詩の日めくり 二〇一八年二月一日─三十一日
田中宏輔

二〇一八年二月一日 「無限がいっぱい」


 塾が終わって、日知庵に行ったら、シンちゃんさんご夫妻と友だちがいらっしゃって、そこからガブ飲みに。きょうも、ぼくはヨッパで眠る。眠るまえの読書は、ロバート・シェクリイの短篇集の『無限がいっぱい』。ああ、ぼくの胃のなかはアルコールでいっぱい。シンちゃんに、焼酎一杯おごってもらって。


二〇一八年二月二日 「藤井晴美さん」


 いま日知庵から帰った。郵便受けに、すごくおもしろいタイトルの詩集が送られてきていた。あした感想を書こう。藤井晴美さんというかたから『電波、異臭、工学の技』という詩集が送られてきたのだった。理系のぼくとしては、おもしろくて仕方がないタイトルである。あした読ませていただこう。楽しみ。


二〇一八年二月三日 「電波、異臭、工学の技」


 藤井晴美さんから、詩集『電波、異臭、工学の技』を送っていただいた。さまざまなモチーフと技法が駆使されているなかで、ことに「詩人」と「映画」というモチーフが目についた。ぼくは画家にあこがれて画家になれなかった詩人だけど、藤井さんはどうなのかなって思った。

 ロバート・シェクリイ『無限がいっぱい』 誤植 131ページ上段4━5行「機会のうごきを研究し、製作し、維持する」これは「機械のうごきを研究し、製作し、維持する」だろう。ほんとに、まあ、だらしない校正だなあ。


二〇一八年二月四日 「破局」


 いま日知庵から帰ってきた。帰りにセブイレで買ったサンドイッチを食べて、ロバート・シェクリイの短篇集『無限がいっぱい』のつづきを読んで寝よう。きょうのお昼に読んでた「先住民問題」って作品、人類学や生物学を少しでも知っていれば、簡単に片づく問題なのに、作品が半世紀まえのものだからね。

 ぼくは画家になり損ねた詩人だ。詩人なんて、吐いて捨てるほどいるけれど。画家もそうか。吐いて捨てるほどいるか。芸術家とは、なんと因果な生業なのだろう。

 いままで寝てた。ご飯も食べず。ロバート・シェクリイの短篇集『無限がいっぱい』を徹夜で読んだからだな。で、これから、デュ・モーリアの短篇集『破局』の冒頭の作品のつづきから読むんだけど、異常者が主人公なのだった。描写がうまい。先が読めない。再読なのにね。記憶力がほんとうににぶった。

 帰りに、セブイレで、烏龍茶とシュークリーム2個買った。これから食べて、それから朝まで読書しよう。

あしたは、大谷良太くんちで、つぎに出す詩集の打ち合わせだ。がんばろう。


二〇一八年二月五日 「断章」


魂は物質を通さずにはわれわれの物質的な眼に現われることがない、
(サバト『英雄たちと墓』第Ⅰ部・2、安藤哲行訳)


二〇一八年二月六日 「Still Falls The Rain。」


 いま、きみやから帰った。そのまえに、大谷良太くんちで、書肆ブンから出る、ぼくのつぎに出る詩集『Still Falls The Rain。』の編集をしてたんだけど、きょうの編集作業はめっちゃ進んでて、半分くらい終わった。ふたりで、12時間近く作業してたと思う。ふう。あと一日で終わるかも。楽天的な推測。

 大谷良太くんちで、こんどの5月に出す詩集の打ち合わせをしてるときに、いま出てる現代詩手帖2月号を見せてもらって 高塚謙太郎さんに、ぼくの詩集を採り上げてもらってることを知ってうれしかった。 ごく少数でも、ぼくの詩を見ていただいてる方がいらっしゃるんだなあと思って。 高塚謙太郎さん、ありがとうございます。


二〇一八年二月七日 「断章」


言葉とは何か?
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』4、山田和子訳)

 言葉以外の何を使って、嫌悪する世界を消しさり、愛しうる世界を創りだせるというのか?
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)


二〇一八年二月八日 「命日」


 おとつい、2月6日は、日知庵のまえのマスターの命日で、きのう日知庵に行きたかったのだけれど、ぼくの体調が悪くて行けなかったのだった。きょう、二日ずれたけれど、日知庵に行って、まえのマスターのこと、いろいろ思い出していた。気さくで、いつも陽気なマスターだった。ぼくの耳には、まだまえのマスターのお声や笑い声が聞こえてくる。帰りに、これ持って帰って、と、えいちゃんに言われて、お酒をもらった。「英勲」という日本酒だった。これ、寝るまえに飲んで、まえのマスターのこと、もっといろいろ思い出そうっと。ほんとに、いいひとだった。まだ70代だったのに。涙。後半だけど。

「英勲」おいしい。

 ひゃ~。いまFB見てたら、あの新潮社でさえ、自費出版をはじめたようだ。それとも、むかしからやってたのかしら?

 きょう、早朝から、大谷良太くんちで、書肆ブンから5月に出る、ぼくの新しい詩集『Still Falls The Rain。』の編集をすることになった。徹夜だが、目が冴えてるのでだいじょうぶだと思う。ぼくの脳機能は、いま全開だ。5時57分のバスに乗る。

 いま、大谷良太くんち→日知庵から帰ってきた。4、50時間くらい眠っていないのだが、これから、ポオの『ユリイカ』で調べものをしなければならない。神さまに祈ります。探しものが、すぐに見つかりますように。

 きょうの寝るまえの読書は、ポオの『ユリイカ』に決定。おやすみ、グッジョブ!


二〇一八年二月九日 「静かなストレス」


 現代詩手帖の2月号で高塚謙太郎さんが触れてくださったおかげだろうか。『The Wasteless Land.』が売れている。発行所の書肆ブンには在庫がまだありますので、ご購入を検討されておられるお方はぜひお買い求めくださいませ。

 ひさしぶりに、大野ラーメンでも食べてこようかな。焼き飯つきの。焼き飯は並に。

 ポオの『ユリイカ』あと4ページで読み終わる。それにしても、すさまじい書物だ。

 きのう、日知庵で、焼きそばをちょっと残した。注文した食べ物を残すことなど一度としてなかったのだけれど、そしたら、アルバイトしてるお兄さんに、「残さはるなんて、めずらしいですね。」と言われたのだった。えいちゃんに、「焼きそばのそばは、一玉、それとも、二玉?」ときかれたときに、「二玉でお願い。」とこたえたぼくやけれど、さすがに、4、50時間も眠っていなかったためだろうか、しんどくて、お酒も、水で薄めた焼酎のロックを3杯しか飲めなかった。しかし、そのムチャをしたおかげで、新しい詩集の編集がうまくいったのだけれど。よいことと、よくないことは差し引きゼロなのだ。

 詩人の友だちのFBでのコメントに「静かなドレス」とあって、すかさず「静かなストレス」なんて言葉を思いついた。ポオの「神の心臓」の概念は、確実にぼくに影響を与えていて、その概念を利用した詩句を、ぼくは、「陽の埋葬」の一作に用いた。「サクラ」が出てくるので、4月辺りに投稿するつもりだ。


二〇一八年二月十日 「美術手帖」


 2月17日発売の美術手帖は、「言葉の力。」特集号で、そこで、いぬのせなか座の方が編集・デザイン・制作された「現代詩アンソロジー」に、拙詩『I FEEL FOR YOU。』の一部が収載されています。とても画期的な詩のアンソロジーだと思います。ぜひ、ごらんください。

 いま日知庵から帰ってきた。きょうは早い。眠いから。きのう寝たと思うんだけど、眠い。デュ・モーリアの短篇集、ようやく半分くらい再読した。でも、ぼくの忘却力がすごくって、読み終わったばかりの短篇しか記憶にないの。なんちゅうことやろか。アルツがはじまってるのんかもにょ。おっそろしいわ。


二〇一八年二月十一日 「ロキシー・ミュージック」


なんか朝からビールが飲みたくなってきた。コンビニで買って飲もう。

 麒麟のラガービールと、アンパン一個、買ってきた。チューブで漫才でも見ながら飲もう。

 デュ・モーリアの短篇集『破局』のつづきを読もう。いま「美少年」を再読しているのだが、状況の一部は憶えていた。まるで、マンの『ヴェニスに死す』みたいな雰囲気だ。舞台もヴェニスだし。

 きょうは、夕方から大谷良太くんたちと京都駅の近くのヨドバシカメラの近くのハブというお店でお酒を飲む。

 いまジェネシスのデュークを聴いているのだが、4月頃に出るぼくの新しい詩集『Still Falls The Rain。』は前篇と後篇を合わせて150ページくらいあるんだけど、ぼくはほとんどずっとプログレを参考に作品をつくってきたけど、今回は、ロキシー・ミュージックを参考にした。まあ、ロキシー・ミュージックもプログレ風味のあるアルバムつくってるし、曲によっては、完全にプログレだけれどね。あ、ちなみに、こんど出るぼくの新しい詩集『Still Falls The Rain。』には、論考も合わせて4篇ほど収録していて、うち3篇は、昨年に亡くなった大岡 信先生に捧げたものである。でもやっぱり、新しい詩集『Still Falls The Rain。』の主人公は、ヤリタミサコさんで、ぼくがヤリタミサコさんの朗読会で得たものは、とても大切なことだったように思う。

 いま日知庵から帰ってきた。大谷良太くんらと京都駅の近くのハブに行って、そのあと日知庵に行ったのだけれど、大谷くんらが帰ったあと、ぼくがひとりで日知庵で飲んでると、むかし付き合ってたノブユキに似た男の子が隣に坐って、「おれ、バイなんですよ。」と言ってきたものだから、めっちゃ興奮してしまって、その子がぼくの肩に手をまわしてきたりするものだから、めっちゃ興奮してしまって、きょうのぼくは、ほんとに酔っぱらってしまったのだった。いい夢を見れればいいなあ。「ほんとに、きみかわいいね。」と言うと、「オレ、なんかおごりますよ。」と言ってくれたのだけれど、おそれおおくて「いいよ、いいよ、きみが横にいてくれるだけで、ぼくは幸せ。」と、ぼくは言ったのだった。ああ、もっと積極的になって、電話番号とかメールアドレスとか聞いとけばよかった。残念。ぼくって、ほとんどいつも、こんなふうに、消極的で、できる恋もできないのだった。こんなんばっかり。ほんとに、残念。だけど、残念だからこそ、詩にできるってこともあんのかもしれないね。そんな気もするぼくだった。ぼくの詩は残念な恋の話なのかもしれない。


二〇一八年二月十二日 「断章」


作品は作者を変える。
自分から作品を引き出す活動のひとつびとつに、作者は或る変質を受ける。完成すると、作品は今一度作者に逆に作用を及ぼす。
(ヴァレリー『文学』佐藤正彰訳)

これがぼくにとってどれほど大きな意味があることか、きみにわかるかい?
(ロバート・A・ハインライン『愛に時間を』3、矢野 徹訳)


二〇一八年二月十三日 「22世紀のコロンブス」


 創元SF文庫から、3月に、J・G・バラードの『ハロー、アメリカ』が発売されるけど、これって、むかし、『22世紀のコロンブス』ってタイトルで単行本で売られたもので、すごくおもしろかった。バラードは、もってるもの、ぜんぶひとに譲ったけど、これは残しておきたかったな。おもしろかったよ。

 このあいだ、ブックオフで、短篇集の『時の声』が108円で売ってたので買った。いま唯一もってるバラード本だ。いや、譲った女の子がすでに持ってるからって、『ハイ‐ライズ』は本棚にあったかな。本棚さがそう。

 あった。カヴァーがかわいらしかったら、創元SF文庫から出る『ハロー、アメリカ』を買おうかな。

 トーマス・マンも意地の悪い作家で、『ヴェニスに死す』で徹底的に美少年愛趣味の大作家をバカにして描いていたが、デュ・モーリアも、短篇の『美少年』のなかで美少年愛者の金持ちの考古学者を懲りない馬鹿として描いていて、なんだかなあと思った。まあ、じっさい馬鹿なのかもしれないけれどね。

 いまネットで、創元のところを見ると、このバラードの『ハロー、アメリカ』、映画になるみたい。そっか。それで、もと『22世紀のコロンブス』を文庫化することになったのか。しかし、映画になったら、あの飛行機が空を覆うシーンだとか、ロボットの真似をした兵士たちが歩行するシーンは見ものだな。

 きょうは、あさから、お酒を飲んでいるのである。アサヒのシャルネドサワーというので、マスカット味のものである。いまで3杯目。あさから、お酒を飲める幸せ。夕方には、日知庵に行くつもりだが、きょうは、一日、酒びたりになりたい。

 漫才では、とろサーモンが大好きなのだけれど、ひと的には、和牛の川西さんが人格者っぽくていいなあと思う。人間はやっぱり、ひとにやさしくなければならないと思う。ぼくの場合は、気が弱いので、ひとにやさしいと思うのだが、気がしっかりしていて、やさしいというのはすごいと思う。

 ここ半年くらいブックオフに行ってないかもしれない。欲しい本、読みたい本をすべて手に入れて読んだからだと思うけれど、きょう、日知庵に行くまえに、ひさしぶりにブックオフに行ってみようかな。見知らぬ良い本があるかもしれないしね。過去に何度かそんな目にあってるしね。よい本との出合い。

 もうすでにいまヨッパなのだが、夕方から日知庵に行く。日知庵では、さいきん、焼酎のロックのうえから水をそそいで、ちょっとロックより薄い目にして飲んでいる。こうすると、たくさん飲めるのだ。いまBGMは、ピンクフロイドの「炎」。ヨッパである。さて、ブックオフでは、すてきな本との出合いは?

 でも、デリケートなぼくは、バスや電車に乗ってるときに、お酒の臭いがしないかと心配だ。ぜったいするような気がする。あさからだけど、「昼間から飲んでる、このおっさん。」とかと思われないかなと思って。思われるだろうなあ。

 郵便受けを覗くと、一冊の本らしきものの封筒が。で、部屋に持ち帰って、封を破ってみると、封筒にはイガイガボンという記名があって、なんだろ、これと思わせられたのだが、で、出てきた本が、阿賀 猥さんの『民主主義の穴』という本だった。ああ、阿賀さん、ぼくのこと、憶えていてくださったんだと、まず第一に思ったのだけれど、本文を読むと、これは詩集ではなくて、評論集といった類のものだった。読みやすい本で、文学、精神分析、政治といった多義にわたる論述がびっしり。おもしろい本を送ってくださった。これをもって、日知庵に行く。

 いま日知庵から帰った。日知庵に行くまえに、三条京阪のブックオフで、マイク・レズニックの『暗殺者の惑星』を108円で買った。これって、持っているんだけど、カヴァーの状態が悪くって、新たに買ったのだけれど、部屋に帰って、本棚を見ると、『暗殺者の惑星』がなかったのである。いつの間にか、なくしてしまったのか、いまのぼくの探し方が粗かったのかもしれない。いま激ヨッパだから、あしたまた本棚をあたるけれど、いや~、ゲロゲロにヨッパだわ。

 で、日知庵で、えいちゃんから聞いたんだけど、このあいだの日曜日に、ぼくの肩を抱いてくれた青年の名前は「今村」くんで、年齢は、30才くらいで、こんど来たら、ぼくに電話をくれるって。ぼくは30分くらいで日知庵に行けるからねって言っておいた。今村くん、かわいかった~。ノブユキくらいに。

 日知庵では、阿賀 猥さんの『民主主義の穴』を70ページくらいまで読んだ。三ケ所に誤字・脱字があったけれど、気にせずに読めた。きょうの寝るまえの読書は、阿賀 猥さんの『民主主義の穴』だ。おもしろい。本の価格も安い。これは売れる本だなって思った。こういう本が売れなきゃいけないなって思う。


二〇一八年二月十四日 「阿賀 猥さん」


 阿賀 猥さんの『民主主義の穴』を読み終わった。おもしろいエッセーだった。善と悪についての考察が、ぼくが読んだこともない方向からなされていて、目を見開かされた。これは売れる本だなと思う。200ページの本で本体1100円なのである。やすい。おもしろいし、やすい。

 ただ一つ残念なことに、誤字・脱字が多い。たとえば、36ページ「一文をを」→「一文を」66ページ「案外多いのはないか?」→「案外多いのではないか?」66ページ「しわくちゃのこびと小人が」→「しわくちゃの小人が」70ページ「なにも変わらないことのなる」→「なにも変わらないことになる」81ページ「逃れために」→「逃れるために」128ページ「おぞましいもの集積」→「おぞましいものの集積」146ページ「下等な美徳」」→「「下等な美徳」」148ページ「二人が登場させている。」→「二人を登場させている。」160ページ「マウンデヴィル」→「マンデヴィル」161ページ「戦争という三島由紀夫ではないが、」→「戦争というと三島由紀夫ではないが、」165ページ「マンデヴル」→「マンデヴィル」184ページ「そんなものに彼が頓着するするだろうか。」→「そんなものに彼が頓着するだろうか。」195━196ページ「これで繁栄を築いて来たのもの。」→「これで繁栄を築いて来たものの。」

 おおのラーメンで、餃子セットを食べてきた。帰りに、セブイレで、海鮮せんべえと、烏龍茶を買ってきた。夕方まで、デュ・モーリアの短篇集『破局』のつづきでも読もう。ふいの調べものや、他の本の読書で中断されまくっている。あ、そうだ。マイク・レズニックの『暗殺者の惑星』を探すんだった。

 すぐに見つかった。きのうは酔っぱらっていたから見つからなかったのかな。もってたほうも、きれいだった。きれいじゃないほうをお風呂につかりながら読んで、読んだら捨てようと思っていたのだけれど、きのう買ったものも、もってたものも同じくらいきれいで、ほんとに迷うわ。

 デュ・モーリアの短篇集『破局』を読むのを中断して、マイク・レズニックの『暗殺者の惑星』を読む。これは、フロベールとともに、ぼくに全行引用詩を思いつかせた小説である。エピグラフの連続という、当時のぼくにはめずらしい作風だからだ。メルヴィルの『白鯨』を知ったのは、ずいぶんあとで、全行引用詩をぼくが書いたあと。

 きょうから、お風呂場では、マイク・レズニックの『暗殺者の惑星』を読む。レズニックの作品で、ぼくの本棚に残っているのは、あと1冊。『一角獣をさがせ!』のみである。これはファンタジーだったから、SFではないのだが、とてもおもしろかった記憶がある。

 いま、お風呂からあがった。お風呂場では、湯舟につかりながら、マイク・レズニックの『暗殺者の惑星』を読んでいたのだけれど、きのう、きょうのあさと読んでいた、阿賀猥さんの『民主主義の穴』との共通項があったのである。それは「悪」の問題である。阿賀猥さんは「善」も扱ってらっしゃったけど。

『暗殺者の惑星』エピグラフが頻出するのだけれど、冒頭から書き写してみよう。異様な世界観が露出する。

プロローグ

「悪の中にも善なる魂はあるものだ」
━━シェイクスピア

「われわれが屈することのない悪はみな恩人である」
━━エマソン

「われわれの最大の悪はわれわれ自身の内から自然にでてくるものだ」
━━ルソー

とんでもない。

「悪に説明などつかない。これは宇宙の秩序にとって欠くことのできない一部と考えるしかない。無視するのは子供じみているし、嘆いても無意味というものだ」
━━モーム

このほうが近い。

「悪はそれ自体を正当化している。それゆえ、力、快楽、利益でさえ無意味になってしまうのだ」
━━コンラッド・ブランド

 この引用の連鎖が、フロベールの遺作とともに、ぼくに全行引用詩の構想を思い起こさせたのだった。

 1の冒頭に引用された主人公の言葉、このエピグラフに、ぼくはびっくり仰天したのだ。紹介しよう。

「ひとり殺せば殺し屋でしかないが、数百万人を殺すものは征服者となり、ひとり残らず殺すものは神となる」
━━コンラッド・ブランド

 なんちゅう、すごい考え方だろうか。「まったき悪」が「神」となるのである。

 23ページ 2 の冒頭に引かれたエピグラフも陶然とさせられるものである。こんなの。

「殺人とはたんなる感情の爆発でしかないが、大量虐殺ともなれば芸術である」━━コンラッド・ブランド

 以上、翻訳は、小川 隆さん。ルーシャス・シェパードの『戦時生活』なども翻訳なさってて、ぼくの大好きな翻訳家のおひとり。

 さて、これからお出かけである。冬の寒さも、2月までかな。はやく桜の花びらを見たい。


二〇一八年二月十五日 「人格売買」


 人身売買というのがあるが、人格売買という言葉を思いついた。ふつうに、労働って、人格売買だよね。

 寝るまえの読書は、マイク・レズニックの『暗殺者の惑星』もう3回以上、再読している。めっちゃ読みやすくておもしろかった記憶がある。おやすみ、グッジョブ!

 きょうはチョコレート責めだった。あしたからチョコレートの消費すごそう。虫歯になっちゃうかな。

気遣いのできる彼女。気違いのできる彼女。「遣い」と「違い」で大違い。

 マイク・レズニックの『暗殺者の惑星』を読み終わった。何回目の再読だろうか。おもしろかった。ただいつも再読のたびに、さいごの場面は違ったものにしてほしいなあと言う気持ちが湧き上がる。暗殺者を処刑するなんて、もったいないことをしたものだなっと思う。シリーズ化できそうな作品なのにって。


二〇一八年二月十六日 「特別料理」


 デュ・モーリアの短篇集『破局』を読み終わった。今日から、早川書房の異色作家短篇集シリーズ・第11弾の、スタンリイ・エリンの短篇集『特別料理』の再読をする。これまた収録されている作品をタイトル作も含めて一つもおぼえていない。

 あさの11時45分から、夕方の4時5分まで、税務署の出張所で、確定申告してた。ほとんどが待ち時間だった。本でも持って行ってればよかった。帰りに王将で、餃子定食を食べた。またその帰りに、セブイレで、海鮮せんべえと、烏龍茶を買ってきた。疲れた~。

 たしか、おとついかな、日知庵で、はるかちゃんとしゃべってたら、名字が「今井」さんていうのだけれど、「今」が旧字で、なかが「ラ」ではなくて、「テ」らしい。いまパソコンでも旧字の「今」が出てこないのだけれど、ハンコ、特注らしい。ぼくなんか「田中」で、どこにでも売っている名前で、便利。


二〇一八年二月十七日 「みんな、きみのことが好きだった。」


 いま日知庵から帰ってきた。きょうは、というか、きょうも読書で一日を終わろう。スタンリイ・エリンの短篇集『特別料理』だ。まだ解説しか再読していない。本文はおもしろいかな、どだろ。記憶がまったくない。

 ぼくの詩集をさいしょに購入くださるなら、書肆ブンから出ている『みんな、きみのことが好きだった。』をおすすめします。初期のものから中期のものまでのベストセレクションになっています。とくに前半に収録してある「先駆形」の一群と、引用を駆使したサンドイッチ詩など。

 きょうは、はやく寝よう。ジュンク堂で、美術手帖を見た。自分の詩の一部が抜粋されていて、うれしかった。


二〇一八年二月十八日 「どんな詩を書こう。」


これから日知庵に。パソコンから離れます。

 いま日知庵から帰った。網野杏子さんから、うれしいご連絡が入っていた。ほんとにうれしい。河野聡子さんから原稿依頼があってから、ひさかたぶりだ。

 あした、えいちゃんたちと、ホルモン焼きを食べに四条大宮まで行く。マスターがケンコバそっくりでかわいいのだ。楽しみ。

どんな詩を書こう。

 というのも、「詩の日めくり」と「全行引用による自伝詩。」以外、ここ一年、二年、新しいものを書いていないからだ。ブルブル。今晩から、構想を練ろうか。恋が主題か、生き死にか主題か、どだろ。ブルブル。ああ、これじゃ、吉増さんだな。新しい音を書かなきゃならない。

 ビートルズのようなものも、いいかな。ピンクフロイドみたいなのも、いいかな。

 きょうも、エリンの短篇集を読んで寝る。おやすみ。いったい、ぼくの詩は誰が読んで寝てくれるのだろう。


二〇一八年二月十九日 「ふんどしバー」


『美術手帖』3月号「言葉の力。」特集号を送っていただいた。17篇の現代詩アンソロジーに拙作の一部が抜粋していただいた。いぬのせなか座の方たちの編集・デザイン・制作だそうだ。いろいろなタイプの詩のアンソロジーになっている。書店でぜひ、手に取ってごらんください。で、そのままご購入を。

 これからお風呂に入って、骨からあたたまろう。お風呂場での読書は、ふたたび、マイク・レズニックの『暗殺者の惑星』

 台北に、ふんどしバーができたとかいう噂がFBで流れていた。体型的には、ふんどしは、短足・デブが似合うんだろうけれど、あんまり興味がない。というか、まったく興味がない。ただ、ふんどし姿で、バーでお酒を飲むことに快楽を覚えるひともいるのかと思うと、笑けてしまって、しょうがない。まあ、でも別の見方をすれば、言葉の組み合わせと配列に精を出して詩なんてものを書いてるぼくなんかのことを、へんだと思って笑うひともいるだろうしね。みんな、おあいこなんだなって思った。

 8時からホルモン焼き屋さんで飲み会なのだけれど、FBで、天下一品のラーメンの画像が貼り付けてあったので、飲み会のまえに天下一品に行こうかな。

 いま四条大宮のホルモン焼き屋さんから帰ってきた。行くまえに、西大路三条の天下一品で、ラーメン大を食べたのだけれど、ホルモン焼きもばかばか食べた。ホルモン焼きはひさしぶりだった。シンちゃんとおととし、いや、去年、大谷良太くんといっしょに食べたのが、さいごだったっけ。更新した。

 わっしゃー、きょうは、これで寝る。寝るまえの読書は、エリンの『特別料理』のつづき。それにしても、オー・ヘンリーって作家は、よく食べられることの多い作家なのだと思った。エリンの「特別料理」でもだし、ジェラルド・カーシュの「壜の中の手記」でも食べられてることを示唆する描写に出合う。


二〇一八年二月二十日 「テンテンとスイカ頭」


 そだ。飲んでる時に、いけちゃんから貴重な情報を入手したのだった。キョンシーに出てくる、テンテンとスイカ頭が実の兄妹だったってこと。知らなかった。

 いま、日知庵→きみや→日知庵の梯子から帰ってきた。ジュンク堂には行かなかったから、中国SFのアンソロジーは買い損ねた。まあ、いいか、部屋には、ごっそり傑作が本棚に並んでいる。きょうも、エリンの短篇集『特別料理』のつづきを読みながら寝る。おやすみ、グッジョブ!

二〇一八年二月二十一日 「断章」

言葉とは何か?
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』4、山田和子訳)

順序を入れかえたり、語をとりかえたりできるので、たえず内容を変える
(モンテーニュ『エセー』第Ⅱ巻・第17章、荒木昭太郎訳)

新しい関係のひとつひとつが新しい言葉だ。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)


二〇一八年二月二十二日 「夜の旅その他の旅」


 きょうから寝るまえの読書は早川書房・異色作家短篇集・第12弾の、チャールズ・ボーモントの『夜の旅その他の旅』。これまた、ぼくはひとつも作品を記憶していない。ぼくの再読は、新品を買ったときの読書と同じだな。ボーモントの作品は、文春文庫の『ミステリーゾーン』シリーズでも読んでたはず。

 ユリイカの5月号に作品を書かせていただくことになった。12年ぶりである。ユリイカは、ぼくが1991年に、ユリイカの新人に選ばれたところなので、とても懐かしい。ぜひおもしろい作品を書かせていただきたいと思う。この二日間で、3つばかりの原稿依頼がきている。美術手帖の効果かもしれない。


二〇一八年二月二十三日 「断章」


詩人のそばでは、詩がいたるところで湧き出てくる。
(ノヴァーリス『青い花』第一部・第七章、青山隆夫訳)

 今まで忘れていたことが思い出され、頭の中で次から次へと鎖の輪のようにつながっていく。
(ポール・アンダースン『脳波』2、林 克己訳)

わたしの世界の何十という断片が結びつきはじめる。
(グレッグ・イーガン『貸金庫』山岸 真訳)

あらゆるものがくっきりと、鮮明に見えるのだ。
(ポール・アンダースン『脳波』2、林 克己訳)

過去に見たときよりも、はっきりと
(シオドア・スタージョン『人間以上』第二章、矢野 徹訳)

なんという強い光!
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』昼夜入れ替えなしの興行、木村榮一訳)

さまざまな世界を同時に存在させることができる。
(イアン・ワトスン『知識のミルク』大森 望訳)

これは叫びだった。
(サミュエル・R・ディレイニー『アインシュタイン交点』伊藤典夫訳)

急にそれらの言葉がまったく新しい意味を帯びた。
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』34、大島 豊訳)

そのひと言でぼくの精神状態はもちろん、あたりの風景までが一変した。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』女戦死(アマゾネス)、木村榮一訳)


二〇一八年二月二十四日 「笠井嗣夫さん」


 笠井嗣夫さんの作品について書くことになった。詩集『ローザ/帰還』(思潮社)、エッセイ『映画の歓び』(響文社)、エッセイ『声の在り処』(虚数情報資料室)。かつてぼくの詩を快く読んでくださった方の作品だから、きっと、ぼくの作品に近いところがあるんではないだろうか。読ませていただこう。


二〇一八年二月二十五日 「目も耳もいい詩人」


 読み終わった。詩と云うものについて、大事なのは、目と耳だと思う。笠井さんの詩を読んで、笠井さんが目も耳もいい詩人であることがわかった。詳しいことは、感想文に書こう。


二〇一八年二月二十六日 「言葉狩り」


 これから病院に。待ち時間が3時間以上あるので、笠井嗣夫さんの『声の在り処』を持って行こう。

詩の仕事を一つした。きょうは、あともう一つ。

 もう終わった。ついでに、もうひとつくらい、先のほうの締め切りのもやっておこう。

 ときどき言葉狩りをする。時間は夜がいい。できれば、大方のひとが眠っているときにするのがよい。ぼくは全身、目と耳になって、言葉を狩っていく。読書だけとは限らない。居酒屋でも、FBでも、ツイッターでも、どこからでも言葉を狩っていく。

 狩った言葉を加工して詩を一つつくった。まったくジャンクなシロモノができた。タイトルは、「私はあなたの大きなおっぱいで終わりました。」だ。第一行目は、こうだ。「Who’s in your heart now?」こんな行もある。「漁師の妻はペニスが好きだった。霧が深くて、自分の家を見つけることもできない。」

 ひさしぶりに、言葉でコラージュしていたら、楽しくて仕方ない。ほんとうのことを言おうか。ぼくは詩人などではない。言葉の加工職人なのだ。「旦那が壁にカラフルな色を塗ったので漁師の妻は失敗しなかった。しかし、その伝説は、実際には、中世のペストの話を加えたものであり、汚染された住民たちは白い色でコーティングをして感染していてもしていなくてもその地域には白い色が塗られている。」

頭を刈ったのでお風呂に入る。出たら、飲みに出ようかな。


二〇一八年二月二十七日 「きみの名前は?」


 きょうは夕方から、先駆形の詩をつくっていたころの気分になって有頂天だった。まだ詩がつくれる。おもしろいほど、たくさんつくれる。才能って、涸れることがないんだって思った。寝るまえの読書は、チャールズ・ボーモントの『夜の旅その他の旅』のつづき。ミステリー・ゾーンみたいにおもしろい。

いままで詩句をいじくっていた。楽しかった。おやすみ、グッジョブ!

きみの名前は?
(チャールズ・ボーオント『引き金』191ページ、小笠原豊樹訳)

 詩をひとつつくって、いま小休止。すこし休んだら、もうひとつつくろうと思う。勢いに乗らなくっちゃね。「みんな、きみのことが好きだった。」とか「マールボロ。」なんかの先駆形をつくってたころの勢いがある。

 あれ、きょう火曜日だよね。日知庵に飲みに行こう。居酒屋で言葉を狩ってきます。


二〇一八年二月二十八日 「網野杏子さん」


 きょう、網野杏子さんにお送りした作品は、6月に出るらしいです。初期のころからぼくの詩をずっとごらんくださってくれてる方で、ぼくの今回の作品は『NEXT』というタイトルのフリーペーパーにて紹介くださるそうです。「ぼくは、あなたの大きなおっぱいで終わりました。」というタイトルの詩です。

 使い古した言葉で、こころのなかに、はじめて抱く感情を描いていく、というのが、ぼくの先駆形の詩の特徴だと思うのだが、きょう、網野杏子さんにお送りした作品のあとには、どんな感情が生起するのだろうか。網野さんにお送りした作品は、自分の頬がゆるむほどに、自分でもゲラゲラ笑った作品だった。


二〇一八年二月二十九日 「断章」


ただひとつの感情が彼を支配していた。
(マルロー『征服者』第Ⅰ部、渡辺一民訳)

 感情が絶頂に達するとき、人は無意識状態に近くなる。……なにを意識しなくなるのだ? それはもちろん自分以外のすべてをだ。自分自身をではない。
(シオドア・スタージョン『コスミック・レイプ』20、鈴木 晶訳)

二〇一八年二月三十日 「断章」

今ではわたしも、他人のこころを犠牲にして得たこころの願望がいかなるものか、
(ゼナ・ヘンダースン『なんでも箱』深町眞理子訳)

それを知っている
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第六部・28、山西英一訳)

私という病気にかかっていることがようやくわかった。
(エルヴェ・ギベール『ぼくの命を救ってくれなかった友人へ』8、佐宗鈴夫訳)


二〇一八年二月三十一日 「断章」


私というのは、空虚な場所、
(ジンメル『日々の断想』66、清水幾太郎訳)

世界という世界が豊饒な虚空の中に形作られるのだ。
(R・A・ラファティ『空(スカイ)』大野万紀訳)





自由詩 詩の日めくり 二〇一八年二月一日─三十一日 Copyright 田中宏輔 2021-10-25 00:55:51
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