肉の在り方
不老産兄弟

こうでなくてはならないとか、こうであるべきとか言うのはあんまり好きじゃないが、俺は一つだけ決して譲れない哲学をもっている。それは、肉の在るべき姿。

肉は、その存在自体魅力的なものでなくてはならない。
そこにあるだけで、周囲にエロスを感じさせるものでなくてはならない。

それは単に肉という物質の存在だけにとどまらず、それを含んだ言葉、概念、行為全てにそういった魅力を感じ取ることが出来なければ、もはやそれは肉として機能することはまずないように思える。例えば肉食、肉屋のように、肉を含んだ言葉は、肉そのものの魅力がその言葉のもたらすイメージに直結していなくてはならないと言うことだ。

我々人類が人生という大きな肉をどのように調理していくか、また賞味していくかは永遠のテーマであるかのように思えてならない。古代ギリシャに哲学が発達したのはその独特な地理的特徴があったからだと言われているが、同時にこの、人類に必要不可欠なテーマ、すなわち肉の存在意義の解明へ向けた取り組みがいち早く行われたからだと確信している。プラトンと占星術師達によって。

錬金術と肉との関連性について考えてみるのも面白いかもしれない俺だったりして。


自由詩 肉の在り方 Copyright 不老産兄弟 2005-04-29 14:44:06縦
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