それは日向の路上でふと頬をかすめる雨粒に似て
ホロウ・シカエルボク


もう数十年のキャリアを誇るだろう生ゴミ用のポリバケツには今日も腹を存分に膨らませたビニール袋が蓋が少し持ち上がるくらいにまで詰め込まれていた、俺にはそれが薄笑いを浮かべ、帽子を持ち上げて挨拶をする気障野郎に見えて仕方がなかった、明方の裏通りは高さだけは一丁前のビルディングに囲まれてそこだけ時の流れから取り残されたかのようにまだ闇を抱えていた、物陰で己を過信した野良犬がこちらを警戒して唸り声を上げていた、俺はそれを黙認して通り過ぎた、いずれ誰かに棒切れで殴り殺されてしまうだろう、もしかしたらそのまま解体されてそいつの腹の中で消化されてしまうかもしれない、なんにせよ俺の知ったことではない、雨の匂いがした、でもそれは気のせいかもしれない、ビルの根元に染み付いた誰かの小便の匂いかもしれない、どちらにせよやはり俺の知ったことではなかった、雨に濡れることよりも不幸なことはこの世にはごまんとあるのだから…約束の時間はもう過ぎていたけれど気にしてはいなかった、向こうにその気があるかどうかも定かではないのだ、少なくともそこまで歩く間は退屈な思いをしなくて済む、だから歩いているだけのことだ、追われているのか脅されているのかタクシーが物凄いスピードで走り去っていった、誰も道路を横断しようとしていなければいいけどな、と俺は余計な心配をした、ジャックダニエルの角瓶が道に転がっていた、時代錯誤な髭の野郎は何故か誇らしげに見えた、シグナルは壊れていた、ショー・ウィンドウの割れた閉店したスーパーの中で誰かが眠っているのが見えた、どんな理由があってそんなところで眠っているのか、酒かドラッグで前後不覚になってしまっているのかもしれない、目立たない建物の中で眠っているという点では、まあまあ賢い方だと言えるのかもしれない、そんなレベルで良し悪しを競うことにどれだけの価値があるのかはわからないけれども…存在価値の無くなった建物の中で眠るとき、人はどんな夢を見るのだろう?ふとそんなことを考えた、その瞬間にはどうでもいいことに思えたが、そのささやかな疑問符はどういうわけかしばらく頭から出ていかなかった、もしかしたらこれからもことあるごとに脳裏を彷徨き回るかもしれない、そんなふうにまで思わせてしまう何かがその疑問符の中には潜んでいた、廃墟の中で眠るー俺は廃墟の中で眠りたいのだろうか?それはこの疑問符に対する問いかけとしては適当でない気がした、といって、他に何も問うべきことを思いつけなかった、だから俺は廃墟の中で眠ることを想像してみることにした、それはなかなかに大変なことのように思えた、まずどこで横になればいいのかすらわからなかった、中にベッドがあればそこで眠るべきなのだろうけど、埃や虫のことを考えると到底出来そうになかった、まだソファーか何かにもたれて、とかの方が受け入れやすい感じがした、寝床は決定した、あとは、上手く眠れるかどうかだ、それは可能な気がした、きっと出来るだろうと思った、誰しも授業中にぐっすりと眠ったことがあるはずだ、人間は意外と、どんな姿勢でだって熟睡出来るいきものだーと、そこまで考えたところで、自分が基本的にそれをたった一度の、気まぐれのようなものとして考えていることに気がついた、どうやら向いていないらしい、俺はそれについて考えることをやめた、ところで夜は本当に明ける気があるのだろうか?もう随分と歩いているのに通りは一向に明るくはならなかった、ラジオが言うには今日は一日気持ち良く晴れるはずだ、表通りは白み始めていた、いくら裏ぶれた通りだからって既に明るくなっていなければおかしい…けれど実際のところ、それほどの時間が経過したわけではなかった、俺はもの思いに耽っていたので、途方もない時間が経ったと勘違いしただけだったのだ、何もかもが嘘のようだ、そんな感じがしたが別にそんなのいまに限ったことではなかった、ただいまが、そういったことを感じるのにちょっと適している時間だというだけのことだった、この世界は常に嘘のようなもので満ちている、その原因はあまりにも不確かな、不確実な自分自身の存在に寄るものだ、不確かな存在を抱えて世界を生きていくにはどうすればいいのか?そんな存在である自分自身にどこまでもこだわり続けていくことだ、そこには間違いもたくさん生じるだろうし、ひどい遠回りになることも頻繁にある、だけど、人間なんて正解のために生きているものじゃない、行動と結果の連鎖の中で、何を見つけ、自分のものにしていくのか、それだけだ、俺は自分を正しい人間だなんて思ったことはない、ただ、この俺を生きるのにこの俺以上のいきものなど存在しないということを知っているだけなのだ、暗闇の中にゆっくりと、頬を撫でるように新しい空気が立ち込めていく、ようやく、この裏ぶれた通りの誤差は修正されるらしい、少しずつ風が吹き抜け始める、世界は確かに動いていた、俺は表通りへと向かって歩みを進めた、1日が始まる、誰のものでもない自分自身だけがずっと誇りだった、そして、これからもそれは、決して変わることがないだろう。


自由詩 それは日向の路上でふと頬をかすめる雨粒に似て Copyright ホロウ・シカエルボク 2021-10-19 14:13:56縦
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