指令の血筋の刹那の痙攣の沸点の波間の花びらの権利の水圧機の衝動の触角のエレベーターの符牒の生簀の眩暈の養子の鍾乳洞の数年前の例外の浴室の蛹の駐車場の破片の台風の動機の水槽の容貌の承認の純粋の迷走の虐待の美徳の跳躍の旋律の使徒の足蹴りのなだれの帽子の眩しさの犠牲者の観念論の悔恨の擦れ違いの城壁の封印の漣の尾鰭の輪郭の盲人の狼藉の趣味の国家の行列の神経の迷走の起源の解毒剤の穿孔器の元老院の深層心理の遠心分離機の異星人情報局の紙くずの摘み手のひと刷毛の滑稽の満足感の化粧のピーナツバターの自学自習の生まれ育ちの執刀医の瞑想の血管の謝罪の難点の相殺の花盛りの孵化の把手の留置場の小枝の虹彩の心無しの面影の量子ジャンプの軌道追跡装置の永劫の揮発性の移植の化石の返信の新陳代謝の斥力の割増料金の一瞥の孤島の昏睡状態の拒絶の意思疎通の略奪の新聞紙の弛緩の興奮の先祖の液体酸素の空腹の引力の映写機の緊張の王さまの兆候の激痛の湖岸の人形の難点の不機嫌の習わしの多幸症の瞬きの処方箋の暗黙の減圧室の妥協の茫然自失の物真似の長時間の告白の岸辺の意識の汚染の取り違えの真実の屈辱の芥子の静寂の袋小路の伝染病の微笑の訂正のガラガラのグリグリのバリバリの前歴の水流の偽りのアルマジロの段々畑の糸巻きの憎悪の残量の動作の咽喉の胚芽の悲哀の範囲の潜水艦の闘技場の試験結婚の饒舌の回収の両眼の縫合の禿げ頭の交信の大気圏突入の円環体の蜃気楼の胎児の壁紙の軌道の妊娠の避難の礼儀の汚染の鰐の催眠術の継ぎ目の急降下の輪転機の蜜蜂の大津波の胞子の渓谷の雷電の擬態の翻訳の慈善家の熱風の水蒸気の蝶の消化不良の象の幽霊の結び目の放浪の隊列の嫉妬の抱擁の泥炭質のまがいものの便箋の日没の狩猟場の音楽室の地すべりの電位差の巻き毛の官吏の凝結の鯨の剥製の宇宙飛行士の絶滅の理解の落下の殺戮の交換台の精神改造の戦さ化粧の徘徊の悩みの宇宙人同形論者の基盤の異種族嫌悪症の構造の大股のないがしろの塊の否定の状況の遮断の崇拝の間違いの鉄くずの水牛のスキャンダルの脊髄液の霊魂の繊維のひき蛙の陳列の宿命の費用の輻射熱の横笛の腐敗の還付の突然変異の反動の不意打ちの頭文字の輸出入の塒の呪いの錯覚の鸚鵡の所要時間の合唱の正体の檻の足元の思案の貧困の呟きの鉱山の傍観の砂漠の踊りの爬虫類の演説の凝視の折柄の初耳の彫刻家の爆破!


二〇一九年一月二十八日 「美しい言葉」


荘子は、美しい言葉は、燃え盛る炎のようだと書いていた。


二〇一九年一月二十九日 「ジャック・ケルアック」


 未読だったケルアックの本を読む。「ディテールこそが命なのだから。」(ケルアック『地下街の人びと』2、真崎義博訳、新潮文庫100ページうしろから4行目)この言葉以外、目をひくところは、どこにもなかった。とくにこころ動かされる場面も描写もなく、ただただだらしない文体がつづいていく小説だと思った。


二〇一九年一月三十日 「荒木時彦くん」


 荒木時彦くんから、詩集『crack』を送っていただいた。余白をぞんぶんに使いこなした、といった印象の詩集だ。


二〇一九年一月三十一日 「西原真奈美さん」


 西原真奈美さんから、詩集『朔のすみか』を送っていただいた。朗読会でお聞きした「箱買い」という言葉に再度、出くわして、ぼくにはなかった経験をなさっているのだなあと、あらためて思った。「次の重さ」も重たい気がして、ひさかたぶりに重たい詩を読んだ気がした。




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