詩の日めくり 二〇一八年九月一日─三十一日
田中宏輔

二〇一八年九月一日 「葉山美玖さん」


 葉山美玖さんから、小説『籠の鳥 JAILBIRD』を送っていただいた。クリニックに通う女の子の成長物語だ。会話部分が多くて、さいきん余白の少ない目詰まりの小説ばかりを読みつづけているぼくにとっては、読みやすい。ぼくなら、平仮名にするかなと思う個所が漢字であるほかは、ほんとうに読みやすい。


二〇一八年九月二日 「キーツ詩集」


 デュ・モーリアの傑作集『いま見てはいけない』を早朝に読み終わった。デュ・モーリアの傑作集『人形』より長めの短篇が入っていたのだが、とくにさいごに収められた短篇などは、『人形』の作品と違って、あいまいな印象をうけた。だが、読んでるときは、どれもおもしろく感じられてよかった。佳作かな。

 きょうは、いちにちじゅう、岩波文庫の『キーツ詩集』を読もうかなと思っている。たいくつな読書になると思うのだが、あしたから学校だ。退屈な読書を、できれば、きょうじゅうに終わりたい。どうしてキーツがイギリスでは大詩人なのか、ぼくにはまったくわからない。もしかしたら、きょうわかるかな。

 岩波文庫の『キーツ詩集』 長篇詩の物語詩「レイミア」と「イザベラ、またはバジルの鉢」を読んだ。もとネタのある詩で、へえ、もとネタの伝承や小説をそのままを詩にしただけやんか、と思った。こういう詩もあるねんね。そういうと、ポープもそんな神話劇のような詩を書いてたなと思い出された。いつぞやとは違って、きょうは、岩波文庫の『キーツ詩集』すーっと読める。いまから西院のブレッズプラスで、サンドイッチとアイスダージリンティーを食べに行く。で、そのままブレッズプラスで、残りの部分を読み終えてしまおう。体調がいいのかな。詩句がするすると入ってくるのだ。

 ちょっとまえに、西院のブレッズプラスから帰ってきた。岩波文庫の『キーツ詩集』を読み終わった。これから、ルーズリーフに書き写す作業に入る。夕方までに終えられたら、日知庵に飲みに行こうって思っている。あしたから学校なので、はやい時間に帰ると思うけれど。というか、帰らなくちゃいけない。

 ルーズリーフ作業が終わった。ブレッズプラスで、ふと思い出したように思って、キーツの詩句と、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの作品のタイトルとの関係についてメモしたけど、部屋に戻って調べたら、関係がないことがわかり、ルーズリーフには記載せず。似ている個所が僅かだった。健忘症だね。

 いや、やはり関係があった。いま、さっきとは違うティプトリーの短篇集を手にしてタイトルを見たら、「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた」(伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫『故郷から10000光年』所収)とあって、キーツの詩には「そして目が覚め、気づくとここにいた。/寒い丘の中腹に。」(『非情の美女(ラ・ベル・ダーム・サン・メルシ)』11、中村健二訳)とあった。

 いま、日知庵から帰ってきた。きょうから寝るまえの読書は、この下品な表紙の『ラブストーリー・アメリカン』(新潮文庫・柳瀬尚紀訳)である。ひじょうに楽しみ。きっと、人間がどこまで薄情で下品かってことが書いてあるような気がする。先入観だけどね、笑。この表紙を見ると、そう思えてくるのだ。


二〇一八年九月三日 「ラブストーリー、アメリカン」


 短篇集『ラブストーリー、アメリカン』、やっぱり、へんな短篇集みたい。冒頭の作品から、いきなり、妹のバービー人形とセックスするお兄ちゃんのお話だ。キャシー・アッカーマンが入ってたので買ったのだが、これは期待していい短篇集のような気がする。大げさすぎるところが、アメリカンって感じだ。


二〇一八年九月四日 「断章」


一たびなされたことは永遠に消え去ることはない。
(エミリ・ブロンテ『ゴールダインの牢獄の洞窟にあってA・G・Aに寄せる』松村達雄訳)

 過去はただ単にたちまち消えてゆくわけではないどころか、いつまでもその場に残っているものだ。
(プルースト『失われた時を求めて』ゲルマントの方・Ⅱ・第二章、鈴木道彦訳)

いちど気がつくと、なぜ今まで見逃していたのか、ふしぎでならない。
(ドナルド・モフィット『第二創世記』第二部・7、小野田和子訳)

一度見つけた場所には、いつでも行けるのだった。
(ジェイムズ・ホワイト『クリスマスの反乱』吉田誠一訳)

瞬間は永遠に繰り返す。
(イアン・ワトスン『バビロンの記憶』佐藤高子訳)


二〇一八年九月五日 「ラブストーリー、アメリカン」


 新潮文庫の『ラブストーリー、アメリカン』2番目の短篇は、レズビアンのお話で尻切れトンボみたいな終わり方をするものだった。3番目の短篇は男に執着する女で、男にできた新しい女に嫉妬して喧嘩して目をえぐられる話だった。

 いま、短篇集『ラブストーリー、アメリカン』に収録されている4篇目のデイヴィッド・フォスター・ウォーレスの「『ユリシーズ』の日の前日の恋」という作品を一文字も抜かさず読んでいるのだが、さっぱりわからず。まあ、意味のわからないものも、ときには読んでみる必要があるとは思っているのだが。

 いま、塾から帰ってきた。塾が移転して、ちょっと遠くなったのだ。塾の空き時間に、短篇集『ラブストーリー、アメリカン』のつづきを読んでたのだけれど、5篇目にして、ようやくふつうの恋愛小説になった。つぎに6篇目はめっちゃ差別的な作品で、そのつぎに、またふつうの恋愛小説になっているようだ。


二〇一八年九月六日 「詩を書くきっかけ」


 既知の事柄と既知の事柄の引用によって、未知の事柄に到達することがあるということがあるのですが、このことは、まだ、だれも気がついてないようです。もともと未知なるものの記述も既知なる事柄の組み合わせによって成立するものなのだと思っています。あたりまえと言えば、あたりまえのことであるかもしれませんが。科学の発見でさえ、近いものを感じます。

 わかっていることがわからないことと、わかっていないことがわかっていることとは、まったくちがうことである。わかっていることがわかっていることと、わかっていないことがわかっていないことも、まったくちがうことである。

 内藤すみれさんが、いつも的確に表現なさるのに驚いています。詩は書けるのですが、ぼくにはまっとうな文章が書けません。20代はじめ、さいしょは小説家を目指していたのですが、小説は書くのだけでも一作に数年かかることがわかり、また、ぼくの書くものは詩だという友人の忠告に従い、やめました。もう少し正確に書きますなら、ぼくの原稿を見た友人が、ぼくの手を引っ張るようにして書店に連れて行き、ユリイカの投稿欄を開いて、「ここに投稿しろ。」と言ったのがきっかけで、詩を書くことにしたのでした。そのときには、ぼくはもう27、8歳になっていました。もう30年もむかしのことです。その友人自身は小説を書いていました。いま舞台関係の仕事をしています。彼が年上でした。憎たらしい言い方で、小説の書き方を指南されましたが、いまでは感謝しています。「見たものを書け。おまえが喫茶店と書いたなら室内の様子をすべて把握してなければならない。」などと、いろいろ言われました。「「すべて」という言葉を使うなら、即座に、百や千の例をあげられなければならない。」などとも言われました。ためになることを、いっぱい教えてもらいました。ごくごく一時的な恋人でした。東京に行き、文学座の研究所に入りました。そのあと舞台関係の仕事をしています。遠いむかしの思い出です。


二〇一八年九月七日 「ふつうのサラリーマン」


 これから塾。水曜日の振り替え。連日の仕事はきついな。身体が慣れていない。ふつうのサラリーマンだったら、若いときに、即、やめていただろうな。


二〇一八年九月八日 「ラブストーリー、アメリカン」


 大雨の警報のせいで、学校の授業がなくなったので、短篇集『ラブストーリー、アメリカン』のつづきを読んでいる。あと4篇くらいで、読み終わる。少年愛の中年女性の話や、ゲイの話や、性奴隷志願者の女性の話などがつづいて、まっとうな恋愛ものはほとんどない。でも、ルーズリーフ作業はできそうだ。

 短篇集『ラブストーリー、アメリカン』を読み終わった。ふつうの恋愛小説は皆無だった。ふつうの、というのは、白人同士の同年代同士のストレートのカップルの健康的な恋愛話は、という意味。老人同士の狂った恋愛話がさいごの短篇。これから、これをルーズリーフ作業する。ルーズリーフのネタは多い。

 短篇集『ラブストーリー、アメリカン』のルーズリーフ作業が終わった。1ページに収まった。きょうから読むのは、再読になるが、先日、Amazon で買った、恐怖とエロスのアンソロジー『レベッカ・ポールソンのお告げ』である。13篇の物語が入っているのだが、例によって、ひとつも記憶にない物語ばかりだ。


二〇一八年九月九日 「断章」


やれやれ、何ぢやいこの気違ひは!
(ヴィリエ・ド・リラダン『ハルリドンヒル博士の英雄的行為』齋藤磯雄訳)

やっぱり芸術は、それを作り出す芸術家に対してしか意味がないんだなあ
(ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』8、井上一夫訳)

でも、
(ポール・アンダースン『生贄(いけにえ)の王』吉田誠一訳)

詩のために身を滅ぼしてしまうなんて名誉だよ。
(ワイルド『ドリアン・グレイの画像』第四章、西村孝次訳)

そんなことは少しも新しいことじゃないよ
(スタニスワフ・レム『砂漠の惑星』6、飯田規和訳)

人生をむだにややこしくして
(ダグラス・アダムス『さようなら、いままで魚をありがとう』34、安原和見訳)

ばかばかしい。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』13、宇佐川晶子訳)


二〇一八年九月十日 「いときん」


 きょうは、大雨警報が出てて、学校が休校だった。ぐったり疲れていて、いままで寝てた。体力がなくなってる。夏バテかな。

 ちょっと寒くなってきた感じがする。窓を閉めようか思案中。頭がぼうっとして、きょうは読書もはかどらない。あくびばかりが出る。齢かな。あと3カ月で58歳になる。

いときん、亡くなってたんやね、残念。


二〇一八年九月十一日 「松川紀代さん」


 松川紀代さんから、詩集『夢の端っこ』を送っていただいた。言葉の置き方がとても落ち着いた詩句が書かれてある。書き手の実生活感がある詩句が書かれてある。読み手に読みの困難さを要求する詩句はいっさいない。やわらかい、ここちよい詩句。読ませていただいて、こちらのこころも落ち着く気がした。表紙がまたおもしろい。というか、たいへんにていねいなつくりなのである。文字の部分が貼り絵になっているのである。びっくりした。こんなに手間暇をかけてある詩集に出くわしたのは、はじめてである。落ち着いた詩句にもぴったり合う。書き手のこだわり、性格なのであろう。誠実な方を思い浮かべる。


二〇一八年九月十二日 「レベッカ・ポールソンのお告げ」


 アンソロジー『レベッカ・ポールソンのお告げ』を半分くらい読んだ。読んだ尻から、もうほとんど忘れている、笑。きょうは、夕方に塾があるので、それまでに、これから残りの半分を読み切りたい。がんばるぞ。翻訳は来週からする。これを含めて、あと3冊、アンソロジーを読んだら、翻訳にとりかかる。

 アンソロジー『レベッカ・ポールソンのお告げ』を読み終わった。強く印象に残ったのは、冒頭のタイトル作品と、さいごに収録されていた作品くらいで、トマス・M・ディッシュは大好きな作家だが、収録作品は並だった。きょうは、これから、夕方に塾に行くまで、金子光晴の『どくろ杯』のつづきを読む。

 ちなみに、トマス・M・ディッシュはコンプリートに集めた作家で、去年、書籍の半分を友人に譲ったときにも、一冊も手放さなかった作家である。『歌の翼に』『M・D』『ビジネスマン』『334』『人類皆殺し』『キャンプ・コンセントレーション』『プリズナー』は傑作である。なかでも『歌の翼に』は群を抜いて傑作である。『ビジネスマン』も群を抜いている。


二〇一八年九月十三日 「茂木和弘さん」


 茂木和弘さんから、詩集『いわゆる像は縁側にはいない』を送っていただいた。一行一行の詩句が短く簡潔で、かなりレトリカルな展開をしていくのに読みやすくて、読んでて新鮮だった。簡潔でレトリカルというのは、新鮮な驚きを感じさせられた。詩を読んでいて、潔いといった言葉がふと浮かんだ。


二〇一八年九月十四日 「どくろ杯」


 金子光晴の『どくろ杯』を読み終わった。徹夜した。読みにくかったけれど、字が詰まりきりで、会話部分がほんのわずかしかなく、ぜんぶといってよかったほどほとんど字詰まりだった。でも、金子光晴の記憶力はすごいね。びっくりした。76歳で、鮮明に2、30代のことをとことん憶えていた。

 あさから病院にいくので、このまま、恐怖とエロスのアンソロジー第2弾『筋肉男のハロウィーン』を読もう。これは、一、二か月くらいまえに、堀川五条のブックオフで108円で買い直したもの。例によって、収録作品をひとつも記憶していない。新刊本を買ってるようなお得な気分だ。おもしろいかなあ。


二〇一八年九月十五日 「ハンカチ」


ハンカチからこぼれる海。
ハンカチがこぼす海。
ハンカチに結ばれた海。
ハンカチが結ぶ海。
海をまとうハンカチ。
ハンカチにまとわれた海。
ハンカチの海。
海のハンカチ。
ハンカチにほどける海。
海はハンカチ。ハンカチは海。
ハンカチに海。海にハンカチ。
ハンカチの海。海のハンカチ。
ハンカチでできた海。海でできたハンカチ。
ハンカチの大きさの海。海の大きさのハンカチ。
ハンカチに沈む海。海に沈むハンカチ。
ハンカチのかたちの海。海のかたちのハンカチ。
ハンカチと寝そべる海。海と寝そべるハンカチ。
35億年前のハンカチ。35億年後のハンカチ。
惑星の軌道をめぐるハンカチ。惑星の軌道をめぐる海。
惑星の軌道をめぐるハンカチ。ハンカチの軌道をめぐる惑星。
波打つハンカチ。折りたたんだ海。
ハンカチのうえに浮かぶ海。海のうえに浮かぶハンカチ。
ハンカチの底。海の裏。
ハンカチのたまご。海のたまご。
海の抜け殻。
細胞分裂するハンカチ。 海から這い出てくるハンカチ。
端っこから海になってくるハンカチ。
ハンカチの半分。海の半分。
海に似たハンカチ。ハンカチに似た海。
海そっくりのハンカチ。ハンカチそっくりの海。
海の役割をするハンカチ。ハンカチの役割をする海。
60℃のハンカチ。
直角の海。
正三角形の海。
球形のハンカチ。
ハンカチを吸いつづける。
海に聞く。
ハンカチに迷う。
ハンカチが集まる。
ハンカチが飛んでいく。
ハンカチがふくれる。
ハンカチがしぼむ。
ハンカチが立ち上がる。
ハンカチが腰かける。
ハンカチを食べつづける。
ハンカチを吐き出す。
ハンカチの秘密。秘密のハンカチ。
 

二〇一八年九月十六日 「短詩」


「台湾兵。」「ハイ!」「休憩したか?」「ハイ、休憩しました!」「では、撃て!」


二〇一八年九月十七日 「小松宏佳さん」


 小松宏佳さんから、詩集『どこにいても日が暮れる』を送っていただいた。冒頭の作のさいごの三行「地峡へ向かうこの石の階段は/わたしたちの運命を/かぞえている。」にみられるようなレトリックがすばらしい。「逆の視点」だ。おわりのほうの詩「春荒れ」にも見られるが、非常に効果的なものと思う。


二〇一八年九月十八日 「筋肉男のハロウィーン」


 短篇アンソロジー『筋肉男のハロウィーン』を読み終わった。きょうから、文春文庫のアンソロジー『厭な物語』を再読する。パトリシア・ハイスミスの「すっぽん」とかシャーリー・ジャクスンの「くじ」なんて、何度読み返したかわからない。いちばん再読したいのは、フラナリー・オコナーの「善人はそういない」である。


二〇一八年九月十九日 「草野理恵子さん」


 草野理恵子さんから、同人詩誌『Rurikarakusa』の第9号を送っていただいた。草野さんの2作品「白い湖」と「靴下」を読ませていただいた。「白い湖」は、モチーフ自体が扱うのが難しいものだと思うのだが、草野さんの「書く気迫」のようなもの、「勇気」といったものを見させていただいた気がする。

「鼎談」ていだん、と読むこの漢字が、3人による座談会を表現する言葉だと、はじめて知った。二人の座談会が「対談」というのは知ってたけれども。高校時代の国語の成績が悪かったのもうなずけます。

 短篇アンソロジー『筋肉男のハロウィーン』を徹夜で読み直した。憶えている物語が6、7割あった。それだけ名作が収録されていたのだろう。中断していた、というより、読み直しさえまだしてなかった、奇想コレクションの、シオドア・スタージョンの『[ウィジェットと]と[ワジェット]とボフ』を再読しよう。ただし、この記憶に残っていた6、7割のものも、読んでいるうちに思い出したので、正確には憶えていなかったものかもしれない。微妙。しかし、それにしても、記憶力の衰えはすごい。すさまじい忘却力。

見つけたぞ。何を? 

「きみの名前は?」(シオドア・スタージョン『必要』宮脇孝雄訳)

 奇想コレクション、シオドア・スタージョンの『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』の77ページの4行目にあった。これで、コレクションがまた増えた。(「HELLO IT'S ME。」の詩句がさらに長くなった)これ、再読なんだよね。なんで初読のときに見つけられなかったのか、不思議。それとも、初読のときにはまだ「HELLO IT'S ME。」のアイデアを思いついていなかったのかもしれない。


二〇一八年九月二十日 「ぼくの詩」


ぼくの詩が紹介されています。

http://www.longtail.co.jp/bt/a024_f.html


二〇一八年九月二十一日 「学校の授業のこと、中間テストのこと」


 きょうは一日、学校の授業のこと、中間テストのことを考えたいと思う。そのまえに、スタージョンの短篇集のつづきを読んでほっこりしよう。


二〇一八年九月二十二日 「シオドア・スタージョン」


 シオドア・スタージョンの『[ウィジェットと]と[ワジェット]とボフ』を徹夜で読み直し終わった。タイトル作品、記憶になかった。つぎの奇想コレクション再読は、ジョン・スラデックの『蒸気駆動の少年』まったく記憶にない。ひとつも憶えていない。このすばらしい忘却力。新刊本を買ってるようなもの。


二〇一八年九月二十三日 「ぼくたち二人が喫茶店にいたら」


ぼくたち二人が喫茶店にいたら
籠に入れた小鳥を持って女性が一人で入ってきた。
見てると、女性は小鳥に話しかけては
小鳥の返事をノートに書き留めていた。
「彼女、小鳥の言葉をノートに書き留めてるよ。」
「ほんとう?」
ぼくたち二人はその女性がしばらく
小鳥に話しかけてはノートを取る姿を見た。
彼女が手洗いに立ったとき
興味のあったぼくは立ち上がって
彼女のテーブルのところに行った。
ノートが閉じられていた。
その女性が小鳥の言葉を書きつけていたのか
それともまったく違うことを書いていたのか
ぼくにはわからなかった。

これは、けさ見た夢を書き留めたものである。


二〇一八年九月二十四日 「ジョン・ウィンダム」


 数学の仕事で、テスト問題をつくっているので、読書ができない。翻訳は10月中はいっさい手をつける時間がないようだ。57歳のいまが、人生でいちばん忙しい。若いときは、遊び倒してても、なおかつ読書する時間がたっぷりあったのに。体力が落ちて、横になる時間が増えたってことが大きな原因かな。

 持ってたけど、本棚になかったので、ジョン・ウインダムの『海竜めざめる』を Amazon で買い直した。カヴァーが、じつにすてきな文庫本だった。内容は忘れたけれど。

 ジョン・ウィンダムは大好きな作家で、むかし、『トリフィド時代』というSFを読んだ記憶もあるけど、いま手元にない。新しい訳で、創元SF文庫から出てるけれど、描写を憶えているから買わないつもりだ。まあ、気まぐれだから、わかんないけど。スラデックの短篇集『蒸気駆動の少年』を読んで寝る。


二〇一八年九月二十五日 「佐々木貴子さん」


 佐々木貴子さんから詩集『嘘の天ぷら』を送っていただいた。モチーフが独特の散文詩集だ。物語詩にもなっている。読み込まれる。


二〇一八年九月二十六日 「加藤思何理さん」


 加藤思何理さんから、詩集『真夏の夜の樹液の滴り』を送っていただいた。濃密な世界がたんたんと書かれている詩篇が多く、しかし、読むのには苦労しなかった。描写力がすぐれているからだろう。おもしろい詩を書くひとだ。


二〇一八年九月二十七日 「短詩」


空に浮かぶ青でさえ胸狭い バッグの中の面積を集める


二〇一八年九月二十八日 「荒木時彦くん」


 荒木時彦くんから、詩集『NOTE 004』を送っていただいた。いまのぼくの精神状態では切実なモチーフだった。アルファベットの使い方が秀逸だった。さすが。


二〇一八年九月二十九日 「海竜めざめる」


 Amazon で注文した、ジョン・ウィンダムの『海竜めざめる』が届いた。ビニールカヴァーがかけてあって、これ、ぼくがひとに譲ったやつだった。買い直し1400円ちょっと。なんだかなあ、笑。


二〇一八年九月三十日 「箴言」


表現において、個人の死は個性の死ではない。個性の死が個人の死である。


二〇一八年九月三十一日 「人生」


 ぼくは愚かだった。いまでも愚かで浅ましい人間だ。しかし、ときに
は、いや、まれには、それは一瞬に過ぎなかったかもしれないが、ぼく
は、やさしい気持ちでひとに接したことがあるのだ。ぼくのためにでは
なく。そんな一瞬でもないようなら、たとえどれほど物質的に恵まれて
いても、とことんみじめな人生なのではなかろうか?



自由詩 詩の日めくり 二〇一八年九月一日─三十一日 Copyright 田中宏輔 2021-12-06 01:19:23
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