クラゲのように
由比良 倖
それでも考えることはひとりだから。
社会は文脈に過ぎない。
私の本棚にも社会が詰まっていて、
空は量り売りされていて、
サバンナの前にも日本があって、
ちょっとした5㎡くらいの日本が、
私には与えられた。
詩は夏の匂いがする。
いつだって夏だ。
夏はカプセル化されて、
箱には日本語が書かれているけど、
それも印刷で、
私は嬉しい。
夏はプラスチックで、
――
ギターのラッカー塗装が、
ひんやりと、地下鉄に咲く、
灰色の芝生みたいだ。
私は社会が嫌いだ。
でも、社会が嫌いなことが、
私を詩に向かわせるのだとしたら、
私もまた社会の蟻だ。
恍惚と咲くひまわり。
日々が暮れていくのは、
私が私を主張するから。
私が私を生産するから。
再生産に再生産を重ね、
分裂に分裂を重ね、
分裂してそして、
クラゲのように透明に泳ぐ、
ひんやりとしたガラスケースの中、
私が私をやめるとき、
世界は死ぬ。
私の本棚にも社会があって、
全ては繋がっている。
唾液とアルミの弁当箱の匂いがする。
私はひとりだから。
ひとりで恥じらっているから。
考えることはずっとひとりだから、
キーボードを叩いて、
水曜日に死のうとか、考えているから。
死は夏の匂いがする。
いつも夏だ。
生もまた、けっきょくはひとりで、
過ぎ去った夏ばかりが、
クーラーの風とディスプレイの光となって、
私を消していく。
上塗りすることのない、生。
分裂する。
結局のところ、
考えることはひとり。
最後に、
本棚には私もいるし、
社会の中の寂しさや、
優しさもあるから。
自由詩
クラゲのように
Copyright
由比良 倖
2021-10-20 16:05:36
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