だから、まるで魚が水面を跳ねるように
ホロウ・シカエルボク


少し離れたところで双眼鏡を覗いていた、絞りやなんかの設定は出鱈目で、そもそも自分がそこを覗くことでなにを見つけようとしているのか、なにを凝視しようとしているのか分からなかった、それはしいて言えば暇潰しみたいなものだったのだ、そのとき自分の立っている地点にどんな興味も持てなかった、もっともらしい理由をこじつけるとすればそんな言葉になるのかもしれない、ただひとつだけはっきりと言えることは、それは欲望とか衝動とか、そんな類の言葉で語られるようなものではなかったということくらいだ、爪を切り飛ばすみたいにしてそんな初手をついたのだ、いま思えばあの瞬間こそがすべてだった、導かれる、という風に言えばいいのかもしれない、だけどそれもなにか少し違う気がする、目の前に餌がぶら下げられたから食らいついたということではない、ほんの少し瞬きのタイミングが違えばそれは見つけられなかったかもしれない、なにしろ、それがいったいなんなのか、途方もない時間が過ぎたいまですら理解出来てはいないのだ、ともかくあのとき、なにかにたまたまフォーカスが合い、そいつはまるで霊魂が他の肉体に憑依するみたいにするすると体内に潜り込んできたのだ、どんな理由もなく、一点をじっと見つめているようなことが多々あった、まだ幼いころからずっとだ、いまだってきっとそうだろう、自分ではあまり気付くことはない、人に言われてああまたやっていたのかと思うくらいだ、目的は初めから一緒だったのかもしれない、目にとめるために、認識するために、幼いころからずっと目を凝らしていたのかもしれない、でも、そうだ、矛盾してしまうかもしれないけれど、それはとりたててこれだと断定出来るような形を持たない、ある種の奇形的な雰囲気、とでも呼ぶしかないものだ、だから、必要以上に見つめることが必要だった、いまとなってはそんな風に思えてくる、それが自分を何処にも連れて行かないものだとは初めから分かっていた、幸せにしたり、不幸に叩き落したり、そういうようなものではないと、だからこそそれは確かなものに思えたのだ、本能に名前は付けられないのだと思う、それは本能が人間よりも先に存在しているせいだ、だから本能を忘れてしまう人間はたくさんいて、まるで動物と違うからこそ自分たちは尊いのだと思いたがっている、加工された肉を食らって、味付けに注釈をつけるのがスノップだと信じている、まだ脈を打っている生肉に食らうこともないのに分かったような口をきくわけだ、笑い話だと思う、笑いこそしないけれども、そう、双眼鏡には時々余計なものしか飛び込んでこないことがよくあった、先に語ったような人間とか、おぞましいほどの美徳に心酔している人間とか、はっきりとしたことは少しも分からないけれどなにかひどく暗い風景とか、そういうもの、双眼鏡から目を離せばいっさい見ずに済ませることは出来たはずなのに何故かそうしなかった、そこになにか知るべきことがあるようだと感じたからなのか、あるいは幼いころから宿命的に眼球に刻み込まれた癖のせいなのか、それは正直に言ってよく分からない、だけど結果的に良かったのか悪かったのかと問われれば、たぶん良かったんだろうと答えるだろう、生きる道は無限にあれど選べるのはどうせいくつかでしかない、ならばなおのことそうだろう、そこから良かったと言えるだけのものは汲み取ったという自負があるわけだ、もちろんこんなことそんなに声高に話すつもりもないけれど、一通り現象が繰り広げられ、ほとんどのものは一度きりで飽きてしまった、飽きてしまわないもののことは初めから疑いもしなかった、だからまだ双眼鏡を覗き続けている、目はすぐに疲れてガチガチに固まってしまうけれどそれをほぐすコツだって知っている、時には少しちょうどいいくらいにフォーカスを定めることも出来るようになった、おそらくそれは技術ではない、ただ覗いていく中で覚えてきた習性のようなものだ、もちろん習えばずっと早く上手く見ることは出来るだろう、でもそれはもしかしたら自分が本当に見るべきものを見落とす原因になるかもしれない、どうしてそんな風に考えたのかは分からない、でもここまでやってきた道程を振り返るに、そう感じたことは正しかったのだという気がする、そうだ、ところで、ここまで随分と同じ言葉を繰り返してきた、分からない、というのがそれだ、分からないと言ったことであなたは僕を愚かだと思うだろうか?おそらくはそんな風に感じるものの方が多いのではないかという気がする、とにかく結論をつけることが大切だと考えるのが現代社会の性らしいから、分からないと知らないは同じ意味ではない、分からないけれど知っているというのはここにはよくある、そしてそのことがきっとどんなことよりも大切なことなのだ、結論ではない、認識だという風に言えばいいだろうか?結論にしてしまえばそいつはそこでお終いだ、けれど、ただ認識しておくだけならその続きを見ることが出来る、人生なんて出来る限り短く表現してしまえばそういうものなのかもしれない、でも、そんな風にこの話を終わらせたりしない、ここまで読んだもの好きなあなたはご存じのように、小理屈で遊ぶのが好きでなけりゃこんなこと延々やり続けるわけもないじゃないか―?



自由詩 だから、まるで魚が水面を跳ねるように Copyright ホロウ・シカエルボク 2021-10-29 00:17:38縦
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