精神病院でのある一日
朧月夜

 病院のなかでの自分の定位置というものを決めることは難しい。けれども面白い。制約のなかで何かが生まれる。制約がないのであれば、作ればいい。自由がないのであれば、それを作ればいいのと同じように。制約がなく、すべてが自由なのであれば、自分で制約を作り出し、そのなかでの自由を求めればいい。
 病棟外の敷地では、デイケア向けの喫煙コーナーを出て、排水溝にそってまっすぐ歩いていったところにある、植え込みのなかの日陰に自分の居場所を与えている。そこがわたしの定位置。
 傍らには、プラスチック製の配管が流れている。目の前には、ツツジの低木とソテツの樹があって、落葉が何枚か散り敷いている。数日前までは、ツツジの花が地面にたくさん落ちていたけれど……。今はまばら。
 コンクリート製の段々の上に腰をおろして、漫画を読む。森薫氏の「乙嫁語り」。19世紀の中央アジアが舞台で、時代劇のはずなのに、争うシーンはあまりなく。結婚がテーマという漫画。
 今、子供が嬌声を上げながら通り過ぎていった。丁度下校時間なのだろう。こんな病院に入院しているわたしは、彼らの目からしたら野生動物のようなものなのだろうけれど、どちらが動物らしいだろうか、などと思ったり。病院の駐車場に、バイクがけたたましい排気音を立てて入ってくるのにも驚いたりしている──。
 けれども、爽やかな風が肌を撫でるとなごんだり。今のこの病院では、南病棟の改築をしている。だから、工事関係者が大勢(でもないけれど)出入りしている。今、その一人が停めてあるワゴン車のドアを開けて、工事用具の積み下ろしをしているんだろうか、それとも何かの書類を探しているのだろうか。がたがたと音を立てている。
 都会の住宅地のなかにぽつんとある病院だけれど、敷地内というよりは、その周囲に緑が多いために、小鳥たちがやってきて啼いている。縄張り争いをしているのだろうか、それとも、友人や恋人と言葉をかわし、さえずり合っているのだろうか。……そう思うと急に、その鳥たちが押し黙る。ふいと吹く、やや強い風。工事の人も、何かを閉じたぱたん、という音を立てる。
 そして今度は、コカ・コーラの配送車が一台入ってくる。台車をおろして、ペットボトルのケースを乗せていく。──こんな風に書いていると、まるで日常生活の一コマのようでもあるのだけれど。……看護師さんが、車いすに一人の患者を乗せて、押して歩いていく。(そこでやはり自分は入院中なのだ、と思ったり)
 今度は頭上にヘリの旋回音。雲の上を飛んでいるのか、姿が見えない。淡い雲間光はいつしか、低く垂れこめた雲のなかに隠れている。
 また、通りかかった父親と息子(?)の親子が、
「〇〇ちゃんがタンコブ作ったんだって……」
「本当?」
「〇〇がタンコブ作ったから」
 ……そうして、どうなるんだろう。
 工事業者の人は、ワゴンのスライドドアをやや勢いよく閉めて、去っていく。コカ・コーラの配送者のほうも、配達員の人が荷下ろしを終えて、車をバックさせ、今敷地の外へと出ていった。
 今度は、母親と娘さんの親子連れか、
「がんばって!」
「え?」
「がんばって」
 まるで病院のなかへ向かって話しかけているように……。
 わたしのこの地球ほしでの定位置はどこだろう。わたしも立ち上がって、ジーンズのお尻についた土を手で払う。さて、こんなところ(精神科病棟)にも、人間関係はあるし、そこには社会がある。自由も、制約も。


散文(批評随筆小説等) 精神病院でのある一日 Copyright 朧月夜 2021-12-05 01:14:48
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