私は猟人だった
山人

 五年ほど前であろうか、私は銃を返納した。煩雑な更新手続きと、年に一度の警察の自宅検査。そして銃という凶器になり得る道具とその弾薬。それらの管理だけならまだしも、わずか三ヵ月の猟期と少ない獲物。それらの事から、私の猟欲は失せていた。
 私はチーム猟は苦手で、ほとんど単独で出かけるのが好みだった。
 十一月十五日は狩猟解禁日なのだが、その後、私は比較的曇天か雨模様の日を求めて初猟に出かけた。
 銃口から漂う、オイルの匂いと、かすかに居ついた火薬臭。頬に当てがわれるであろう銃床の木質が光る。
 私の猟は、鴨撃ちから始まる。行きつけのダム湖の近くに車を停車させ、双眼鏡で眺める。鴨が居る位置を確認し、どのようにして近くまで忍び寄ることができるかという、いわゆるドンパチというゲーム性の猟ではなく、地味な忍び猟が基本となる。ときに枯れたススキ野原に身を潜め、じわりじわりと歩を詰めたり、場合によっては匍匐前進したりして距離を詰めていく。少しづつ鴨に近づき、射程内にたどり着くまでは息をひたすら殺す。しかし、そこまでたどり着けず飛び立たれたり、射程内に近づいたとしても失中することも少なくなかった。
 鴨が絶命しそれを回収する際も、文明の利器は何一つなく、ひたすら小石を投げては波紋を作り、肩が痛くなるほど投げ続けて、ようやく回収できる。また、釣り竿に重りの付いたものを投げて回収するという方法も取り入れた。
 家に戻り、まずは肛門から腸を取り除き、熱湯に丸ごと入れ、取り出した後、羽毛を抜く。なかなか抜けない部分もあり、根気のいる仕事である。羽毛を全部抜くと鴨の姿は二回りほど小さくなっている。これだけの大量の羽毛を羽織っているのだから冬でも寒くはないはずだ。おまけに完全防水である。
 雪が根雪になってしまうと、あらゆる湖水は雪でふさがれ、鴨は安全地帯に移動する。狩猟禁止区域に挙って移動するのだ。つまり解禁から根雪までの、わずかな期間しか鴨猟はできない。
 山がようやく根雪となるのは、正月を過ぎてからだ。おおかたの小径木が雪の下になり、やかましい藪が雪によって消失する。灌木でも直径十センチ以上のものだけが雪上で目立つようになる。夜行性のウサギが雪上に足跡を残す時期となる。
 冬のタンパク源として子供のころからウサギ汁を食べていた。小学生から寮生活を強いられていたが、土曜の夜はウサギ汁があった。母の煮てくれた大根入りのウサギ汁は骨ごと煮たもので味が濃厚であった。その頭部が特に好きで、眼球や舌、脳、歯茎などが特に美味だった。何よりも美味かったのは、骨の髄であろうか。蟹で言えば蟹味噌のようでもあり、あん肝に近い雰囲気もあったかもしれない。
 ウサギは、夜行性であるから夜行動し、発情し相手をさがしたり餌を食べたりする。そして夜明け前に、やや斜めになった木の袂の穴にかくれる。かくれる穴に入るときに、独特の足跡を残す。ふいにウサギは立ち止まり、回れ右をして後ろに戻る。そこから大きくジャンプし、木の袂の穴に入り込む。この足跡が最初まったくわからず苦労した。しかし、一人歩きをしているとじっくり習性を確認しながら猟ができ、覚えることができた。ただ、足跡は夜、多少の雪が降っている条件が望ましく、雪が全く降らない場合は足跡がごちゃごちゃになり、難易度が増した。
 猟は好きだったが、射撃場に通う金もなく、貧乏猟師だったから、なかなかレベルは上がらなかった。即実猟でしか練習できない境遇にあり、富裕人でなければ難しい趣味であると感じた。今はもう撃つことはできないが、散弾銃ベレッタの重みと、発砲の瞬間は克明にイメージできる。鼻の奥に銃口の香りが染みついている。
 昨日の夜、無人駅からの帰るとき、ライトを点けたらウサギが一瞬こちらを見て静止した。純白で美しいウサギだった。クラクションを鳴らすと欽ちゃん走りのようなけったいな慌てようで、闇に消えていった。

 


散文(批評随筆小説等) 私は猟人だった Copyright 山人 2022-01-06 18:24:51縦
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